人生の終いは?

 

北海道の高校を卒業し上京。
大学4年卒業、大工5年の見習いの後
3年の宮大工修行へ。
30歳10か月で独立。
10年経過して、株式会社小川工務店を設立。
来期40期を迎え、創業50周年を迎えるが
記念披露の開催の予定はない。
会長権限の及ばないところではあるが
ここで一息つく気はサラサラない。

現社長も賛成してくれるだろう。

 

私は今80歳。

還暦 古希 傘寿 卒寿 百寿 と、

傘寿は道「半ば」。

もう少し自分の時間と
仕事への時間を行き来したい。

 

 

2024年3月9日 何を語る。

 

昨日ブログに書いた部分で、

訂正と付け加えが有ります。

 

訂正としましては、

石狩川の河口付近に出来た孵化場は

60年前ではなく、70年程まえの事です。

 

石狩川は、旭川市の真ん中を分ける様に

流れていて、堤は100メートル程有り

ですが、川幅は40メートルあるか

ないか程度で、

更に、桟橋のある場所は、30メートル程。

 

そこで、鮭がひしめき合いますので

小学低学年でも、尾びれなどを触る事が

出来たと、言う話です。

 

今思うと、なんと貴重な体験でしょう。

 

我が故郷の旭川市の少し上流に

国策パルプ工場が有りました。

 

何とひどい事に、その廃液処理が

出来てなく、

廃液そのまま石狩川に流していました。

 

そこから下流に向けて、

流れる廃液の匂いが凄く、

川全体が、汚染された廃液であり、

その周辺までも匂いが漂っていました。

 

釣り上げた鮭の身は、とても食べられた

物ではなく、

猫さえ跨いでいく、“猫またぎ”などと

悪口をが言われていました。

 

私達が、贅沢していた訳ではなく、

とても

食べられたものではなかったのです。

 

卵子は塩付けにして筋子として

食べるので、何とかなった、

と言う話です。

 

ひどい話で、

そんなひどい工場を国策として許可

する、国も、道も考えられないネ。

 

北海道民を何だと思っている

のでしょうと、今思うと腹が立つ。

 

その頃は、食べることだけで、精一杯

それ以外に頭が回らず、市民運動など

考えもしませんでした。

 

元々の北海道の住民であるアイヌ民族

の問題も、その事は言えます。

大した保証もせず、

土地買収に応じさせたやり方は、

今でも、不満がくすぶり続けています。

 

アイヌ民族に力があたら、

民族問題で改めて闘争が起きてるかも。

 

イタイイタイ病なんかも何年も放置し、

訴訟を起こされて、やっと重い腰を

上げた事でも解りますが、

 

国と、政治と、企業が合流すると

一方では、とんでもない事が起きる

例ですね。

 

今日は、少し暗い話になりましたが

明日は、痛快な話にします。

 

チャン チャン