
最近「耳をすませば」(スタジオジブリ/近藤喜文監督)が金曜ロードショーに流れ、
Twitter上で論争になった『月島雫』というヒロインについて叙述でもしようかと思いまして筆をとりました。
<あらすじ> 引用wiki
読書好きの中学3年の月島雫は、父の勤める図書館へよく通うが、自分の読む本を全て先に借りて読んでいる「天沢聖司」の名前に気がつく。その天沢聖司が同級生だと知るのに時間はかからなかったが、天沢聖司のことが何かと気になる雫。
ある日、図書館への道で不思議な猫を見つけ、その猫を追いかける。猫は小さなアンティークショップ「地球屋」へ入っていき、雫は店で老人・西司朗と出会う。西老人は聖司の祖父で、彼は地下の工房でヴァイオリンを作っていた。聖司はヴァイオリン職人になるためにイタリアへ留学したいという夢をもっていた。
確固たる目標を持っている聖司に比べて、何をするべきかが分からない雫。雫は自分の夢を求め、物語を書き始める。
まぁーもともと原作は漫画りぼんのありふれた少女漫画であったのですが、
スタジオジブリの制作によって、原作のキャラクターにも脚色を加え、ごく普通の女の子が、進路と恋愛、友情と家族、に葛藤。
その少女の自立しようとする様をノスタルジックに、「あ、私もこんなことあったなぁー」と感じさせる物語です。
<月島雫は昭和アイドル>
結局、彼女が物語を書くきっけというのは、
•「カントリーロード」を翻訳し、詩にする作業をして、後輩にほめられたこと。
•姉が非常に自立した存在で、時に母親役に徹するほど、雫を子供扱いをしていること。
•これまで恋愛というモラトリアムな葛藤をしていない点。
•今時の女子と違う視点で日常を受容しているという意識。
•好きな人に目標があるという点。
•受験逃避。(受験行為に目的意識が欠如している点)
結果、自己顕示欲による創作行為つまり、自己認識作業=モラトリアム期間という
至極真っ当な自立に向けた精神上による動機にて行った出来事の話なのです。
時に雫は、人の心をズタズタにするほど、自己中心的な行為に走ります。
親友の夕子は一足先に恋愛感情を、同じクラスの杉村に抱きます。
しかし杉村は雫のことが好きでした。
普通なら雫は気づいてもおかしくない杉村からの積極的なアクションに、
気づいてない。
なんなら夕子と杉村をくっつけようと積極的に動き、杉村に夕子の思いを勝手に伝え、答えを迫ります。
結局二人とも傷つけて終わりですが、物語は杉村夕子が二人がいい感じになって終わってます。
雫を中心に物語が動いているそんなご都合主義的な物語に、
みている人たちも安心も覚えるのです。
(まぁジブリは左よりの作品なのでみんなハッピーにという、幸福の分配を考えているので…)
でも杉村が本当に雫のことが好きであったなら、
その程度であきらめる性根の腐ったやつという見方もできます。
話を戻すと、結局彼女の精神上の稚拙な創作行為というのは、よくある中2病なのです。
ようは、自分が大好きで、自分もハッピーになって自分の周りにいる人も同等にハッピーになっていれば、彼女は満足なのです。
しかし、この中2病のヒロインがなぜ世の中に受け入れられているかということなのです。
理由は簡単で、このヒロインがボーイッシュ型昭和アイドルに近いということが理由です。
花の80年デビュー組のボーイッシュ型昭和アイドルといえば、明るく素朴かつ天然で親近感が有り、
マドンナというイメージより、友人感覚に近く、同性からもすかれるタイプの女性。
(ちなみに、このアイドルブームの終焉は広末涼子)
月島雫のキャラクターの振る舞いはどこかこの昭和アイドルに近い。
<「耳をすませば」は脱少女漫画と地下アイドル予備軍を生んだ>
この作品によって、スタジオジブリの客層の幅をぐっと広げる結果になった。
特にジブリをみない若い世代は、この作品をきっかけにジブリ作品を見直したという人も少なくない。
確かに、監督も違い、作品の毛色が違う中で、これまで多くの人気を集めたのか。
まず脱少女漫画に成功した点をあげる。
•眼が異常にでかくない。
•キャラクターに親近感が有る(コンプレックスがある)。
•心の声がない。
•キスシーンがない。
•出来事が日常的。
•ハートや白くホワホワとしたときめきの描写がない。
•過剰に恋愛事情を描写しない。

日常的な生活の中で、少しずつ恋愛描写を描いている点、これはジブリの演出が際立って徹底している点であり、誰しもが共感できるようなストーリーラインである。
さらにいうと、劇的な出来事が一度もおこらないこと!

「あずきちゃん」「時をかける少女」のように、恋愛描写をうまく回避してそのときめき感を表現した作品はいくつもあります。
しかしこれらふたつの作品はどちらも、出来事が劇的なタイミングで劇的なことがおこる作品だといえます。
要は「こんなに世の中都合よくいかねぇーよ」ということが、再々おこると、見ている人たちのノスタルジーな感情は失われてしまい、ときめき感だけが先攻する作品だと言えるでしょう。
その点で本作は、偶然性を極力少なく減らしていますが、それでも、
•天沢という名字が気になっていたこと
•偶然追いかけた猫が好きな人の家だったということ。
•好きな人が、実は自分のことを気にしていたということ。
は原作の少女漫画の要素を踏襲したときめき感を残した、中2病女子ヒロインの日常的な作品であったため話題性をえる結果となったのでしょう。
結果的に、論理は飛躍しますが、
「耳をすませば」の月島雫という女性像は、こ
これまで少女漫画の過剰に飛躍しすぎた世界を嫌悪し、劇的な日常を謳歌できなかった女性たちの中で、
自らの自己顕示欲を表現するために第二のモラトリアム期を夢を追い求める姿に見せられた新しいヒロインに感銘を受けた人たちが、
アイドルやモデルを目指して秋葉原で地下アイドル活動を追い求めるようになったのではないでしょうか?