沖縄那覇市(会場)『又吉栄喜の文学世界』刊行記念シンポジウムについて(ご報告)

 

又吉栄喜をどう読むか

 

 

 

 

 沖縄を代表する作家の一人又吉栄喜が「豚の報い」で芥川賞を受賞したのは1996年のことでした。その後も、またそれ以前にも、華々しい活動歴があり、創作活動は続けられています。

 作品は文芸誌や新聞、さらに単行本として出版されていますが、2022年には未刊行作品集として『又吉栄喜小説コレクション全4巻』(コールサック社)が出版されました。

 芥川賞受賞からおよそ28年が経過した今日、又吉栄喜の文学研究はますます活況を呈しています。この度『又吉栄喜の文学世界』(コールサック社)の発行を機縁に、県内外で活躍する作家や文学研究者を一堂に会してのシンポジウムを開催することに致しました。改めて又吉栄喜の文学の魅力や意義などについて考え、また「沖縄文学」の可能性を発見する機会になると思います。どなたでも参加できます。ふるってご参加ください。

 

 

 

■開催日時 2024年4月27日(土)14:00開始 ~ 16:30終了

 

■当日のプログラム  

 

 

■第1部 基調報告:又吉栄喜をどう読むか 14:0015:0060分)

 報告者1:「シュルレアルかエロスか-又吉栄喜初期作品から考える」世宗(琉球大学教授)

 

 

 報告者2:「沖縄をめぐる戦争と文学-又吉栄喜の戦争表象」柳井貴士(愛知淑徳大学教員)

 

 

■第2部 パネルディスカッション 15:1016:3080分)

 

 

□テーマ:又吉栄喜の文学世界

□コーディネーター:大城貞俊(作家、元琉球大学教授)

□登壇者:岡本勝人(文芸評論家) 富山陽子(作家)

     高柴三聞(詩人・俳人) 国梓としひで(作家)

 

(第1の発言)

 

岡本 はい。東京からやってきました岡本勝人と申します。ただいまお話がございましたように、又吉さんはすばる文学賞や芥川賞をとられて、こちらでは小説の神様と言われている方と思いますので、私の方は、先ほどのお話にあったような作品論や作家論の立場ではなくて、外部としての発言に終始させていただいて、外から又吉さんの文学に接近をしたいと思っております。

まず最初に、柳宗悦という人をご紹介したいと思います。戦前、昭和十三年から十五年にかけて沖縄に民藝団を含めて四回ほど来られました。簡単に言いますと、民藝運動によって東京で大変沖縄の文化を紹介した方であり、かつ沖縄が東京あるいは日本中に広められる契機を作った方です。私は埼玉の小川町というところの出身ですが、池袋から特急で一時間ほどいったところです。そこは和紙の産地でございまして、当時、埼玉県の学務部長が山口泉さんという方でした。その方が民藝に理解がありまして、小川町に柳宗悦さんや芹沢銈介さんが来ることになります。そして、小川町の産業をどうするかっていう講演をしたり、あるいは和紙の染め方の研究ですね、こちらで言う型染の研究をされております。それから三年ほど経って、その山口泉さんが、今度は沖縄県の学務部長として赴任されました。それで柳さんをこちらに呼んだんですね。もう既に沖縄は柳田國男だとか折口信夫などが民俗学の立場からさまざまな研究と発見をしておりましたけれども、遅れて、柳宗悦さんが、訪沖されます。そして、柳さん自身は芭蕉布の発見、それから芹沢銈介さんは紅型の後継者と言いますか、そういう形での総体として沖縄の民藝の発見ということになります。そういう形で柳宗悦さんの戦前の一つの大きな成果が、朝鮮李朝の白磁の発見だけでなく、沖縄訪問に結実したということになります。で、もう少し話しますと、柳さんの第三回の訪問団は写真家の土門拳さんも来ましたね。この方は秋田の方です。それから青森の版画家、棟方志功さんもきました。それから、奈良の桜井に住む、それこそ国津神の三輪山に近い場所で、天津神なんかもう知らないよっていうぐらいの保田與重郎という評論家も来られました。東京のデパートの社長も含めて、二十人前後の方が神戸から船に乗りまして、沖縄にやってきて、ビデオ撮影をしたり写真を撮ったりして、いろんな形での沖縄文化を調査・研究し、そういう形で東京の日本民藝館の収蔵品にかかわります。で、あえていいますけども、一九七二年、これは沖縄が日本復帰した年ですが、その時には柳さんはこちらでも沖縄民芸展を開きましたし、東京でも沖縄民芸展を開いています。そして、そこから遡ること三年ぐらい前に、これは有識者やいろんな方々の支援を得て沖縄に土地を求めました。濱田庄司と沖縄タイムスの方が八重山諸島に赴き土地の民家を移築しまして、沖縄の復帰に対する準備をしているんですね。もちろん、今年は二〇二三年ですから、復帰から五十一年になります。昨年の五月から六月には東京の日本民藝館でも沖縄の民芸展を開催しています。何を言いたいかと言いますと、沖縄の文化が東京、なおかつ日本に大変迎えられている。喜ばれて、非常にファンが多いということを、ここではお話しておきたいと思います。

