弁護士として四十八年以上、企業の争いの現場にいた。
契約の不履行。経営権をめぐる対立。信頼の崩壊から生まれる訴訟。一つひとつの案件に向き合いながら、私はある問いを拭い去ることができずにいた。
なぜ、人間は争うのか。
法律は争いを裁くことができる。しかし争いの根を断つことはできない。根はもっと深いところにある。法律の言葉では、そこに届かなかった。
松村寧雄先生との出会い
その問いに答えを持っていたのが、松村寧雄先生だった。
先生は言われた。
「仏教はシステムである。」
これは宗教的信仰の言葉ではなかった。人間の意識と存在の構造を、二千五百年前に仏陀が解明したシステムとして捉え直す、知的確信の言葉だった。
以来、十七年にわたり私は先生の薫陶を受けた。先生は四十年間、仏陀の智慧を現代経営に活かすことに生涯を捧げられた。多くの経営者の精神的支柱となり、人生と仕事の豊かさを伝え続けた。そして二〇一七年十一月四日、静かにこの世を去られた。
先生の逝去の後、私は先生の著作を八巻に編纂した。それは先生への報恩であると同時に、先生が託された問いを引き継ぐ誓いでもあった。
今、なぜこの問いが切実か
先生の問いは、今この時代においてこそ、最も切実な問いとなっている。
私たちはAIという巨大な力を手にした。情報を瞬時に分析し、文章を生成し、判断を補助する。かつては人間だけができると思われていたことを、機械がこなし始めた。
しかしここで立ち止まらなければならない。
AIは価値を判断しない。責任を負わない。AIはデータを処理するが、「なぜそうすべきか」という問いに答えることができない。
そして私たちは——機械が賢くなればなるほど——この問いから遠ざかっていく危険がある。
「私たちは、どのような意識でこの力を扱うのか。」
この問いが立たない限り、文明はAIという力に飲み込まれる。
仏陀の洞察が指し示すもの
仏陀は二千五百年前に、現代人が直面している問いの根に触れていた。
争いの根は外部にあるのではない。人間の意識の構造——固定した実体があるという誤認(無明)——にある。
AI万能論も、AI終末論も、どちらも「AIという固定した実体」を立てている。これが無明の現代的形態である。
仏陀の智慧が示す道は、この無明を解くことにある。固定した実体はない。すべては縁起によって出現する関係的現象である——この洞察が、AI時代の文明に光をもたらす。
このシリーズについて
本シリーズ「AI時代の智慧文明」は、全65回で構成される。
64回+中心マス1回という構成は、マンダラチャートの構造そのものである。8つのテーマ(部)× 各8回(サブチャート)+ 中心マス(第65回)。縁起論を語るブログが、縁起の構造として出現する。
取り上げるテーマは多岐にわたる。存在論・意識論・マンダラ思考・AI技術論・西洋哲学と東洋思想の対話・倫理論・個人の実践・社会制度の設計——しかしすべては一つの問いに収斂する。
私たちは、どのような意識でこの時代を生きるのか。
松村先生がおっしゃった言葉がある。
「智慧は知識ではなく、実践である。」
本シリーズが目指すのは知識の提供ではない。空の洞察を「生きて観る」ことへの、読者との共同の旅である。
〈本シリーズの全体構成は以下の通りです〉
第一部 序論——問いの立て方(第1〜8回)
第二部 存在論(第9〜16回)
第三部 意識論(第17〜24回)
第四部 構造論・マンダラ(第25〜32回)
第五部 技術論(第33〜40回)
第六部 哲学・思想との対話(第41〜48回)
第七部 倫理論・個人の実践(第49〜56回)
第八部 文明設計論(第57〜64回)
中心マス 第65回「空を観る者として」
次回:第2回「現代文明はなぜ行き詰まったか——実体視という根本原因」