何かを乗り越えるのに

苦しまないとダメと思っている自分


仕事も苦しまなければダメ

と思いこんでいる


それに自分のために

楽しんではいけない

とどこかで思っている


何でそんなことを思ってしまうのだろう?

少し考えてみた


思い返せば

私の実家では

みんな苦しんでいた


小さいとき

両親も

兄たちも

みんな苦しみ

もがいていた


両親は

順風満帆だった仕事がうまく行かなくなり

経済的にどん底まで突き落とされた


その境遇を

なんとか挽回しようとしていたけれど

挽回の仕方が歪んでいた


父は

ギャンブルで人生の挽回を図り

一発逆転を狙い続けた


母は

子どもを世に出る立派な人に

育てることで

人生の挽回を図ろうとした


子育てへの意気込みは

母だけではなく

父もすごかった


自分たちのように

情けない人生にならないように

と思ったのか


子どもを立派に育てることで

世間に対して復讐ができる

と思ったのか


両親の征服欲を

子どもで満たすためだったのか


全部だったのか

分からない


父の指示通りに勉強しないと

殴られる


子どもたちには
早朝からの勉強
父は競馬新聞を読んでいるのに

早朝と帰宅後のマラソン
子どもは必死で走っているのに
父は自転車に乗って見張りに来る

言われた通りに走らないと
竹刀で殴られる

この家は軍隊かも

ただ私は
女という理由で
殴られなかったこともある
走る距離を少なくしてもらったこともある

それに兄妹の中では 
成績が良かったので

特別扱いだった

でもそれが
兄にいじめられるきっかけとなった

両親のえこ贔屓があったことで
兄妹仲は最悪
私 VS 兄

私はいじめてくる兄に
怒り心頭だったけれど
可哀想にも感じていた

軍隊のような家庭の中で
叩かれまくって
虐げられて
成績が悪くてバカにされている

私だけがえこ贔屓されても
楽しくない

家族が可哀想で悲惨すぎると
どうにも一人で幸せになることはできない


みんなと幸せなにならないと

私だけが一人勝ちで
幸せになることなんてできない


家族みんなが幸せだったら
私も遠慮なく幸せになろうと
思ったでしょう

そんな小さい頃からの遠慮が
今も抜けない

仕事だって
スムーズに行ったらいけない

それは今、誰に思っているのだろう?
今でも兄たちに縛られているのだろうか

私が人生うまくいったら
「あいつは昔から良いよな」
という兄たちのひがんだ声が
聞こえてきそうな気がする

だから

私もそんなに幸せじゃないんだよ
幸せに見えたとしてもそれは
本当に辛い過程の上にできたものなんだよ
と兄たちに言いたい気持ちがある

棚ぼたで幸せになったのではない
血反吐を吐いた過程があるんだよ
と言いたい

私が苦しむことで
兄たちに
妹も同じように苦しんでいたんだ
と思ってもらえる

そして私自身の
罪悪感を軽減できる

だから
私が悩まされているのは
兄たちへの罪悪感かも