ゴルフのこと書こうかと思ったが、育児に参加した理由が、次男坊の出産のこともあるかもしれないと思った。

だから書いてみる。



次男坊は、仮死状態で産まれてきた


今次男坊、もの凄く元気なのは、死の狭間から生還したからなのではと、今でも思う。




次男坊の出産直前の時期。

パパオはバリバリ出張族の真っ只中。

早産になるかもとは聞いていたが、当時仕事優先のパパオはあまり意に介さず。


出張往路の新幹線の中で、嫁ちゃん分娩室に入ったこと、当初予定より2週早いが、無事出産したことを連絡受けた。


長男坊の出産連絡も、新幹線車中だったな。

またかと思いつつ、産まれてきてくれて、安心したし、ありがとう、嫁ちゃん頑張ったねと思った。



ところが。

しばらくしてまた連絡。


次男坊、泣かない。

上手く呼吸できておらず、苦しそうだと。


またしばらくして、今度は別の病院に緊急搬送するかもとの連絡。

嫁ちゃんからの電話は、声が震えていた

心臓マッサージしていたと。

この子どうなっちゃうんだろと。


大丈夫、心配するなとしか言えなかった。



でもパパオは、一気に青ざめた。

次の連絡で。


次男坊、仮死状態との診断。

(後日診断書見たが、はっきり「仮死」の欄にマル付いていた)


お別れを覚悟した。

少し泣いた。

足も震えた。


せっかくこの世に生を受けたのに、酷い。

なぜウチの子がこんな目にと思った。

(後で振り返ると結局は自分本位。イザという時は保身に走るのが本能なのか)



嫁ちゃんもだが、何より弟ができるのを一番楽しみにしていた長男坊が悲しんでいるのでは。

もうどうにもいられず。

車中用意した弁当も食えず。


急ぎ仕事切り上げ、宿泊キャンセルし、東京にとんぼ返り。


緊急搬送された大病院のNICUに駆け込む。


(なぜか電車とバスを使った。こういう時はタクシーだろうと今は思えるが、何故平気で電車とバスに乗り込んだのか、今でも思い出せず)



着いたのは寒い夜の雨。

はっきり覚えている。

病室入るまで、何度も泣きそうになる。


その途中何度も連絡もらい、詳細が分かってきた。


新生児多呼吸(湿性肺症候群)


詳細は専門文献に任せるとして、聞いた話は、あまりに正常すぎる速やかな出産だったらしく、子どもの肺の中の液体が完全に抜け切らないまま肺呼吸に切り替わってしまったためと。

早産にありがちらしい。


あと、緊急搬送先は、実はすぐに見つからず、たまたま大型の小児専門のICUに空きが見つかったので、運良かったと。



次男坊の部屋に通され、次男坊と対面する。


また、パパオは血の気が引いた


ケースに入り、点滴はもとよりあちこち次男坊に繋がれた管

クチには、挿管された呼吸器

暗い中、響き渡るピピピという冷たい電子音。

でっかい心電図モニター。ドラマで観たやつだ。プーとかピリリて鳴るとヤバいのやつ。オッさんのくせに怖くなった。

次男坊見る。確かに呼吸は荒い。

見るからに苦しそう


これが、次男坊?

パパオは何か夢見ているのか?

この子は無事生きていけるのか?



あたふたするパパオに、ベテランぽい担当女医が優しく語る。


もう少し遅いと、危なかったですよ。

だが、この2週間がヤマ場です。

ごく稀に、酸素不足による脳への後遺症が残る可能性があります


平然と怖いこと言うなこの女医。


流石に幾多の修羅場潜り抜けた緊急医さんだと少し感心。



さらに女医は続ける。



でも、赤ちゃんは必死に生きようとしています。


だからパパも応援して下さい



この言葉で、少し落ち着きを取り戻した。


ふと周りを見てみる。

凄いのを見た気がした。


他にも同じような子どもさんがたくさんいる。

もっとカラダの小さな子もいる。

もちろん、みな、管がいっぱい繋がれている。

それ見ると、どの子も頑張っているんだ。

お医者さんが付きっきりで面倒見てくれているんだ。


だから親が弱気になってはダメだ。



この日は説明やら入院手続きやらで、深夜NICUを出る。

そのまま、嫁ちゃんがいる病院に行く。


嫁ちゃん起きていて、泣きながら、ごめんねと謝ってきた

なぜ謝るのか理解できなかった。

大丈夫だよ、頑張ろう。

次男坊も遠い暗い部屋で1人頑張っているぞ。

としか言えなかった。

それしか出来なかった。




この日から、出張連泊前提のスケジュールをできるだけ調整し、次男坊いるNICUへ可能な限り連日通った。

まずは次男坊の様子見。

担当女医からの丁寧な説明。

血中とケースの中の酸素濃度を日々教えてくれる。

ケース内の酸素濃度をコントロールしないと、肺がびっくりするとか何とか。忘れた。

わずかだが、少しずつ改善している。

(上昇か下降か忘れた。大気中の濃度に徐々に合わせるみたいな記憶あるから下降が正解?)

あと大事なのは、事前採取し冷凍済みの母乳を届けること。



時々、ケースに手を入れる穴から、手袋はするが、腕を入れ、次男坊の手に触れる。

あったかい。

おぉ、少し握り返したか?

嬉しい。

この子必死に生きようとしているんだ。


でも怖かったという印象の方が強かった。

手袋やら消毒していると言え、触れたことや手を突っ込んだことで何か良からぬこと起こるのではと。

ビビりなパパオ。



2週間経ち。


挿管を取る段階、自発呼吸まで回復したと連絡受ける。


このまま行けば、後遺症も無さそうと。


ヤマ場を超えたようで、ここで初めて、安心した。



1週間後。

長男坊をNICUに連れて行った。

直接の対面はパパかママのみだとのことで、部屋のガラス窓越しだが、見せた。

嬉しそうな長男坊だった。

パパオ少し泣きそうになった。

歳食ったな。くそ。涙腺弱くなった。



4週間くらいNICUにお世話になった。

ホントに、スタッフさんありがとう。


NICU退院後は通常の育児に戻ってよいとは聞いたが、しばらく丁寧に扱う。

何か、まだ怖かった。


ここから、次男坊への意識が妙に高まる。

しばらくは大事に育てないと。

(実際にはかなり適当な育て方になる。後日)

それには、嫁ちゃんばっかり育児負担かけてはダメだと。


出産前にすでに、育児参加すべきだろうなと思っていたが、この出来事を機に、確信した。



長男坊は、大事な我が家の跡取りです。

長男坊の出産と、すくすくの成長は、素直に嬉しいものがある。


でも次男坊のこの出来事は、滅多にない事であり、修羅場を生き抜いた次男坊からは、生きるとは何かを教えてくれたような気がする。


だから次男坊には、一層思い出が深い。



こんなことでも育児参加への意識が高まったパパオ。


はっきり覚えているし、今でも家族の語り草。

だが、文に残すのも良し。

いつか次男坊にこれ見せよう。

お前1回死にかけてみんな覚悟したんだぞと。


でも可愛いから、今日お迎え行ったら意味無く抱きしめちゃう。

ついでに長男坊も、意味無く抱きしめちゃう。



マル