本日は7月7日日曜日。曇り。気温22℃。
七夕だが夜空は見れそうもない。天気は悪いが旭川から稚内、礼文島方面へ2泊3日の旅に出る。片道300kmの旅だ。昨日ガソリンオイル交換やタイヤ点検も行った。行きは日本海周り、帰りはオホーツク海周りで行くつもりだ。
まずは「黄金岬海浜公園」へ
一旦国道12号で札幌方面に向かい深川で右折して国道233号で留萌方面の日本海へ。温度は2℃下がり20℃だ。
<黄金岬海浜公園>
<ここです>
小雨が降っていて視界が悪く近場の岩しか見れない。ここは日本海を望む昔ニシンの群が輝きながら押し寄せた場所だ。黄金岬の名はここから生まれたそうだ。荒々しい岩が続く磯の景色が特徴だ。
展望台横に“海のふるさと館”があるので入ってみた
<海のふるさと館>
留萌の地層は堆積岩(たいせきがん)。海底で堆積した土砂が岩となり陸の隆起で地上に表れたので化石が多い。
<アンモナイト>白亜紀後期
また留萌は暖流の対馬海流と寒流のリマン海流が交わるため暖流系寒流系両方の生物がすんでいる。
<日本海固有の魚> 時間があれば釣りしたいな
留萌出身の佐藤勝氏の特別展示も見ることに。
<佐藤勝>留萌の英雄
昭和3年5月生まれ 平成11年12月没
300を超える映画音楽を作曲した巨匠
<駐車場の看板 日の入は19:19>
今日は雲が厚くムリそう!
でもここも夕陽の名所らしい。
次に「重要文化財 旧花田家番屋」へ
ここは“道の駅 おびら鰊番屋(にしんばんや)“の敷地内にある。
<重要文化財 旧花田家番屋>
入館料400円を払って入館。
ここは1905年(明治38年)に建設されたニシン番屋花田家の屋敷。当時雇人が200人以上の大ニシン漁家で内部には住居や執務所、ヤン衆と呼ばれた漁夫の溜まり場や3段の寝台などがある。ニシンは3月下旬から5月下旬迄が漁期
漁夫は道南と青森、秋田、岩手などからの出稼ぎが多かったとの事。ピークは1897年から1906年だったそうだ。当時魚群探知機の無い時代だったが定置網でたくさん取れた
良き時代だったのだ。全道的にニシン漁が途絶えたのは
1955年(昭和30年)頃。
<内部の様子>
ニシン漁には「建網たてあみ」と「刺網さしあみ」が使われた。大規模漁は建網(定置網)が使われたそうだ。
<案内版>
<味噌部屋、漬物部屋> 写真奥
<当時の写真>
船からニシンを引き揚げるニシン沖揚機おきあげ
<客間>
現代のような暖房器具も無く、客間も冬寒かったのだろうな。
次に「道の駅 ほっと&はぼろ」へ
日帰り入浴や宿泊が可能なほぼろ温泉サンセットプラザが中心の道の駅だ。
<宿泊カウンター>
<大浴場入口>
<海鮮食彩 二鳥物語>
12:50 ここで昼食を取る事に。
<サンセット御膳>1500円
ニシンと地元産羽幌のタコが食べられる
刺身、天ぷら(エビ、アジ、ナス、かぼちゃ、あしたば)、ニシンの甘露煮、もりそば、地元産の羽幌の蒸しだこ刺身付きだ。タコが柔らかく美味しい。
食事も済んだし、次に「オトンルイ風車群」へ。80kmあるのでその途中の「道の駅 えんべつ富士見」で休憩。
<道の駅 えんべつ富士見>
サロベツ原野駐車公園 オトンルイ風車群を展望
利尻礼文サロベツ国立公園に入った!
<オトンルイ風車群>
道道106号沿いの日本海オロロンライン沿いに風力発電用大型風車が並ぶ場所がオトンルイ風車群と言う。3.1km、28基。
次に「サロベツ湿原センター」へ
<サロベツ湿原センター>
アイヌの湿原にまつわる伝承“天塩川の河童”てしお
この湿原は日本最大級の高層湿原だが、面積は15,000haが昭和40年代以降の大規模な開発で7,000haに減少したそうだ。
釧路とサロベツの比較があった
降雪量 116cm/年(釧路) 711cm/年(サロベツ)
日照時間
1943時間/年(釧路) 1343時間/年(サロベツ)
雪は6倍、日照時間は30%も短いんだ!
またサロベツは最も暑い8月でも20℃/平均 これは釧路も同じ。やはり北海道の中でもサロベツと釧路も寒いんだ。
センターから湿原を歩く木道がある。
<木道>
<たくさんの草花が咲いている>
やっと稚内だ。最後に「ノシャップ岬」へ
<ノシャップ岬>
<利尻・礼文の方角> 17:20 今日は見えない
<海猫が鳴いていた>
利尻島・礼文島や遠くのサハリンの島影は見えない。残念。ノシャップとは“岬が突き出た所”“波を砕ける所”の2つに意味があるそうだ。
遅くなってしまった。ホテル着が18時になる。知人から稚内は飲む店が少なく早く閉まると教えてもらった。急がなくては。