キダ タロー 先生 | つくづく ぼうし

キダ タロー 先生

木田先生

 

両親が淡路島から出てきて大阪の旭区で興した

小さな洗濯屋の倅が、いつも親や職人さんが聞いていた「フレッシュ9時半キダ・タローです」に何度か出していただいて

 

そののち

1年だけでしたが

「タローのYOU遊スタジオ」という名前になった時に

「フレッシュ9時半」の時代からの伊藤ハムさんがついて下さって

冒頭の「オープン ザ ウインドウ」という

 

自動車電話が付いたテレッカーという中継車で番組オープニングの外からの中継を帯でやらせていただきました。

 

以来、可愛がって下さり40年近くお世話になり、結婚披露宴では乾杯のご発声をお願いし

 

2人の娘が生まれた時はお祝いを下さいました。

 

そして昨年の夏には四十周年落語会に立派な胡蝶蘭を下さいました。

 

時々LINEのやり取りをさせていただいてましたが

 

直接お会いしたのは

 

2年前に

上方落語協会が

落語家の祭り

「彦八まつり」で先生に作曲していただいた上方落語協会賛歌「エブリデー KAMIGATA RAKUGO

を落語家がリレーで歌ったあとの

総評としてワンシーンのご出演をお願いした時

モニターでの落語家の歌唱をお聴きになったあと、振り返って「まぁまぁやな」の一言をいただくために、わざわざ豊中のスタジオまでご足労いただきました。

 

そして、お帰りは私の車でご自宅までお送りして

 

ご自宅で美千代奥様から淡路産の玉ねぎをいただいた、この時が最後になってしまいました。

 

木田先生

とうとう、刑事だった厳格なお父様、優しかったお母様のところに行かれるんですね。

 

なんか親を亡くした時と同じような気持ちで寂しくてたまりません。

 

木田先生

長きに亘りありがとうございました。

大好きです。 坊枝