マイストーリー③大事件!のあと結婚・出産、がんばりスイッチ入りまくり子育ての始まりました! | 科学的な引き寄せで、頑張らなくてもスルスルうまくいく波に乗る!1分でできる「直感の覚醒プログラム」講師・柴川桂子

科学的な引き寄せで、頑張らなくてもスルスルうまくいく波に乗る!1分でできる「直感の覚醒プログラム」講師・柴川桂子

がんばってるのにうまくいかないなんて、もったいない。実は行動する前にやることがあるのです。ここでは、無意識(潜在意識、集合意識)の活かし方をお伝えしていきます。

今日もお読みいただきありがとうございます。

 

田舎で生まれ育ち、父母兄妹の五人家族の

愛情もいっぱいな中

 

「いい子でなければならない」

「不安でなければならない」

 

などの制限も、身に着け

 

生き苦しさを感じながら過ごした子供時代

ありました。

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そして、高校3年生のとき

私にとっての事件が起こります。

 

その事件とは・・

 

進路は

小学校の先生になるため、初等教育学科に進学」

と決めました。

 

音楽が大好きだったのと

 

中学生で、いじめにあっていたころ

数学の塾の先生や

学校の音楽の先生と話すと

心が落ち着き

 

「思春期に、私みたいに

迷っている子がいたら

話を聞いてあげたい」

 

と思ったのがきっかけでした。

 

当時、高校の先生をしていた父から

 

「中学校は荒れてるから、音楽の先生は

授業にならなくて大変!

小学校の先生がいいよ」

 

とアドバイスをもらい

確かに!!

中学校の音楽の時間は動物園状態だったので

小学校の先生になることにしたのです。

 

父や親せきに学校の先生が多かったのと

小、中、高、と友達から

 

教え方が上手

けいちゃんに教えてもらったらよくわかる!

 

と褒められた経験があり

 

「私は先生に向いてるかも」

「何でもいいから先生になりたい」

という思いもありました。

 

いくつか私立を受けて

最後、国立大学の試験の時、実家の因島から

高知まで、一人で行くことになりました。

 

その日までに、大変なことが何回もありました。

受験の大切な情報で、

同じ教室の中にいるのに

私だけ聞けてないことが何回もありました。

 

学割の制度も、前日まで知らなくて

同じ高校だった妹が

朝早く事務室に行って学割を取り

バス停から、バスの中の私に

学割を渡してくれたことも。

 

「私はどこかおかしいのかな。

手がない、歩けない、とかなら

人にわかってもらえるけど

 

私はどこかおかしいのに

誰にもわかってもらえなくて

これから一人で生きていけなかったらどうしよう」

 

と、本気で悩んだ時期がありました。

 

そんな中、一人で高知に向かう途中

またやってしまいました。

 

今治から、違う電車に乗ってしまったんです。

 

一時間くらいして、どうも駅名がおかしいのに気づき

あわてて飛び降りたのが、小さな駅で

高知に向かう特急が止まりません。

 

その駅で2時間待つことになりました。

高知駅で待ってくれていた

高校の先輩には、母からなんとか連絡をつけてもらい

 

「私は、なんでいつもこうなんだろう・・」

 

と途方にくれましたが、気を取り直し

本を買いに行くことにしました。

 

もう勉強する気にもならないし

まだまだ長い道のりですから。

 

そして、駅の近くの本屋さんで

じっくり30分くらいかけて本を選び

さびれたホームに帰ってベンチに座り

 

「さあ読みましょう」

と思って袋から本を出すと

 

何と!何と!

読んだことのない本の下巻

だったんです!!

 

もう、私はおかしくて、笑いだしそうでした。

そして

 

「なるほど!これが私なんだ。

私は人より失敗が多いんだ。

だから、いちいち落ち込んでいたら

心が持たない・・。

 

落ち込むところをすっとばして

全力で挽回するために行動しよう!

 

そうしたらどんなに失敗が多くても

ちゃんと生きていける!」

 

と、自分を発見した気がしました。

 

「失敗が多い私でも、大丈夫!」

 

と自己承認できたのです。

 

その後は、清々しい気分でその下巻を読み

車窓から、大歩危小歩危の雄大な景色を楽しみ

無事受験を終えて、島に帰りました。

 

「失敗が多い自分でOKと、自己承認できた」

「行動する=がんばれば、道は拓ける」

 

ことを学んだ出来事・・これが

私にとっての大事件でした。

 

高知大学には結局合格しなかったので

広島の文教女子大学に進み

大学の近くでの寮生活が始まりました。

 

大学は、一クラス55人で

一年生から四年生まで同じメンバー。

 

小学校の先生になろう!という人たちは

性格も優しく明るく、いい人ばかりで

3人部屋の寮生活もとても楽しかったです。

いつもどこかの部屋に集まって

勉強したり、話をしたりしていました。

 

高知大学受験の事件から

少し自分に自信もついて

 

