チェ・ゲバラ 革命の軌跡


ラス・コロラダス海岸 (画像)へ上陸。

フラフラになりながらマングローブが生い茂る海水の沼地を行軍した。


背嚢や医薬など装備の大半を遺棄し、


かろうじて小銃、弾倉ベルト、数発の弾丸だけは携行した。


新調の長靴のため靴擦れとなり、全員が足に肉刺(まめ)ができて潰れ、

激痛と炎症に苦しめられた。

午前5時40分、M26作戦(グランマ号上陸作戦)を無事に上陸させるための


陽動作戦としてサンチアゴ・デ・クーバ等で一斉蜂起。

決死隊28名が、国家警察本部を襲撃し、一時占拠して焼き払う。


さらに別動隊が沿岸警備隊本部、モンカダ兵営を攻撃。


正午、6時間の戦闘でペピト・テイなど3人が戦死、パイスは捕虜となるが、


主力および武器の温存に成功.


セリア・サンチェスら50人はトラックとジープ5台に武器弾薬を積み、


到着予定地ニケロからピロンの海岸でグランマ号を待つ。


会えないまま一部は山中に逃れる。 


この日、政府は45日間の憲法の保障条項停止を発表.



もともと不調だった二基のエンジンのうち片方が故障して停止。


大幅にスピードが低下する。

強風のため航海を全面禁止されていた日だった。


午前1時30分、グランマ号 でメキシコ西部のトゥスパン港を出航。


チェ・ゲバラ 革命の軌跡

このクルーザーの定員は12人だったが、82人が乗り込んだ。


それでもなお約50名は乗り切れなかった。


「われらは自由になるか、殉教者になるかだ!」


これが出発の際のカストロの言葉だった。


船の装備は貧弱で食糧不足と船酔いに苦しめられた。


メキシコ湾とカリブ海を超える七日間にわたる航海だった。


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