5月3日(土曜日祝日晴れ


旅行中なので『甲斐源氏人名事典』ですチョキγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞヤッタヤッタ



武田信時(孫五郎・五郎二郎・伊予守・信明) ? -1289

武田信政の長子。安芸守護。安芸に住居を構えたか?

『吾妻鏡』1237年6月23日条に、相模国大慈寺の新御堂供養に後陣をつとめた旨見える。翌年の将軍頼経上洛の折にもその随兵としてその名がみえる。

1274年蒙古襲来に備えて安芸国に下り、地頭・御家人及び本所領家の住民を指揮して防禦にあたるよう鎌倉府から命じられている(東寺百合文書)。

仁治・寛元(1240-46年)-文永・建治(1264-77年)安芸守護職が確認されている(鎌倉幕府守護制度の研究)。

安芸守護となり現地に赴いたせいか、『吾妻鏡』にはあまり出なくなった。この時期武田の惣領は安芸守護職で、甲斐は一条氏・岩崎氏・石和流武田氏の人々が守護だったと推察される。


兄弟に政綱、信村、信泰、信綱が居る。

政綱は石和流の項で、信村は信村の後裔の項で記載する。


武田信泰(又五郎・安芸二郎)

武田信政の子。


武田泰継

武田氏関係のどの系図にも泰継の名が見られない。が時代から見て武田信泰の子と考えられる。鎌倉中期の武田一族。

『熊谷文書』によれば、安芸国佐東郡地頭武田泰継が三入庄地頭熊谷氏と川船の通行税、鵜船の税収、倉敷などの事で争っている。


武田信綱(六郎)

武田信政の子。


次は石和流武田氏だよチョキ