ささやかな大発見
前回大泣きの話がでたので、もう一つ「泣き顔」についてのお話。
創太をじっくり観察していると、人には「泣くまでの顔」
というものがあるのだと、改めて気づかされました。
「泣き顔」ではなく、「泣くまでの顔」です。
これがすごく面白い。
まさに口への字になって、まゆげがハの字になって、
だんだんその角度がシャープになってきたと思ったら
ついに決壊!!という感じ。
しかもさらにすごいことに
その過程は一方通行ではないのです。
それは、3歩あるいては2歩さがった・・・とみせかけて
いきなり全速力で走りだす、というようなあり様。
まるで寄せては返す波のようで、
いつもそこには新しいリズムがあって、
本当に見ていて飽きることがありません。
悪い悪いとおもいつつ、結構ギリギリのところまで
観察してしまうイケない母親は、
きっと私だけではないハズ・・(と願いたい)。
だってオトナ社会の中で生きていると、
「泣くまでの顔」なんて珍しいものには絶対に出会えない。
「泣くまでの顔」どころか「泣き顔」だって滅多にお目にかかれない世の中だ。
ってそりゃ恥ずかしいもんね。
でも、赤ちゃんは、違うのです。
「赤ちゃんは泣くのが仕事」という言葉があるくらい
その道にかけては他に右にでるものがいないくらいだから、
さすがに表現力もピカ☆イチです。
もし創太が言葉を持っていたら、波の狭間で
「やべー俺、今悲しいのかも」
「い、いや、どうなんだろうか」
「いや、悲しいよ」
「う、うん、確かに、悲しいよ」
「うん、間違いなく、確かに、悲しいよ」
なんて自問自答してるんだろうか?
きっと泣くに至るまでの間に
一生懸命感情を整理してるんだよね。
もし大人が、泣くに至るまでの過程を自分で観察なんかしたら
きっと悲しんでなんていられなくなってしまうだろうな。
ためしに私も創太の真似してへの字とハの字を作ってみたけれど
それだけでむしろ笑ってしまったくらいです。わはは。
とにかく。
人には「泣くまでの顔」というものがあったのデス!!
そして「泣き顔」に至るまでに、こんなにも行きつ戻りつ
面白いリズムを生み出せるのも、きっと赤ちゃんだけなのだ。
そんな、ささやかな、大発見。
創太をじっくり観察していると、人には「泣くまでの顔」
というものがあるのだと、改めて気づかされました。
「泣き顔」ではなく、「泣くまでの顔」です。
これがすごく面白い。
まさに口への字になって、まゆげがハの字になって、
だんだんその角度がシャープになってきたと思ったら
ついに決壊!!という感じ。
しかもさらにすごいことに
その過程は一方通行ではないのです。
それは、3歩あるいては2歩さがった・・・とみせかけて
いきなり全速力で走りだす、というようなあり様。
まるで寄せては返す波のようで、
いつもそこには新しいリズムがあって、
本当に見ていて飽きることがありません。
悪い悪いとおもいつつ、結構ギリギリのところまで
観察してしまうイケない母親は、
きっと私だけではないハズ・・(と願いたい)。
だってオトナ社会の中で生きていると、
「泣くまでの顔」なんて珍しいものには絶対に出会えない。
「泣くまでの顔」どころか「泣き顔」だって滅多にお目にかかれない世の中だ。
ってそりゃ恥ずかしいもんね。
でも、赤ちゃんは、違うのです。
「赤ちゃんは泣くのが仕事」という言葉があるくらい
その道にかけては他に右にでるものがいないくらいだから、
さすがに表現力もピカ☆イチです。
もし創太が言葉を持っていたら、波の狭間で
「やべー俺、今悲しいのかも」
「い、いや、どうなんだろうか」
「いや、悲しいよ」
「う、うん、確かに、悲しいよ」
「うん、間違いなく、確かに、悲しいよ」
なんて自問自答してるんだろうか?
きっと泣くに至るまでの間に
一生懸命感情を整理してるんだよね。
もし大人が、泣くに至るまでの過程を自分で観察なんかしたら
きっと悲しんでなんていられなくなってしまうだろうな。
ためしに私も創太の真似してへの字とハの字を作ってみたけれど
それだけでむしろ笑ってしまったくらいです。わはは。
とにかく。
人には「泣くまでの顔」というものがあったのデス!!
そして「泣き顔」に至るまでに、こんなにも行きつ戻りつ
面白いリズムを生み出せるのも、きっと赤ちゃんだけなのだ。
そんな、ささやかな、大発見。
「俺、今悲しいのかも」