自分の存在価値を維持するために

ピアノを弾く必要がなくなったので

 

毎日、友達と楽しく勉強し

遊んでいました。

 

明るく活動的にもなり

山登りやキャンプをするユースホステルクラブに入り

大好きだった自然も、また楽しみました。

自分が変わることで

苦しい恋愛も、楽しい時間に変わっていたのですが

 

そんなとき、教員になった彼が

うつ病になってしまったんです。

 

原因は、授業中に体調が悪くなったこと。

まじめな人だったので

 

「また授業中、倒れるんじゃないか

生徒に迷惑をかけるんじゃないか」

「ちゃんとしなくては!」

 

と自分を追い込んでいったみたいでした。

 

明るく陽気だった彼が

会っても真っ青な顔をしていたり

会話が全く続かなかったり・・・

 

そうなると、また、そのマイナスな状況に

エネルギーを奪われていき

 

不安が強くなって、何もやる気が起こらなくなり

ユースホステルのクラブもやめ、結局また

ピアノばかり弾く生活に戻ってしまいました。

 

そして、別れ話を何回も、どちらからもしたけど

一人になるのが恐ろしくて、結局別れられず

 

楽しい恋愛などしてないけど

一人で生きていく自信がなくて

 

「うつ病は、だいぶよくなったから」

 

という、彼の言葉をうのみにし 

大学の卒業式の3日前に結婚式をあげました。

 

大学を卒業した私は

「人としての生き方がわからないから、道徳が教えられない」

と、小学校の先生になる勉強はせず

ヤマハ音楽教室の先生になりました。

 

ヤマハ講師の新人研修と

子供たちへのレッスン、家事

どれも慣れないことばかりで大変でしたが

 

がんばることはできるから

毎日がんばってました。

 

前夫のうつ病は、思っていたよりひどい状態で

家での会話はほとんどなく

 

「嫌われてるのかな?

何で結婚しよう、と言ったのかな?」

 

と、エネルギーの低い私が前夫を支えることもできず

不安いっぱいの新婚生活でした。

 

でも、実家が近く、父や母、妹

みんなが応援してくれて、何とか

結婚生活を続けていました。

 

そんな中、妊娠し出産。

夫は、自分の精神状態のことに夢中で

育児に協力的ではなかったけど、

私は長男が生まれてしばらくは

本当に幸せでした。

「この子を、どうやってでも幸せにしてやりたい!

でも、どうやって?幸せって何だろう・・」

 

「この子を幸せにしたい!」

と、全身全霊かけてやりたいことができたんです。

 

(このときはまだ、子供は「幸せにしてやる存在」と

思っていました)

そして、数か月後

長男をベビーカーに乗せて散歩をしているとき

田舎の狭い路地の奥から、笑い声が聞こえてきました。

 

「楽しそうだな、この子にも

もう友達がいたら楽しいだろうな」

 

「どうしよう、行ってみようかな、やめとこうか・・」

 

その路地の前を行ったり来たりしながら

「この子はまだ歩けないから

私が連れていかなかったら、友達ができない

よし私はこの子のためなら何でもやろう!

 

と、その路地を抜けて

笑い声がする方へ歩みだした一歩の感覚

今も覚えています。

 

この子のためなら何でもやる!がんばる!

と決めました。

 

長男誕生から2年半後に

かわいい次男もやってきてくれました。

 

そのころ「自然育児」や「子供の群れ育ち」

の情報を知り、「これだ!」と、はまりました。

 

 

そこから、子育てサークル3つ主催を掛け持ち

保育園後も、友達もみんなうちに連れ帰り

家が託児所状態・・

 

 

保育園より幼稚園がいいんじゃないか

と幼稚園に変えたり

 

子供だけの群れ遊びを推奨した一週間の山村体験に行かせ

自分もスタッフに行くなど

理想の子育て環境を追い求めて、がんばっていました。

 

 

「自然の中で子育てしたい、それも、群れ育ち!」

と理想を掲げる私を

因島で畑をしていた父と母が

本当によく手伝ってくれました。

 

子供たちの友達を引き連れて

畑に行き、父に焼き芋をしてもらったり

 

近くの山で探検ごっこをしたり

子育てに没頭した毎日は

楽しいこともたくさんありました。

 

楽しいこともありましたが

気持ちの平安はなかなか訪れず

 

高校三年生のときの

「行動すれば、道は拓ける」体験と

「こどもを幸せにしたい!」という想い

 

両方のおかげで

「ねばならない!がんばる!」体験を

どんどん極めていきます。

 

ただ、夫婦中も不安なままだし

幸せが何かわからないから

 

「もっともっと、がんばらねばならない!!」

 

と、不足にフォーカスし

行動のベースは「不安」でした。

 

それをやり続けると、どうなるか・・・。

 

がんばり続けた私が、どこにいきついた次回の投稿も、
お楽しみにしていてくださいね。

 

今日も最後までお読みいただき

ありがとうございました。