本日は6月14日金曜日。曇り。気温14℃。
今日は20℃まで上がる予報。
昨日知ったアイヌと和人との紛争「シャクシャインの戦い」は17世紀。この頃には和人は松前藩中心に北海道各地で商いをしていたはずでこの釧路にもその痕跡が残っているはずだ。そこで「釧路市の神社巡り」をする事に。
まずは「厳島神社」に行った。
厳島神社は広島宮島が有名で平清盛が1168年建造した物だ。その当時はまだアイヌとの商いは始まっていないはず。
正式には「釧路國一之宮 厳島神社」と言い北海道釧路市に鎮座する神社で広島の厳島神社の御分霊を祀っている。一般的に海の守り神的存在だそうだ。旧社格は県社。釧路市民の守護神として仰がれている。
<釧路國一之宮 厳島神社入口>
<釧路國一之宮 厳島神社>
二礼二拍手一礼するも賽銭箱が無い。初めての経験だ。スライドドアを開けると賽銭箱がある。
<賽銭箱がない>
御朱印をもらおうとしたら9時からと書かれていたので再度訪問してもらう。
<釧路國一之宮 厳島神社の御朱印>
<十勝、釧路、根室の神社参拝証をもらった。
時代背景から見るとこの厳島神社の創始は1786年から1792年の間と推察され弁天、阿寒、稲荷の三祀を立て祀った。昨日の「シャクシャインの戦い」から120年後だ。1805年旧真砂町高台のアイヌ民族が「カムイシュマ(神岩)」と呼んでいた地に漁業請負人が安芸の厳島神社の御分霊を歓請奉祀(かんじょうほうし)し神殿を建立。以来豊漁が続き居住者が増加し神社の周りに集落ができたとの事。
境内は米町公園に接する。「米町公園」に行くと石川啄木の歌碑があった。
<石川啄木歌碑>
26歳で亡くなった啄木が22歳の頃76日間の釧路生活をした時の歌を石碑にしたようだ。
http://ja.kushiro-lakeakan.com/overview/301/
このあたりは江戸時代「クスリ場所」の中心地で漁業を開いた商人の屋号「米屋」があり、明治8年に「米町」として命名されたそうだ。
<米町公園の展望台>
<展望台からの風景>
7/12-14で例大祭(くしろまつり)で打ち上げ花火などがされるそうだ。
歴史を感じる神社だ。正月三が日には獅子舞か出て甘酒が振る舞われ、たくさんの人が集まるそうだ。
次に「鳥取神社」に行く。
祭神 大國主神(おおくにぬしのかみ)
旧社格 村社
社殿様式 神明造
このあたりは釧路市鳥取大通xx丁目と言う地名だ。聞いてみると鳥取からの移住者が集まった鳥取村が昔あったエリアとの事。
<鳥取神社入口>
<鳥取神社>賽銭箱は外に置いてある。
<参拝は茅の輪(ちのわ)くぐり>
8の字に3回くぐり抜け参拝する作法
<鳥取神社の御朱印>
この御朱印帳には出雲大社の御朱印も有
※茅の輪の由来はヤマタノオロチを退治したスサノ
オノミコトの伝説だ。
(伝説)
茅の輪は、蘇民将来(そみんしょうらい)の伝承に
由来する。かつてスサノオノミコトが旅先で蘇民
将来の兄で裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)に
一夜の宿を求めたが断られたが、貧乏な蘇民将来
はスサノオノミコトに快く宿を提供した。スサノ
オノミコトはそのお礼として、茅の輪を授け、立
ち去った。その後疫病が流行り、巨旦将来の一族
は滅びたが蘇民将来の子孫は腰に着けた茅の輪の
おかげでその後もずっと疫病から逃れて繁栄した
と言う伝説。
と言う事は鳥取神社は島根県の出雲大社との関わりはあるのかも。
更に調べて見ると明治24年(1891年)北海道開拓のために移住した鳥取県士族によって創設。産土神として島根県の出雲大社より御祭神「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」を拝請し創建された由緒の深い神社との事。ここで鳥取と島根がつながった。
昨年11月に出雲大社には行ったがこの釧路でまた出会うとは。驚きだ。
「大国主大神」は「だいこくさま」とも呼ばれ、「因幡の白兎」の話が有名な神様だ。境内には平成3年当時の鳥取市長や旧鳥取藩主から贈呈された記念樹があった。
<記念樹>鳥取市長
<記念樹>旧鳥取藩主
帯広方面には源義経神社があるらしい。時間があれば伝説を見に行きたい。