アナタが幸せであれば何もいらない -2ページ目

アナタが幸せであれば何もいらない

大切なひとを想う・・・

http://youtu.be/dcjwpz-6d2s


島根県の青年会議所で作成した竹島問題の動画を紹介致します。皆様方が本気で竹島問題に対して関心を高め、問題解決へ向け取り組んでいく事を切に願います。

今回の韓国の日本に対する暴挙は、目に余るものがあります。日本政府の動きも相変わらず弱腰、左翼マスコミによる報道封鎖。それにより、国民の殆どが未だ、この危機的状況を知らずにいます。
国際法廷にも出て来ず逃げ回る韓国。しかし、韓国による不法占拠は続いております。盗人猛々しい、とはこの事。最早、話し合いの段階では無いと私は思います。

皆様のご賛同・ご協力をお願い致します。

まず、日本は1618年に(現在の鳥取県辺りの商人であった)大谷甚吉、村川市兵衛らが幕府から許可を得て、竹島(当時は「松島」と呼ばれていたという資料が存在する)に渡航する。
その後1692年鬱陵島(当時日本では「竹島」と呼ばれていた)に出漁した大谷・村川の一行が朝鮮人を見つけ、安龍福と朴於屯の2名を米子に連行した為、日本と朝鮮との間に紛争が発生する。 その後3年にわたる紛争の為、竹島(鬱陵島のこと)への渡航禁止(実際には領有権は放棄していない)を決める。
つまり、松島(現在の竹島)への渡航は禁止していないばかりか領有権についても触れていない。
その後しばらく竹島に関する出来事がほとんど無い。

1904年8月23日に始まった日露戦争のさなか、9月29日(1903年頃から隠岐島に住む中井養三郎が竹島でアシカ漁を始めた)中井養三郎が、内務省・外務省・農商務省に「りゃんこ島領土編入ならびに貸下願」を提出。翌1905年1月28日、政府が閣議で竹島と命名し、島根県隠岐島司の所管とした。この時点で、韓国側の反論、講義などは一切無かった。
その後、日露戦争に勝利し、1905年11月17日第二次日韓協約が締結され、事実上、韓国が日本の保護国となった。1910年に入ると8月22日に日本が大韓帝国を併合。
1940年、竹島が島根県から海軍省へと移管。
1945年11月、敗戦による軍部解体により竹島は海軍省から大蔵省へと移管。

竹島問題へと変わっていくのはこの後辺りからである。

1946年1月29日GHQにより、竹島に対する日本政府の施政権が暫定的に停止され、さらに6月22日にはマッカーサーラインにより漁業領域が決められる。それにより、竹島周辺水域での漁業が大幅に制限される。
1948年8月13日大韓民国建国。初代大統領に李承晩就任。

この数年後に締結されるサンフランシスコ平和条約をめぐり、当時の大韓民国政府と米国政府との間で日本国の領土や、韓国政府が戦後に享受する利益に関する交渉が行われる。
その交渉の中で、韓国が米国に対して出した竹島に関するもので言うと提案はおおまかに
A.竹島と波浪島を日本の放棄領土に加え、ポツダム宣言受諾時に放棄したことにすること。
B.マッカーサー・ラインの継続を日本国との平和条約で認めること。

しかし、米国はラスク書簡により竹島については、1905年以降、日本の島根県の管轄下にあり、韓国からの領土権の主張は1905年以前にはなされていないと、米国が認識していると回答。
それに反発した韓国の李承晩大統領は、日本国との平和条約が発効する直前の1952年1月18日にいわゆる国際法上無効とされる李承晩ラインを一方的に宣言。

ここが、一番問題なのだ!


1951年9月8日に、サンフランシスコ平和条約に調印、1952年1月18日に李承晩ラインを一方的に宣言、4月28日に平和条約発効。
その後11月27日にも駐韓米国大使館が「竹島の地位に関する合衆国の理解はラスク書簡のとおりである」と再度韓国外交部(外務省)宛てに通牒を行っている。
1954年日本政府は領有問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、韓国政府はこれに応じない。

その後、日本漁船が韓国側に拿捕されたり、漁民が銃殺されたり、ものすごい被害をこうむっている、そして韓国による不法占拠は未だ続いており、日本政府の弱腰外交がこの現状を招いている、また、動画が示すとおり国民が無関心、マスコミが報道しない、ことにより取り戻せずに居るのです。戦後60年以上に渡り不法占拠を許してしまったこと自体にそろそろツケがきているのです。
アシカ漁水揚げや、漁業水域が変わってくる島根県、しいては日本の国益を損ねてしまっていることになぜ、これほどまでに無関心なのか。
逆に韓国は捏造でありながら、あれほどまでにヒートアップしている。
プロパガンダの成功であろうか。

日本も、そろそろ本気を出して外交すべき。
事なかれ主義、自分さえ良ければ国のことなどどうでもよい政党、議員達。
かつて、国連に人種差別撤廃を提案した強い気概を持った日本はどこへ消えたのか。

竹島だけではないのです、北方領土(択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島、南樺太【サハリン】)を始めとし、魚釣島などの尖閣諸島などもそうです。領土問題から手を離したら、もう、日本ではなくなってしまう。侵略ではないのです。もともと日本のものなのです。
そのこだわりが無くなれば、いずれ沖縄も対馬も取られていくでしょう。最後は、日本本土までシナや南北朝鮮の支配下に置くつもりですか。領土問題とは、国家主権の根幹です。国民全員が意識せずして守れるものではないのです。

と、考えております。
昭和17年8月21日
ガダルカナル島攻防戦でタイボ岬にて散華した大叔父にお会いしに、靖国神社にて御命日の昇殿参拝をしました。

私は、数年前に大叔父の陸軍兵籍簿を取り寄せ、大叔父が北海道の片田舎からあんなに遠い西太平洋ソロモン諸島まで行って尊い命を懸けて戦ってくださったことを知りました。
大叔父は、25歳の若さで散華されました。

一木支隊第三中隊隊員 第一梯団であり、ガダルカナルでの死闘の一番最初の戦いで散華されています。

今年も御命日にお会いしに行くことができて幸せです。

本当に有難うございました。
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