人生の終いは?

 

北海道の高校を卒業し上京。
大学4年卒業、大工5年の見習いの後
3年の宮大工修行へ。
30歳10か月で独立。
10年経過して、株式会社小川工務店を設立。
来期40期を迎え、創業50周年を迎えるが
記念披露の開催の予定はない。
会長権限の及ばないところではあるが
ここで一息つく気はサラサラない。

現社長も賛成してくれるだろう。

 

私の今は80歳。

還暦 古希 傘寿 卒寿 百寿 と、

傘寿は道「半ば」。

もう少し自分の時間と
仕事への時間を行き来したい。

 

 

2024年3月14日 何を語る。

 

今日は

高校時代の部活の話を取り上げます。

 

以前のブログにも書きましたが、

バドミントン部で活躍していました。

 

入部の動機は単純で、

5つ離れていた兄が、やっていて

「お前もやって見ないか」の誘い。

 

正直、部活としてのバドミントンは

見た事がなかったので、

“羽根つき”の延長線上ぐらいに

気楽に、考えて居ました。

 

ところが、

ウソでしょう! の連続。

 

その練習は、かなりハード。

 

2、3年生の先輩のしごきはキツイ。

 

おまけに

バドミントン出身の先輩が、

なぜか、1~3人時々交代で

時間になると来ている。

むしろ待っている。

 

部活の部員紹介時にはいなかった??

 

何、この人たち。

もう、卒業したのだから

関係ないでしょう?

 

本人達にしたら

そうではないらしい。

 

自分達の作り上げてきた伝統を

守り続けて、欲しいらしい。

 

それにしても、大学生は授業が、

会社員は仕事が、あるでしょう。

 

どんな魔法をかけて来てるのか

解りませんが、いつも交代で来る。

 

兎に角、

練習はハードで、きつかった。

 

その時代は、練習中に水分は不可。

今じゃ考えられない。

 

それも、バドミントンは風が有ると

飛ぶコースがずれる。

 

難敵

 

夏の暑い時期でも、窓はしめっきり。

水が欲しくなりますョ。熱い。

 

 

そして、冬の部活。

 

バドミントン部、卓球部、体操部、

柔道部、剣道部、バスケット部などは

それなりに、面積は確保されているが、

 

冬の練習では

それに、野球部,サッカー部,バレー部

テニス部、が入り込んで、

室内体育館はもうグチャグチャだ。

 

その中では、一定の序列があって

インターハイの成績がモノ言う。

 

依って、

北海道で常に上位のバドミントン部は

幅をっきかす。

 

練習場の面積はしっかり確保するし、

そうであっても

他の部活からの苦情は出ない。

 

 

今日書きたかったのは、

若者は寒さに強い、って事。

 

部活が始まる時には、皆、着替える。

 

当然、学生服を脱いで運動着に。

 

その時、ズボンの下に、ズボン下を

履いていたもんなら、ブーイングが。

 

そんなの、勝手なのですが、

“意気地なし”

のパッシングが来る。

 

その時の年代では

「えっ~」とか

「あれ~」と指刺されは大問題なのです。

 

旭川の-20℃でもですよ。

 

体育部の全員が、ズボンの下はパンツ。

 

ズボン下は履いていません。

 

今じゃ考えられません。

 

後で、知ったのですが

何人かは、部活の始まる前に

トイレで、脱いでいた、とか。

 

それより感心していたのは

女生徒たちの中に

 

スカート、ストッキングだけの生徒が。

更に、そのストッキングもない女性が、

 

旭川の-20℃ですよ。

 

女性は強い。

 

尤も、我が子の中にも、丈夫なのが。

その子が4歳の頃、

 

住んでいた柏の正月に、

前当て有りの、後ろばってん、

上半身殆ど裸同然でも、平気でした。

 

勿論、我が子は女の子です。

 

チャンチャン