まえがき | 桂乃徒然

まえがき

現在、佐々木桂は、秋田魁新報でほぼ月イチ連載中ですが、このエッセイは、その年の新年号に掲載された読み切りエッセイ。この仕事をきっかけに、連載を持たせてもらうことになった、記念のエッセイです。

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 「旅」という言葉を聞くと、今でもどこかワクワクドキドキする。もしコレが「旅行」だったら「ふ~ん」てなもんだが、旅って響きはどこか非日常的で居心地がいいのだ。とはいっても、旅といえるほどの冒険なんてそれほどしたこともないのだが、唯一それっぽいのは、20代に回ったアメリカ。ある種の哀愁を感じる一人旅にも憧れてたけど、残念ながらその時は男同士の二人旅。まあ、英語が満足にできない僕にとって、一人旅はかなり退屈でストレスだっただろうから、結果的にはよかったのかもしれない。お喋りな人間にとって、感動を帰国まで誰にも話せないのは相当ツライ。哀愁に浸ってる演技をするにも限度ってものがあるから、さすがに1ヵ月もそれでは身が持たなかったはずだ。
 相棒がいて心強いとはいえ、海外といえば一度か二度のパックツアーしか経験のなかった僕にとって、飛行機のチケットを自分で手配するだけでも結構ドキドキもん。それなのに、現地についたらレンタカーも借りなきゃいけないし、ホテルだって行き当たりばったりで探さなきゃなんない。毎日が冒険の連続だった。だからこそ、今振り返っても「行っといてよかったぁ」といえる旅だった。
 出会うすべての出来事が楽しかったし、若いがゆえの怖いもの知らずが招き入れてしまう、ちょっとした事件のすべてに感動した。知識がない分、見る物聞く物カルチャーショック。東京に出てきた時も、そうとう嬉しいショックを受けたけど、それからたった数年しか経ってない人間が、アメリカくんだりまで行くんだから、舞い上がらないはずがない。案の定、事件は起こる。
 レンタカーを借りて数日後のニューメキシコのモーテル。夜はライブハウスになるということを知らずに泊まり(これだってオーナーが説明したはずなのだが、なにしろこっちは英語がわからない)、旅の疲れもあってライブの喧噪も知らずに爆睡。あくる朝、目を覚ました日本発平和ボケ青年二人は、ただただ唖然。レンタカーがボコボコなのだ。焦りまくりでフロントに駆け込むと、オーナーが大工道具のバールを渡してニコリと微笑む。「よくあることさ」だと。こんなもの1本で直せるわけもなく、お願いしてポリスを呼んでもらったが、そのポリスとてほとんど驚いていない。レンタカーの契約書を見て、保険に入ってるのを確認すると「ノープロブレム」だもの。こっちは大きなプロブレムだっての。結局、できない英語を駆使してわかったことは、レンタカーなら修理代がかからないってこと。なんだったらどっかの営業所でとっかえてもらえという。
 レンタカーに関しては、その後もいろいろ事件があった。ある時、高速でパンクして修理屋呼んだら、タイヤを交換しろとしつこい。またまたつたない英語で聞くと、そこで支払うタイヤの代金は、レンタカーの精算の時に返却されるという。そうはいわれても、無知な日本青年は疑心暗鬼。結局、そのオヤジのいう通りだったんだけど、コレだって当時はわからずドキドキものだった。スピード違反でもよく捕まった。窓を開けたらいきなりピストルつきつけられて、クルマを降ろされる。異国の地で、コレは怖いッスよ。でも、何のことはない。ポリスの安全のためにやってるだけで、もちろん撃つわけでもない。終始ニコニコ顔の若いポリスは、早口でまくしたてた後、パトカーについて来いという。警察署へ連行されるのかとついて行くと、寄った先はコンビニ。「さすがアメリカ、警官ですら勤務中に買い出しかよ」と思っていたら、なんと罰金の支払いはコンビニでするんだと。レジのおばちゃんに「ユー・アー・アンラッキー」って笑われたけど、旅の経験とすれば十分ラッキーな出来事だった。ちなみにコレはテキサスにて。
 他にも、国境越えて入ったメキシコで、クルマにカギを入れたままドア閉めて、どう考えてもアル中のおっさんに(ビール片手に運転してるんだからビックリ)、ビール一本おごって空けてもらったこともある。ちなみにメキシコの屋台のタコスは世界一うまい。そうかと思えば、迷い込んだアーミッシュ(映画「ジョンブック」にも出てくる、いまだに現代文明を拒絶した生活を守る厳格なキリスト教の一派です)の村で出会ったおじさんに、家に招待されて家族とランチを一緒にさせてもらったりとか、ニュージャージーの農家のおばさんにただで泊めてもらったりとか、たくさんの優しさももらった。
 机の上では学べないことが、旅にはたくさん落ちている。しかも、旅に出ると決まって故郷を思い出す。ちょっとした水の流れや、青空に舞う土埃、そして人々の喧噪に、なぜかふと故郷の東成瀬村を思い出し、「アメリカで東成瀬はねぇよな」と一人苦笑した。僕の予想でしかないが、きっと誰しもが経験することではないだろうか。旅に出ると、否応なしに一人の自分と向き合うことになる。自然に自分自身を見つめているから、そのベースとなる故郷を思い出すのだろう。その中にいると忘れがちな故郷の良さを、旅に出ることで再確認するのだ。それが旅の楽しさの一つでもある。流される生活に歯止めをかけ、一度立ち止まって、ゆっくりと歩き出すきっかけを作ってくれる「旅」。今年こそは、がんばって時間(と、お金?)を作って、ぜひまた、そんな旅に出かけてみたい。みなさんも、いかがですか。