書評 『良寛 その仏道』(竹村牧男著・青土社)

 

                            岡本勝人(約800字)

 

 本著は、五百ページ余におよぶ良寛の仏道を検証するまことに大部な書物である。

 良寛の初期にみられる出家と修行を契機とする仏道とその生活に視点を当てる。と同時に、良寛自身は漢詩や短歌や書によってのみ自己を語ったといわれるが、著者は良寛の総体をくまなく谷川俊朗氏ほか多くの諸氏の業績と著者の仏教的知見に照合させて映し出す。それを証明する道筋が、若き日の良寛の行動から故郷での晩年に至る仏道の姿である。良寛は、若くして現在の岡山の円通寺の国仙和尚のもとで曹洞禅を修行した。その仏道の広がりは、勤王の父以南と師の国仙の死後、円通寺を出て、何度かの諸国行脚と高野山への旅、やがて故郷に帰ってきた四十余年にわたる還相の姿にもあてはまる。

 故郷では、市井の仏教者としてただ生きた。第一部は、その仏道の足跡を四季折々の漢詩とともに隈なく味わうものである。良寛と道元の道心を書字する『正法眼蔵』から小乗を迹門とし大乗を本門とする『法華経』との関係を論ずる第二部は、寒山詩の影響を受けた詩境の解読(禅語の典拠)によって、その仏道の禅境の内在性を開示する。著者は、良寛の仏道の中心を禅独特の立場による『法華讃』を詩と著語(じゃくご)の解釈によって、見出したのだ。詩歌の引用と禅的解釈には、在野の鈴木大拙を師とし、著者の市井の禅門の師である仏教者秋月龍民氏、その他入矢義高、柳田聖山、中野東禅の各氏の影響と引用がみられる。

 

 

 また良寛と浄土教と空海の密教との関係を論ずる第三部では、南都や高野山で天台と密教と浄土教が唯識と混淆して以後、その純粋活動である浄土教(著者によれば、禅浄双修の黄檗禅ではなく、日本浄土教の系譜にある真宗。)や曹洞宗や臨済宗など、大乗仏教が理論と実践においてつながる習合的な日本人の心性が、良寛の仏道に映し出されている。後期万葉の影響を自己のものとした和歌の解読には、みずみずしい仏道の真髄が深層から描かれている。錫杖をもって托鉢し、こどもたちとあそび、晩年には弟子の貞信尼と手紙や歌を交換する。そこに、浄土教と密教との習合的な存在として日常底を生きる乞食者、常不軽菩薩の在野の良寛の真姿が見えるのだ。倶舎も空も如来蔵や唯識の思想も、仏道への原初の遡行となって、良寛自身の詩禅一味の仏道と直結する、というのが著者の到達した良寛の真像であった。

 さらには、古法帖から独習した良寛の書について、古書店の萬羽軒主を介した、近世を代表する良寛の書のひとつの発見が、重なった。本書の表紙もこの密かに保持されていた法華経の一片の書跡による。ここには、良寛の書の発見の意義を示すものがある。見返りの写真の書影は、良寛による道元の師の如浄の句の墨跡である。

 良寛の仏道は、禅を中心とする大乗仏教であり、かつそれを超える存在論的な生活即放下の仏道が、自己の居場所で浄土教や密教と通底する。本書は、良寛の現在性での研究にとって、著者の広範な仏教の知見と倶舎論や唯識を背景とする、良寛全体像を十全に実証し、検討する絶好の書である。人生の哀しみの境涯を無自性空の世界に自省し、本来の自己に沈潜する多面体の良寛という生きた仏道を見据え、混迷する社会と文化に光明を見出そうと開示する、著者の声が聞こえるようである。

 それが、本著『良寛 その仏道』である。

 

 

                                  以上