久しぶりにZARDの話。ここにある、きっと忘れないより引用します。そのままではありません。坂井泉水「わりと小さい頃から書くのが好きで、書いていましたね。人が潜在的に持っている「言葉」と言うのは一生であまり変わらないし、個人差はないと思うんですね。それが外にでるか、自分の中に持っているかで。おしゃべりな人は「話す」と言う形で外に向かってるでしょうし、そうじゃない人は自分に向かっているんじゃないかなって思うんです。多分、詩人

というのは、あまり外に出さない分、作品に言葉をぶつけているんでしょうね」

なるほど、自分に向かって話すか、人に向かって話すかと言う事ですね、しかし彼女は大変おしゃべりが好きだったようで、これにも書いてありますが馴染みのスタッフに久しぶりに会うとしゃべり過ぎてレコーディングの時にはすでに疲れていたなんて事もあったようです、この先に詩人でもあり会話が好きな女性でもある事の理由が垣間見れます。また引用します。

「言葉には貪欲で、本を読んだり、会話の中でヒントをつかまえたりして、人が当たり前に見過ごしてしまう所に、焦点を当てるんです。例えば「ふとした瞬間に、視線がぶつかる」なんて事はみんないつも経験してますけど、そんな事を歌詞にしようとは思わない。そこを言葉にしてしまうのが彼女の才能でした。あらゆる瞬間を自分のために取材している。街を歩いていても人と会っていても、常に吸収していたんだと思います。それを普通の人が見過ごしてしまうような言葉を使って、詞にしていました。」「小松久レコーディングディレクター」

着眼点も違うと言う事ですね、それにしてもその秘訣はなんなんだろうか?この辺りに少し答えがあるように見える。引用します。

坂井泉水「好奇心と感性だけが頼りで、自分のアンテナに良い言葉やメロディーがひっかからなくなったら困りますね。あえと(詞を書く)秘訣をあげるなら私自身がリスナーであること、ではないでしょうか」。

アーティストでありながらもリスナーの目線を忘れないと言う事だろうか?それだけで表現できない意味が

あるかもしれない、音楽のエモーションにうったえかける部分や、グルーヴ感を生み出す部分は意味理論だけで的確な表現はできない、目線と言うよりかは、リスナーとの一体化、一体感に近いのかも知れないですね。とりあえず休憩。