本日は6月28日金曜日。晴れ。気温17℃。


釧路に来て2日連続で晴は初めてだ。今日は2度目の夕陽が見えるかもしれない。残す所四日。なので地元の「釧路湿原国立公園」で行ってない所を行く事に。


まずは「温根内木道(おんねないもくどう)」へ


ここは唯一湿原を歩けるコースだ。駐車場から温根内ビジターセンターまで300m、そこから約1時間の大回りコースを散策。

<温根内ビジターセンター>


<大型バスで来た観光客>


<約2kmのバイアフリー木道>


<展望テラスから1.5kmの木道と小道>誰も来ない

小道も誰も歩いていない 観光客はここ迄は来ない



<雲ひとつ無い地平線が見れる>


<山の方は雲が出てきた>


<木道の下の湿地帯>


<6/23にはシマエナガの目撃情報有り>


鳥がさえずり、風で草木がなびき気持ちが良い日だ。途中で立ち止まり双眼鏡で鳥を探したり景色を見たりしたので1周するのに1.5時間かかった。

いろいろな展望台から湿原を眺望してきたが湿原の中を歩く事はできなかった。釧路滞在残り4日で、湿原の中を歩くことが出来た。感動。


次に「史跡遺跡展示館」へ

<史跡遺跡展示館>


<竪穴式住居の復元>


前回北斗遺跡に行こうとして断念したが今日はこの展示館で1人だけなのにビデオ迄見せていただきいろいろ情報がとれた。

<取れた情報>

1.5万年前〜8000年前 石器時代

 釧路に人が住み始めたのは1.5万年前。

 旧石器時代に釧路で取れない黒曜石が使われてい

 た事がわかっている。

8000年前〜2000年前 縄文時代

 暖冬で海面が上がり6000年前一番海が湿原に入

 り込んだ。この頃現代と同じ温暖化だったのだ。

2000年前〜1400年前 続縄文時代

 この頃稲作ができず本州の弥生時代にはならず

 豊富な魚や大麦、肉などで生活していた

1400年前〜700年前 擦文時代

 北海道独自の文化。

 1200年前に現在の湿原と同じ大きさになった。 

 擦文時代は“オホーツク文化”や“本州文化”の影

 響を受けた。

 屋根はヨシ、壁は土で覆ったのは保温性。

 家の真ん中にはかまどがあり煮炊きしていた。

 大麦や小豆、鮭やマスを食べて生活する為、川の

 そばに住み蝦夷鹿も貴重な食料だった。

 糸を紡ぐ道具も見つかっている。

 擦文時代は700年続き、次のアイヌの人たちに引

 き継がれて行った。

700年前からアイヌ時代

 アイヌ時代は鎌倉時代後期頃生まれた。


北斗遺跡は史跡遺跡展示館から歩いて20分。

行こうとしたら熊目情報が有るのでスズを貸してくれると言われたが、他に行く人は誰もいないので断念。

展示物とビデオで情報収集した。

※北斗遺跡

 湿地帯から20mの高さの台地に住居。

 住居の近くが川や湿原、後ろは森という地形。

 広さは東西2500m、南北500mの範囲

 縄文、続縄文時代は浅い円形や楕円形竪穴102軒

 擦文時代の四角形竪穴232軒

 くぼんだ状態で残されている

※場所

 釧路市湿原展望台へと上っていく道道の登る手前

 を右折して丘の縁を進んでいくと北斗遺跡がある


今日も良く歩いた。早朝運動公園で歩き、温根内木道でも1.5時間歩き、既に14,000歩を越えた。

今月も1万歩以上の日が90%。健康的な毎日を過ごしている。