次に少し遠回りになりますが、井上靖さんの小説を二つ簡単に紹介します。 一つは『天平の甍』ですね。この小説は登場人物が鑑真と四人の若い仏教僧です。鑑真さんは何としても日本へ渡りたいということで、何度も渡航するんです。ところが、何度も何度もやっても、みんな挫折してしまうんですね。南の島に漂着したり、もう目が見えなくなっちゃったりして。ところが第六回目、三隻で出発した船のうち二艘が沖縄港(阿古奈波)に入ってくるわけです。それでこの港から琉球を経て奈良の東大寺に行くわけです。もちろんこの港は、ご存じのように、ペリーが東京湾の方の、横浜の浦賀に錨を下ろす前にこちらに滞在して、色々な調査をするわけですね。その背景には、アメリカの捕鯨、メルヴィルの小説で知られる捕鯨がありますけれど、捕鯨の給油場所としての沖縄、あるいはいろんな測量をして、島の近海の状態がどうなっているかってことを調査していました。それともう一つ、今度は短編になりますが、『補陀落渡海記』、これは皆さんご存じでしょうが、紀州の紀伊勝浦という港があります。近海のマグロだとか佐藤春夫の秋刀魚の詩で有名なところですが、そこにある捕陀洛山寺というところから、死装束を纏った僧侶がわずかな食糧だけを持って船に乗り、海洋へ出ます。目指すは西方極楽浄土、西方にある観音浄土ですが、その中の渡海僧が、これは真言僧ともあるいは禅宗の方の臨済宗の僧侶ともいわれていますが、沖縄に到着して寺院を開くことになります。

また、梅原猛さんは、法隆寺論や柿本人麻呂論、記紀神話についてなど、様々なものを書いておりますけれども、「日本の原郷」を熊野に見ています。そこから南島論としての沖縄と北方論としての東北や北海道のアイヌ文化に着目します。ですから、梅原猛さんの「日本文化論」は、日本の原郷を沖縄とアイヌに繋げているんです。原資料の多い沖縄に驚きつつ沖縄に視線を向けると同時に、梅原さんは名古屋とそれから京都で勉強されましたが、東北仙台の出身で、仙台、東北に関心を持つんですね。その東北とは何かという場合に、東北と北海道ですけども、今日露戦争後の旧兵士とアイヌの少女の交流を描いた「ゴールデン・カムイ」の映画なども上映されておりますが、ここで問題になるのは、外部から見た場合の紀州の問題と、日本列島全体を見回した時の南島論の問題、そして北方論の視点が大きく出てくることです。川村湊という法政大学の教授で文芸評論家がおりますが、その人が外間守善という、こちらの沖縄の出身者ですが、外間さんは最初、國學院大学で研究をするのですが、東大とも縁があり、そこで勉強を重ねまして、後に法政大学の教授になっています。そこで何をやったかというのが大事なんですね。ひとつは、伊波普猷の後継者として「おもろそうし」を継承する学問ですが、もう一つが沖縄研究所を作ったことです。ですから川村湊さんの伊藤整文学賞を受賞した『補陀落―観音信仰の旅』に見られる思考の背景にはその沖縄研究所のいろんな研究の成果などが影響しているんです。また、柳田國男さんのご自宅は、東京の成城にありました。そこにも、沖縄の関係者が多く出入りし、滞在しています。

