本日は6月19日水曜日。晴。気温20℃。

今日は26℃迄上がるらしい。釧路に来て1番暑い日になりそうだ。


明日から知人夫婦が4日間来るのでガソリンや洗車など準備がある。なので歴史探索は早めに切り上げようと思い2つに絞る事に。


まずは「炭鉱展示館」に行く事に。

北海道で唯一、海底下で石炭採掘をしていた“太平洋炭礦”の歴史や採掘の様子を紹介している場所だ。しかし毎週水曜は定休日との事。残念。

<炭鉱展示館>無人化の貼紙が・・


しかも2024年4月1日から展示館は無人化され施設見学時は”向かいの体育館隣会館事務室で入館手続きをする事“と書かれている。次回来た時にすぐ依頼出来るように体育館に行くが何処に会館事務室が有るのかわからない。

体育館の中にあるのかもと思い”星雲台体育館の入口”に行くとオーナーの太平洋炭礦株式会社の案内文の貼紙があり「今年2024年3月末で体育館は閉館」と書かれている。平成14年(2002年)1月に太平洋炭鉱閉山して20年目強での閉館のようだ。温暖化対応CO2削減で目の仇にされている石炭の需要への影響がここにも!

<星雲台体育館>



でも外には採炭機が置いてあり案内文が。

それによると昭和41年(1966年)に導入された採堀機で炭壁を上から切り下ろし後方に待機するシャトルカーに積載する機械らしい。無造作に置かれているという事は今は使われていないという事だろう。

ここでも時代の流れを感じる。

<採堀機>


<採堀機の説明文>


高い丘の上にあり見晴らしが良い場所だ。

<景色>


結局地下に設けられた広さ410平方m、長さ80m、高さ3.4mの模擬坑道は見ものと聞いていたが見れず。


次に「港文館」に行く事に。釧路川を挟んで釧路フィッシャーマンズワーフMOO」の真向かいにあるこの場所は明治41年1908年に建設された旧釧路新聞社の社屋を1993年に復元したもの。

<港文館>


釧路川に面した入舟緑地に立つレンガ造りのレトロな建物だ。


釧路の発展の基礎となった“釧路港”は明治42年(1909年)日本帝国議会において予算が付き着工されたそうだ。その時旧釧路新聞社社長の白石義郎氏は衆議院議員として尽力した。この「釧路新聞」は現在の北海道新聞の前身で現在の釧路新聞社とは関係はないとの事。

<由来記>釧路市作成


<ここにも石川啄木が>


石川啄木が76日間記者として敏腕(びんわん)を振るった旧釧路新聞社はこの付近にあったそうだ。

<釧路時代の啄木をめぐる女性達> モテたみたいだ


<啄木の書いた年賀状>


<啄木の人間性>人格は”丸“ではなく”角“


※ 石川啄木の豆知識

 明治19年(1886年)岩手県南岩手郡日戸村(ひの

 と)に生まれ明治45年(1912年6月)26歳で没。  

 釧路の来たのは明治41年(1908年1月21日〜4月

 5日迄)の76日間。


港文館の近くには有名な「スパカツ」が食べられる

「レストラン泉屋総本店」がある。12:15、ちょうどピークが過ぎる時期だ。という事で泉屋さんへ。

ほぼ満席だったがちょうど空いた4人席へ。当然1,350円のスパカツを注文。

<レストラン泉屋総本店>


<外の人通りは少ないが店の中はほぼ満席>


スパカツとは熱した鉄板にミートスパゲティを盛り更にトンカツをのせた釧路市民のソールフードだ。

<スパカツ>


すごい量だ。15分かけて完食。


これは少し運動しなければと思い1時間ばかり歩く事に。

しばらくすると昨日行った「モリシヤ砦跡」が釧路川越しに見えてきた。

<釧路川越しに見たモリシヤ砦跡> 仏舎利塔手前の丘


<地図>


近くの仏舎利塔があり手前の盛り上がりがモリシヤ砦跡だ。


1時間歩いてノルマ達成。14:30現在手元温度計22℃。釧路に来て初めて暑いと感じた。

また汗をかくけど今から洗車に行こう。