今日は昨日と比べると、やや涼しげだ。今机の上にある本の一つに。アメリカの大学生が学んでいる本物の

教養。斎藤淳著がある。その中にアメリカと日本の教育方の違いや、両国の生徒間の学習、読書方の違いなどが書かれている部分がある。所謂農耕文化からの歴史や、日本独特の和の精神などの良い面の方でなく、

負の面の方が、自己肯定感の低さや英語に対する過度の苦手意識、自らの意見を表に出す、あるいは自らの考えを持つと言う事に不得手と言う現象を作り、それらが学習法にも影響すると言うようなニュアンスが読み取れるが、私が不思議に思ったのが、アメリカの大学生は原書を読み、日本の大学生はそれを噛み砕いた二次資料を読むと言う事。何故か?つまりそれも同じ原因と言う意味なのかも知れない、原書を読み、自ら読み解いたり、その内容を発表、説明するよりは、誰かの権威の安全パイを取ってしまうと言う事なのか。

興味深い内容の本だった。これは別の本の話だがヨーロッパなどに比べると、日本の学生運動や大衆運動は

全然意見の違う、立場の違う人々が議論し合い、一つのまとまりを持った結論やコミュケを作るのではなく

同じような立場の人々が同じような自分達の気に入る意見を言い合う事に終始する事が多くあると言う。

やはりこの本にあるように。

Everybody is different

人は皆違う。

と言う、アメリカの小学校教育に根強く考えも必要なのかも知れないと言う事なのだろうか?

面白い本だ。、