ところで、その川村湊さんが訪れた紀州と言えば、私たちが知っている人は作家の中上健次です。中上健次は、『岬』で芥川賞を受賞するのですが、土着の中に血の濃さを深層として明示するような小説を書いております。その後、 父のルーツを探る『枯木灘』。次に母のルーツを探る『鳳仙花』、そしてその両者を統合する『地の果て 至上の時』、その後、ルポルタージュの『紀州』や小説集『熊野』などを書いています。中上健次が晩年に入院したのは慶応病院ですね。実は、四方田犬彦さんが、中上健次の『日輪の翼』の中国版の解説を書くというので、かつて病室にお見舞いに行ったことに言及しています。その時の中上健次が「今『枯木灘』の第三部の完結編を書こうとしているんだ」といって、舞台を「台湾」にするのだといっていたというんですね。又吉さんの初期に書いている小説の舞台も台湾でしたね。それからちょっと時間が戻りますけども、日仏交流のシンポジウムがパリでありました。文芸評論家の饗庭孝男さんが中心になって、詩人の荒川洋治さんと、作家は中上健次さん、もうひと方いらっしゃったかと思いますが、パリの日仏会館で「日本の現代文学」というシンポジウムがありました。その時に関係者で、色々と食事などに行って、ワインも随分紹介していただいたので、中上健次さんはずいぶんと気に入りまして、饗庭さん、饗庭さんといって、大変親しくしたという話を聞いたことがあります。 ところが、その後、中上健次さんは亡くなるんですけど、亡くなる前に、娘さんの中上紀さんに、 ぜひ一度、パリに行くようにと強く言っていたらしいんですね。パリは、又吉さんの小説の舞台にもなっていますが、この間、中上紀さんにお会いしたら、もうなんとしても機会を見つけて、パリにいきたいという話なんです。 私の『海への巡礼』という評論エッセイ集は、紀州の中上健次のことやパリでの滞在のこと、それから最後の後半の三分の一は沖縄について書いてあります。 そういうこともあって、中上紀さんは、私の本の書評を鈴木さんところで書いていただきました。

時間が参りましたので、問題は、私が又吉栄喜さんについて書いたものは、今回の『仏陀の小石』が初めてなんですが、そこで考えたのは、やはりこの島と海と風とが持つ地理的な特性、地勢学的特性には、海やまのあいだに生きる人々というよりは、中国、朝鮮半島、台湾、日本列島、南洋諸島にかこまれた、地図をぐるりと回すと見えてくる四つの諸島を持つ「琉球孤」と海上の「道」や「交通」に生きる市民=大衆でしょうけれども、こちらはやはり島に生きる生命の持つ力のような感じがいたします。そういうところの開放性、それをどういうふうに他者から位置づけるか、 そういう場合に重要になるのは外部の思考であり、 それを論ずるトランスクリティークの視座だと思っております。

 

(第2の発言)

 

