4年前の3月11日14時26分頃。

僕は都内のスタジオでボイストレーニング指導をしていました。

生徒の「あれ、揺れてますね、、」からほどなく、強い揺れに変わり、急いで我々は外に出ました。スタジオが1階にあったのが幸いしましたが、、。

地鳴りと、見たこともないビルのかしげ方に声を失い、外に避難してきた付近の人々もなすすべなく、へたり込み呆然とした表情でした。


停電はなかったので、スタジオのPCで情報を確認して貰うと、宮城で震度7との情報。(→震度は後日変更になっています)


長い揺れが収まると携帯が繋がらなくなっているの気づき、周辺の、ざわざわ声がだんだんと大きくなり、現実に引き戻されていくのが分かりました。


レッスンは当然中止。


生徒の男子も「電車は動かないでしょうから歩いて帰ります!」と。彼は神奈川の、割に西側地域から通ってくれていて、、


後から聞けば、この日は8時間かかって帰宅したそうです。途中で携帯のバッテリーも切れ不安になったようですが、彼の自宅付近はそれ程の被害もなかったようで不幸中の幸いでした。


僕も自宅にいる犬と猫が心配で、急いで帰宅しました。


倒れるもの、壊れるものなんて沢山あるわけですから。特に音楽用機材の動き方によっては最悪の事も考えました、、。


幸い動物達は大丈夫でしたが、安全予防対策をしてこなかった室内は、予想より悲惨でした。


が、


テレビに映った宮城県の津波の生放送の光景を見て、本当にとんでもない事態になったと理解しました。


こちらは室内を片付ければ済みますが、一体どうなってしまうのだろう、、と。


とは言うものの、映画の特撮を観ているようで、現実感が直ぐには湧いてきませんでした。


実家のある茨城県日立方面も連絡が取れません、、


事態が分かってくるのは、それ以降の日々、少しずつなのはご承知の通りです。


4年という歳月は「全てを癒す」には、まだまだ足りない時間。


言葉にできない思いを、どうやって共有できるのか、寄り添えば良いのか、僕自身、自分のことで精一杯なのに、何をしていけば良いのか、、


でも、自分のできることは限られている。だから、自分のできることを、、。と、思っています。


次の世代に、少しでもスムーズにバトンタッチができるように。



※ 写真は3/11当日の自宅キッチン食器棚周辺です。自宅マンションは築年数が古いですが、防災対策をしていた室内は、同じマンション内でも被害は僅かで大丈夫だったそうです。やっぱり細かい対策、、食器棚の扉をロックするなどは必要ですね。今後は大きな余震も予想されています。高い場所の荷物などは、今のうちに整理しておいた方が良さそうです。

KATSUMI HP
BRIGHT DAYS