こんにちは!
ご覧いただきありがとうございます
僕はよくお寺に行きます。
神社よりはお寺によく行きます。
理由は明快で、目に見える大好きな仏様がいっぱい鎮座していらっしゃるからです。
でも信仰という意味では神社の方が理にかなっていると思っています。
人生というものはなかなか順調にはいかないもので、いろいろ心を乱さることが多いです。
僕の場合はとにかく人とかかわることで精神的にツラくなることが多いです。
ツラくなるなら人と距離をとればいいのですが、世の中ひとりで生きていくことは困難で、孤独に生きるということは本来の自分の良い部分を潰しながら生きるということでもあるのです。
でもツラくなったら救われたいじゃないですか?
だって誰も僕の心のツラさを理解してくれないもの......
神様なら、仏様なら、アラーの神様なら僕のツラさに気づいているかも?
お願いすれば救ってくれるかも?しれませんよね?
信じる者は救われる!?
本当でしょうか?
眉唾もの......?
見えない力もあると思えばある、ないと思えばない。
実はその見えない他力本願な力って微力なんです。
そっと背中を押してくれる優しい力。
一番大事なのは行動なんですね。
その重い、一歩踏み出す勇気を神様や仏様やスピリチュアルなパワーから頂いているわけです。
なにも行動しなければ、せっかく頂いたパワーも活かせません。
どこそこの神様はご利益がないわけじゃなくて、僕が行動してなかっただけなのかもしれません。
全国にお寺の数は76,660カ寺もあるそうです。
神社なら8万社。
コンビニの全国店舗数が57,000店なのでコンビニより神社仏閣の方が多いわけです。
なぜこんなに神社仏閣が多いのでしょうか?
これにキリスト教会や他の新興宗教団体などを合わせると、とんでもない数の人類救済場所が存在することになります。
それぞれに先人から伝えられた教理や教義や教典があり、人々を救済する準備は万端なのです。
何かに帰依する、信心するという気持ちは大切だと思います。
でも何かにすがらなくても本来幸せに生きてはいけるはずです。
なぜなら人類だけが救われるという世界には意味がないからです。
地球上にはいろんな動物や生物や植物が生きています。
人類以外の生物に人間の言葉で書かれた教義が効果あるでしょうか?
地球まるごと救われない教義に意味があるでしょうか?
お釈迦さまのことばに「己こそ己の寄るべ」というものがあります。
他人に頼るのではなく、自分がしっかりすれば自分自身が頼りになるという意味になるかと思います。
つまり自分の機嫌やメンタルは最終的には自分自身でなんとかするしかないのです。
塞ぎ込んだ心や無気力で投げやりな気持ちになれば食事も不規則になるし、誰にも会いたくないので家に引きこもりたくなります。
そんな荒んだ心身にどんな立派なことばも教理も効果は薄いでしょう。
そんなことよりまず太陽の光を浴びましょう、外に出てみませんか?という意味で神社仏閣が建立されたんじゃないでしょうか。
人生に行き詰まったり、精神的にツラくなって引きこもりたくなったらお寺でも神社でもいいので参拝がてらに散歩してみてはどうでしょうか。
パワースポットじゃなくても大丈夫!
日の光を浴びに外に出てみましょう