岡本 はい。大城さんには評論集が二つありまして、一つは、「又吉栄喜論」で、土地の記憶に対峙する文学の力を論証するものですが、もう一つは、沖縄の戦後小説の現在の可能性を問うものです。その中で大城さんは、四、五点に焦点を絞り、 端的に論点をまとめております。一つ目は戦争と平和(沖縄戦・自衛隊)、二つ目は国際的な視野(外国の部隊・基地、外国人との交流)、 三つ目は沖縄のアイデンティティの描写と追求、これは土着とか文化とか民俗とかという問題を含むと思います。あと四つ目が日常に潜む不安と希望(家族・恋愛)。五つ目は、先ほど出ました東峰夫さんの『オキナワの少年』のように、 青春の彷徨を描くもので、少年と少女というようなものに区分できると書いてあり、これは大変立派なまとめ方であると思いました。
 土地の力というのは、どういうふうに言っていいかわからないんですけれども、私が今日ここへ来て、言いたいことがあって来たのはですね。もうすでに一九八八年十二月二日に、今日会場にお越しになっている高良勉さんも参加している『琉球孤の喚起力と南島論』という関係者による討論会がありました。吉本隆明さんと赤坂憲雄さんは本土から、こちらからは沖縄の方で、上原生男さん、比嘉政夫さん、嵩元政秀さんや渡名喜明さん、そして高良さんということで、かなり貴重な講演とシンポジウムがなされております。 そういうものを引き続き考えた時に、やはりどうしても、沖縄の島が持っている幻想の共同性、特に男女の中の女性の力、それからその女性の聖なる存在と場所や島との切断面ですね。共同性と女性の生きざまというものが、ひとつの島のルーツ、 あるいは島の聖なる場所、そういう御嶽、あるいはお祭り、あるいは食事だとか、あるいは葬送の儀、葬儀ですね、これに非常に女性が関係しているという特徴があるというふうに伺っております。そこで、問題は、沖縄の持っている幻想の共同性を、この世の生活世界のものと捉えるか、社会の共同的な信仰や祭儀として捉えるかっていうことで、随分考え方が違います。例えば、吉本さんは、『共同幻想論』から『全南島論』へという視点で、対幻想や母性から初期の天皇制の起源ということを通じて、 天皇制の問題をどういうふうに考えるか、あるいは天皇制をどういうふうに相対化するかということを考えます。そして、そのことの中に、沖縄の民俗と祭儀、それからその男性の力、女性の力、そういった生命、人が生まれ、成長し、結婚して、子供を産んで、やがては老いて光と風になっていく。その海上の彼方の世界へ帰って行くという、そういう庶民、大衆の生きざまそのものが、やはりこの開かれた、開放性のある海と空と島の生活として沖縄の人々にはあるんだろうと思います。

そのことを外部からの違った視点で展開したのは、私は島尾敏雄さんだと思っています。従来の島尾敏雄さんの文学は、『出発は遂に訪れず』あるいは『出孤島記』という「戦争もの」、それから『死の棘』に代表される「病妻もの」、 それから先ほどシュルレアリズムの話も出ましたが、『夢の中の日常』などの「夢もの」です。これによって島尾敏雄は論じられてきたんです。でも私はここで、せっかく来ましたので、もう一つ、皆さんご存じの島尾敏雄が最後に辿り着いた「琉球孤」から「ヤポネシア論」というものにある程度の視点を置きたいというふうに考えます。 この沖縄の人々の意思と姿勢を持った、簡単に言いますと、一六〇九年、薩摩が入ってくる。一八七九年、琉球王国が明治国家に併合される。一九四五年、四月から六月にかけての沖縄戦と敗戦。一九七二年、基地問題を抱えながらの本土復帰。そして昨年、 二〇二二年、復帰五〇周年を迎えたわけですけど、この地理的特性、地勢学的な特性、 ここはですね、もう一回繰り返しますと、中国も台湾も朝鮮も日本も南洋諸島もあって、そこには様々な海流によってもたらされた文化がいわゆるマルクスのいった海上交通みたいなのがいっぱいあったんです。人の行き来、人々の行き来にそれぞれの人の人生の苦しみも悲しみも、生老病死も全部そこにあるんです。ということで、島尾敏雄さんは、 自分は震洋隊の特攻隊長でしたから部下も失くしましたし、それで晩年、奄美だけではなくて土佐や沖縄、それからいろんな九州の方の特攻基地を訪ねて歩くんですね。で、最後に、最後に、フィリピンの基地に行きたいって言って、言い残して行けずに亡くなっているんです。ということを考えまして、 一つ、この開放的な、開かれた海洋性の沖縄の、そこに住む人々の気持ちとして、そういう広がりのある世界と自分たちひとりひとりの土着の生命の力が結びつけられるような、そういう文学の力という部分を考えていけたらいいなと思っております。
 

