最近、自分の個性をまた発揮したいと思ったので思うところを書いてみます。

過去にも障害=個性ではない。
と書いた記事あります。
このブログ記事から抜き出してみると、

(個性)を出そうとしていたら、私の前に壁(障害)があらわれました。

障害はその人の全てではない。
障害が個性なのではない。

今まで出来ていたことに向かうことが出来なくなってしまった私は、苦しいのは障害なのではなくて、個性にエネルギーを使えないことなんだと思いました。


障害=個性であれば、

「個性」に苦しめられる人がたくさんいます。


障害が個性なのではない。


だから「個性」には苦しめられるものではない。


ほとんどの場合は個性を表に出していない。

みんなと合わせようとしていて合わせるのに限界が来た時、みんなとは違う状況になってしまう。


それは個性の裏側です。





今の私は障害=個性と言われても傷つきません。

でも、イコールではないと今でも思います。


私はADHDに効くかもしれない薬をこれまでにもすすめられてきました。

だけど一度も試していません。

それは、自分の中にあるプラスになっている要素(個性)が薬を飲んだことによって弱くなってしまうことをおそれたからです。(私がそう思い込んでいるだけですが)


だけど日常生活で困っていることがあります。

ADHDもですが特に限局性学習症での特性からきているのではないか、と思っています。


困っていることを解決しようと思うと、仕事上ではスタッフに簡単な作業を頼み(私にとっては難しいこと)、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。


そんな私はだんだん元気がなくなっていきましたが、スタッフは私の頼んだ作業を快く行ってくれ、助けてくれ、

私が元気に戻ることを一番に考えてくれて、そうすれば(私が自由にのびのびと個性を発揮すれば)、かっちゃん便利屋が上手くまわるから、と信じてくれて。


私の個性は、

興味があることに今すぐ飛び込みたくなること。


私の個性で始めた『かっちゃん便利屋』が自分でも驚く仕事をもらえたり、出会いがあったり、

そして継続していられるのは、スタッフが私の個性を面白がってくれて、何かあったら後は任せて!とサポートしてくれるからです。


だから私は決心できました。


物心ついた頃から夜行性で夜になると覚醒してしまう。

30代後半になってきたらこんな私でも睡眠時間が足りないと感じ、だけど夜行性のままだから睡眠不足がたたって体調を崩していった。


最近やっと覚悟して薬を出してもらった。困ってます、と言うまでに40年もかかってしまった。


これからがスタート。


そして日中よいパフォーマンス(個性)を発揮したい☆