松井秀喜、巨人監督就任。失われた24年と、新たな時代の始まり。
松井秀喜の読売ジャイアンツ監督就任が報じられた。クライマックスシリーズ敗退後、新監督の発表が行われない異例の空白が続いていた。それだけに、松井秀喜の名前が最後まで残っているのではないかという予感はあった。しかし、その予感が現実になった今、体の奥底から湧き上がる喜びを抑えることができない。ようやく、この日が来た。1992年のドラフト会議で、星稜高校の松井秀喜をジャイアンツが引き当てた。そして、2002年のシーズンを最後にニューヨークへ旅立つまでの10年間、私にとって読売ジャイアンツは、実に魅力的な球団だった。幼い頃に見たON時代を除けば、読売ジャイアンツとは、すなわち松井秀喜だったのである。王貞治以来、ジャイアンツが自前で育て上げた、日本球界を代表する大砲。巨人時代には3度のMVP、本塁打王と打点王をそれぞれ3度獲得。メジャーリーグでも活躍し、2009年にはワールドシリーズMVPに輝いた。日米通算507本塁打。その実績は、改めて説明するまでもない。だが、松井秀喜の魅力は、単なる数字では語り尽くせない。打席に立つだけで球場の空気が変わる。相手投手に重圧を与え、観客に期待を抱かせる。あの存在感こそ、当時のジャイアンツを象徴するものだった。長かった。松井秀喜が巨人を離れてから24年。この間、なぜ球団は松井を監督として迎えることができなかったのか。その問いを、今回の就任という慶事だけで片付けてはならない。かつて松井と渡邉恒雄氏との確執が噂された。その真相は明らかではない。しかし、仮に個人的な確執や球団内部の事情が監督就任を妨げていたとすれば、それは読売ジャイアンツという組織の重大な問題である。監督人事とは、球団の将来を左右するものであり、特定の人物の感情や思惑によって決められるべきものではない。もし松井秀喜を迎える機会がありながら、それを逃してきたのであれば、その責任は厳しく問われなければならない。松井がもっと早く監督に就任していれば、ジャイアンツの歴史は違ったものになっていたかもしれない。原辰徳が通算17年間にわたって指揮を執ることもなかっただろう。もちろん、松井が監督になれば必ず成功したという保証はない。しかし、その可能性すら実現させなかった長年の監督人事について、球団は検証する必要がある。そして、今度こそ球団は同じ過ちを繰り返してはならない。今季のジャイアンツは、阿部慎之助がシーズン途中で辞任し、橋上秀樹監督代行の下で優勝争いを続けたものの、最終的には2位に終わった。クライマックスシリーズでもDeNAに連敗し、シーズンを終えている。若手選手には出場機会が与えられたが、絶対的なレギュラーが不足しているという現実は変わらない。松井が引き継ぐのは、決して完成されたチームではないのである。松井秀喜という名前だけで観客を集め、球団の人気を高めようというのであれば、あまりにも浅はかだ。松井を監督に迎えることが目的ではない。松井の下で、どのようなチームを作るのか。その具体的な構想と実行力こそが問われるのである。補強、育成環境の整備、コーチ陣の編成。そして、監督が自らの野球観を実現するための権限と体制。球団は必要な支援を惜しんではならない。監督には勝利を要求しながら、戦力不足や編成上の失敗まで監督個人に押し付ける。そのような無責任な球団運営が許されるはずもない。何よりも、松井秀喜に恥をかかせてはならない。無論、松井には監督としての実績がない。偉大な打者だったことと、優れた指揮官になれることは別問題である。采配や選手起用については、当然、厳しい評価にさらされるだろう。だからこそ、球団は監督としての力量を発揮できる条件を整えた上で、その仕事を評価すべきである。松井秀喜の監督就任は、読売ジャイアンツにとって大きな転機となる。だが、その歴史的な人事を成功させられるかどうかは、松井個人の力量だけで決まるものではない。松井秀喜という名前を利用するだけなのか。それとも、松井に新たな時代を託し、球団そのものを変えていく覚悟があるのか。読売ジャイアンツの真価が問われるのは、まさにこれからである。2002年、松井秀喜がニューヨークへ旅立ってから、私の中で読売ジャイアンツという球団の存在は、次第に遠いものになっていった。その空白を埋めることができるのは、やはり松井秀喜しかいなかった。今日から、松井秀喜と読売ジャイアンツの観察記録を本格的に開始する。松井秀喜が率いる新しいジャイアンツ。その歩みとともに、球団が果たすべき責任を厳しく見つめていきたい。