(第3の発言)

 

岡本 それではですね、野生の思考に息づいている文化の交差点としての沖縄ですね、その焼き物や紅型、芭蕉布、こうした民俗的な事物の文化習合というものは、「外」の「外」に出た彼方にある「内」なる沖縄それ自身だというふうに私は思っているんです。言い方を変えますと、土着の問題は「外」の思考である。しかし、単に「外」ではなくて、「外」の「外」へ出ること、これはミッシェル・フーコーが『外の思考』で書いているんですけれども、ひとつの「外」へ出ること。ここに又吉栄喜さんの例えば台湾や朝鮮半島やフランスのパリやインドの物語を今後どう考えていったらいいか、あるいは中上健次の女性が男性を救うといった習俗を持つ紀州の説教節が背景にあるような語りをどう考えていったらいいか。その一例としてはですね。太宰治が昭和十九年に津軽に帰るんです。津軽富士と言われる岩木山の麓に太宰の故郷の金木があります。でも、あれは故郷へ帰るんじゃなくて、東京という第二の故郷という状況におりましたから、それは外部の「外」へ出て、地誌と懐かしい人に出会って、生まれて初めて故郷というものの実感にめぐりあっているんです。そこに『津軽』があるんですが、太宰治の「話体」である津軽の口寄せに似た語りの巡礼があるんです。で、先ほどの川村湊さんの「観音信仰」ですが、中国の舟山諸島へ行くところもですね。都市の上海があります。揚子江が流れている。こちらに湾があって、青島とか紹興酒で知られる紹興の街があって、その左には陶器で有名な景徳鎮なんかもある。そういう場所ですから、その海上にある、諸島にある、「外」には固有の信仰がある。その「外」の「外」へ出れば、ポータカラという補陀落がある。海上の彼方にある観音信仰っていうことですが、沖縄の人にとっては自分たちの固有の普通の心ですね。心性、沖縄の人々の心を「内部」の「おなり神信仰」だとか「おもろそうし」や民衆の「歌謡」などの心性に立ち戻るというようなことで、沖縄の再考および普遍化になるような意味での「外」の「外」の思考を吉本隆明さんは思考変容というふうな言葉で言っています。これは言うまでもなく、沖縄の開放系を支えるトランスクリティークの視点ですが、 そういう意味で、今後とも又吉栄喜さんの文学に注目していきたいというふうに思っています。

 

■場 所  :沖縄県教職員共済会館八汐荘ホール(那覇市松尾)

□参加料 :500円

□主 催 :『又吉栄喜の文学世界』刊行記念シンポジウム実行委員会。

□後 援 :琉球新報社、沖縄タイムス社。

□協 力 :コールサック社。

□留意事項:事前申しこみは必要ありません。当日会場にて受付ます。

 本件に関する問い合わせ先(実行委員会事務局・大城貞俊) 

 電話 098-890-4343

 

■登壇者プロフィール

 

◆報告者

◇呉世宗(お せじょん)

