週間読書人「書評」

 

慶應義塾大学『久保田万太郎と現代』編集委員会〔編〕

『久保田万太郎と現代 ノスタルジーを超えて』(平凡社)

 

 

浅草人の「郷土文学」、人間臭い面影

−人間の内在的な声と芸術を結ぶ「万太郎再発見」−

 

  

 

                    岡本勝人

 

 浅草を歩けば、生誕を記念する碑がある。浅草神社に赴けば、句碑がある。久保田万太郎という存在とは何であろうか。その文学的な巨人の姿が、ちかごろブームらしい。『浅草風土記』につづいて『久保田万太郎俳句集』の文庫本が刊行されたばかりだ。失われつつある浅草を場所とする情緒を会話とその「間」により独自に表現しつづけた小説家には、いろいろな顔がある。新派を含む戯曲・演出家があり、機知のある俳人の顔がある。

 「久保田万太郎についてのまとまった論考の出版は、全集刊行を含めて1980年代まで」(「序」関根謙)というように、これまで万太郎の存在はあまり知られてこなかった。不幸な家庭生活と成功者の顔をもつ反面、全体として語られることは、一部の評伝以外にはなかったのだ。「永井荷風も谷崎潤一郎も久保田万太郎も、江戸文化圏から出てきた”方言”の保守者であり、彼らの孤立は”標準語”の文学への反発によったと考えられる」(『思想としての東京』磯田光一)。浅草人の「郷土文学」というと、驚く人がいるかもしれない。浅草には、衰滅と喪失が綾なして揺れる江戸と水の影がある。万太郎の東京とは、原風景としての「原浅草」に等しかった。下町の生活をひたすら描き続けた市井の文士は、俳句と小説と戯曲の万太郎調を切り開いたが、どれにも人間臭い面影がある。言葉の生成は、その「間」を形成して、独自の作品をかたどる。ひとは、その浅草言葉に、ノスタルジーを感受した。

 万太郎にとって、永井荷風、小山内薫、芥川龍之介、水上龍太郎、佐藤春夫、堀口大学は、師であると同時に、同僚であり競争者だった。上海で出会った田村俊子は、幼馴染である。万太郎の横断性は、歌舞伎と新派と新劇の脚色や演出に関わるように、脱領域的な分野への広がりと「交友録」にあった。近代と反近代をポスト近代へとクロスオーバーしつつ、関東大震災や戦災から復興する庶民と大衆芸術と歩んだ文士の社会への眼差しも感ぜられる。万太郎は自由主義者で芸術至上主義者であったが、戦時下ではひとりの作家として、戦争協力者として、また市井の庶民の立場へとひきさかれた。日本文学報国会では、劇文学部幹事長の地位にあった。「情緒に溶かされる戦争」を生きたのは、若い研究者たちが論及する「戦時情報統制化」でのことである。情報局の斡旋によって、満州と上海に滞在する姿がある。

 「時計屋の時計春の夜どれがほんと」。十七音とその余韻が影となる。生活詩としての俳句は、日記の代わりをなしていた。功なり名を遂げた万太郎ではあったが、その生活と心の底には、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」の敗北者の眼差しがある。田原町の袋物商は事業に失敗し、家は銀行の手に渡った。最初の妻は服毒死である。ひとり息子も逝去した。晩年の同棲した愛人も亡くなった。残された万太郎の根深い女の問題である。「鮟鱇のわが身の業も煮ゆるかな」。人生のスランプには、酒に酔いしれる庶民となった。

万太郎は、暮雨から傘雨へと俳号を変遷する。『道芝』から『草の丈』『流寓抄』と『流寓抄以後』へ、また戦後には句誌「春燈」を主宰し、反写生と抒情の復興による俳句を持続した。荷風を契機とする処女作「朝顔」にはじまり、『春泥』『花冷え』『三の酉』(読売文学賞受賞)へと小説の創作はつづいた。「文学座」を結成し、真山青果の脚色による樋口一葉や、泉鏡花から谷崎潤一郎、水上龍太郎の作品と演出による『大寺学校』『釣堀にて』『銀座復興』の演劇は、小説から作られた戯曲としての「アダプテーション」の問題を提起する。行動する万太郎の俳句、小説、戯曲・演出のトリアーデは、その全体像を表すものだ。

 本著は、30名を超える多彩な執筆者による「文学の巨人・久保田万太郎」「万太郎を知る」「万太郎再発見」の三部構成である。すでに万太郎は文化勲章を受賞していたが、亡くなる前年の誕生日に、全著作権を大学に寄贈すると宣言した。昨秋の「久保田万太郎と現代」のシンポジウムや大学図書館で展示された「久保田万太郎−時代を惜しみ、時代に愛された文人」を含む、「久保田万太郎記念資金」による最終企画となった。慶應義塾大学の総力を挙げての顕彰が実現した本書には、幾重にも広がる「声」が響き渡っている。「詩人学者の折口信夫は久保田万太郎が好きだった」(持田叙子)から、松村友視、荻野アンナ、泉麻人、吉増剛造などの多方面で活躍する三田の卒業生が、間奏曲として「エッセイ」を綴る。

 一葉や荷風文学を継承する久保田万太郎の「今日性」は、人間の内在的な声と芸術を結ぶ「万太郎再発見」を現出した。本書の出版によって、これからの若いひとたちが担う新たなテクストとしての久保田万太郎の存在に、確実な光が与えられた。

 

 

(「週刊読書人」最新号掲載)