書評 『田中木叉上人五十回忌記念文集 徹照―木叉上人の教えと言葉』(宗教法人 光明園)

 

                            岡本勝人(約800字)

 

 西武池袋線の桜台駅を降りると、閑静な住宅街に光明園がある。この東京練馬の念仏道場で活動したのが、戦後の田中木叉である。仏者は、長崎県の浄土宗の寺に生まれ、東京帝国大学で英文学と哲学を学び、芝中学、宗教大学、慶應義塾大学で教鞭をとった。上人の終生の仕事が、山崎弁栄の遺文の蒐集と編纂であった。遺稿は『光明大系』となり、伝記『日本の光』に結実する。「光明歌集」の作詞者でもある。

 大正初年より光明主義を主唱して聖者といわれた信仰現象の光学が、山崎弁栄であった。現在の千葉県に生まれ、学問と念仏に勤しみ、華厳経をはじめ一切経を読破して、筑波山に籠り、見仏に至る。爾来、仏身論に基づく起行の用心による三昧発得をなし、全国への布教活動と、亡くなるまでの巡回指導はつづいた。僧形として顕現した宗教現象は、「無量寿経」の「歎徳章」を中心に、本門と迹門とを円具教として統合し、「如来光明礼拝儀」に集約される超在一神的汎神教の三身即一の霊性と鏡像をはたした。衆生への方便即現実とする阿弥陀経の図絵や米粒名号の世界である。そこに木叉上人による「辨栄聖者御略伝」と和歌山県の田辺市に生まれ、久留米の善導寺の法主になられた藤堂俊章上人の「田中木叉上人略伝」が重層する。光明園の念持仏の聖画は、弁栄上人による田中木叉自身の似姿を描いた阿弥陀如来像の三昧仏といわれる。奈良郡山にある博文堂の奥座敷で、頭部が青い三昧仏の真筆をみた。数学者岡潔が、別時で参拝していたものだ。

 本著は、木叉上人の著書『光明へのすすみ』「講話」『日本の光』『遺文集』から、弁栄聖者からの田中木叉への感動的なたよりや柏崎での聖者の臨終の様子をくまなく活写し、聖者理解の主旨を祖述し編集する。同様に光明園では、木叉上人の法灯を継ぎ光明修養会の上首となった、元東洋大学教授の河波昌先生の『七回忌記念遺稿集「光化」』も出版してきた。

 その意味で、本書は光明主義の関係者だけでなく、大乗仏教の在家の信仰者にとっても意義がある。山崎弁栄とその思想と行動を探し訪ねた田中木叉の固有名と帰趣を知る優れたアルシーブである。

 

 

 

(A5版ソフトカバー全214ページ「ひたち屋書店」)

 

(「週刊仏教タイムス」5月16日号に掲載)