新宿で開かれた盛田隆二の「ストリート・チルドレン」は、賑やかな会だった。

講談社の編集者だけでなく、「早稲田文学」の関係者も多くやって来ていた。

この「ストリート・チルドレン」の書評には、吉本隆明によるものもあり、『新・書物の解体学』に所収された。

 

盛田隆二の顔写真

 

ある時、すでに相当な書き物をしていた盛田隆二が、「こないだ、「早稲田文学」の編集部に行ったら、岡本の原稿が一番上に置いてあったぞ。」とおもむろに言った。

「黒田三郎論」の原稿のことであったろうか。

盛田隆二は、後年、早稲田文学の客員教授を務めている。

 

「積乱雲」の8号・9号は、池袋の書店で、ソールドアウトした。

私の就職が決まると、「積乱雲」は、9号を持って、休刊したままになった。

その後、「伊東静雄論」「清岡卓行論」とともに、「中上健次論」は、文芸雑誌「群像」新人賞の評論部門の一次選考を通過した。「早稲田文学」でも、「黒田三郎論」が新人賞の一次選考を通過した。

その後、四方田犬彦さんが、「中上健次論」を次々に書き、『貴種と転生』という「中上健次論」を上梓したのが時代的背景である。