1974年生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程修了。博士(学術)。2011年から琉球大学人文社会学部教員。在日朝鮮人文学研究。主な著書に『リズムと抒情の詩学--金時鐘と「短歌的抒情の否定」』(2010年)、『沖縄と朝鮮のはざまで--朝鮮人の〈可視化/不可視化〉をめぐる歴史と語り』(2019年)、『思想・文化空間としての日韓関係--東アジアの中で考える』(2021年)、「はざまからまなざす--金石範「鴉の死」における主体・状況・言葉そして動物」(『言語社会』14号、2020年)など。近著に編著『残余の声を聴く--沖縄・韓国・パレスチナ』(2021年)がある。

◇柳井貴士(やない たかし)

1975年栃木県栃木市生まれ。愛知淑徳大学創造表現学部教員、作家。日本文学、沖縄近現代文学・映像が専門。主な著作「大城立裕の文学形成と『琉大文学』の作用--1950年代の〈沖縄〉文学をめぐって」(『沖縄文化研究』2019年3月)、「資料紹介 大城立裕と上海--沖縄県立図書館蔵大城立裕未発表原稿「月の夜がたり」」(『昭和文学研究』2019年9月)、「ゴジラが沖縄をめざすときーー円谷英二を遠く離れて」(『ユリイカ』2021年10月)などがある。なお北原岳名義で作家としても活躍中で「さきがけ文学賞」最高賞、「琉球新報短編小説賞」佳作の受賞歴がある。

 

◆パネリスト

 

◇岡本勝人(おかもと かつひと)

1954年生まれ。詩人、文芸評論家。主な評論集に『ノスタルジック・ポエジー-戦後の詩人たち』(2000年)、『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(2017年)など、詩集に『シャーロック・ホームズという名のお店』(1990年)、『ナポリの春』(2015年)など、編著・執筆に『立原道造詩集』解説など多数の著書、編著書の出版がある。近著に『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』(2021年)、『仏教者 柳宗悦 浄土信仰と美』(2022年)、『海への巡礼-文学が生まれる場所』(2023年)がある。

 

 

 

◇富山陽子(とみやま ようこ)

1959年沖縄県那覇市生まれ。作家。県内の特別支援学校で勤務する傍ら小説を執筆。根っこである沖縄をテーマとする。琉球新報児童文学賞、琉球新報短編小説賞、新沖縄文学賞、九州芸術祭文学賞沖縄地区優秀賞の受賞がある。

◇高柴三聞(たかしば さんもん)

1974年沖縄県宜野座村生まれ。詩人・小説家。「コールサック」「KANA」同人。著書に詩集『ガジュマルの木から降って来た』(2022年)がある。なお受賞歴に「おきなわ文学賞」2023年詩部門第1席、俳句部門第2席がある。

◇国梓としひで(くにし としひで)

1949年大阪府生まれ沖縄市出身。作家・南涛文学会主宰。農林水産省を経て元内閣府沖縄総合事務局総務調査官。受賞歴に新沖縄文学賞(2007年)、農民文学賞(2010年)、地上文学賞佳作(2011、2012、2018、2021年)、銀華文学賞佳作(2023年)、九州芸術祭文学賞沖縄地区優秀賞(2020年)などがある。著書に『とぅばらーま哀歌』(2013年)『風に立つ石塔』(2018年)『太陽を染める城』(2019年)など。

 

 

◆コーディネーター

 

◇大城貞俊(おおしろ さだとし)

1949年沖縄県大宜味村生まれ。元琉球大学教授、詩人・作家。1992年「椎の川」で具志川市文学賞、2005年「アトムたちの空」で文の京文芸賞、2017年「1945年 チムグリサ沖縄」でさきがけ文学賞、その他、沖縄市戯曲大賞、山之口貘賞、九州芸術祭文学賞佳作、やまなし文学賞佳作などの受賞歴がある。近著に『大城貞俊未発表作品集全4巻』(2023年)の出版がある。

 

 

 

 

 

 

 

(2024年6月8日現在)