こんばんは。
勝手に「もうひと花PROJECT」やっています。
…が、そろそろタイトル変えます。
さて、昨日3月9日。
ついにこの日が来てしまいました。
約3年間、ともに練習してきたパートナーの片田さんが、異動で地元でもある岡山に帰られるということで、一緒にできる最後の練習の日でした
片田さんと初めてお会いしたのは、平成最後の大会であった「堺シティーマラソン」
共通のランニング仲間であるタイチさんを交えてたまたま話すことになり・・・
「お互い職場が宇治市なんですね!?よかったら一緒に練習しましょう!」となりました。
ちなみに、その大会ではタイチさんも含めて「入賞争いしましょう」なんてスタートラインで話していたのですが、3位までが入賞の中で3人の順位は6位7位8位…ちょっぴりほろ苦い結果となったわけですが、互いの健闘を称え合った記憶があります。
そこから主に太陽が丘で一緒に練習することになりました。
片田さんは40代半ばに差し掛かる年齢にもかかわらず特にスピードにキレがあるランナーで(おそらくかつてはカミソリみたいにキレキレだったのでしょう.笑)…
最後の練習は、その後に食事しようということになっていたので、いつも400mのインターバル走を15本することが多いのですが、少なめの8本にしたところ(太陽が丘ロードコースで行ったので、上り⇔下りの往復です)
73" 66" 74" 66" 74" 66" 73" …ときて、僕はラスト1本67秒にちょい落ちしたのですが、片田さんは62秒
最後に遠い背中を見せていただきました。
逆に、ペース走系の練習は現状では僕にアドバンテージがあることが多く、僕が引っ張ることの方がやや多かったと思うのですが、後方で「普通の人なら絶対やめてる」くらい息が上がりながらも最後まで設定を守って練習を終えるメンタルの圧倒的な強さをお持ちの方でした
さらに、人格的にもとても尊敬できる方で、謙虚でありながらチャレンジ精神にあふれていて、とても勉強熱心で…
周に1回、練習のアップとダウン時にお話しするできるのをとても楽しみにしていました
お互い意見を出し合いながら練習メニューを決めて、一緒に試行錯誤しました。
特に思い出すのが、一時期調子を落としていた時に、そのことを片田さんに正直に話して「今日はずっと後ろをつかせてください」とお願いして何とかつかせてもらい、その日から復調に向かっていけたことですね
令和になってから、僕はいい感じで記録が伸びているわけなんですが、それは片田さんのおかげと言っても過言ではないです。
そして、とても嬉しいことに片田さんも同じように僕との練習を大切なものと捉えてくださっていて、おかげで速くなれたという言葉もいただきました。
奇しくも最後の練習の日は「3月9日」
レミオロメンの名曲、卒業式の定番ですね。
瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい
片田さんには失礼ながら、アラフォー男子二人の間に唄うのは少し抵抗がありますが(笑)
特にサビの後半部分がとても気持ちにリンクしました。
片田さんと出会え、一緒に走れたことは大きな財産だと思います。
今回の別れは非常に辛いですが、これまでの思い出を胸にお互い走り続けましょうねと最後に語り合えました
それも含めて宝物ですね。
次にお住まいは岡山マラソン会場の近くとのことなので、ぜひ走りにいきたいと思います。
そして、これからのことです。
改めて気付いたのですが、毎週のように片田さんとの練習ができることはとても楽しかったのですが、一方でそんなあまりに居心地の良い環境に安住しすぎていたのかもしれません。
この別れをキッカケにして、色々と広げていこう!という心境です。
詳しくはまたこれから綴っていけたらと思いますが、色々と動きのある春になりそうです
片田さんと再会したときにランナーとしても人としても一皮むけた自分でいられるよう、しっかり動いていきますよぉ