昨日、妻が17年前に仕事中の事故に遭って、病院に運ばれたところまで話しました。一旦家へ帰って再び病院へ。妻は意識不明のままICUで延命措置。意識はないが、足が激しく痙攣。先生の話では、車ごと水中に転落して酸素が脳に回らなくなって脳の神経がパニックを起こしているとのこと。また、二の腕には、水中で車から出ようとしてドアを押し出そうとしたあざができていて、あまりにも痛々しかった。んー、僕には何もしてあげることがないなって本当に悲しい時間だったことを覚えています。助けていただいたレスキュー隊の方とはお会いできなかったが、心から感謝。きっと大変な作業だったに違いないと思う。でも、僕として何もできなかったね。

その日の夜、経過を見ていただいている循環器の先生に呼ばれて「池の水を大量に吸い込んだことで、腎機能が低下しています。今晩が山ですね」と。僕「それは困ります。まだ3歳と6歳の子供がいます。そうなったら、どうしていいのか…」と。なんか17年も前の話だけど、この光景、昨日のように覚えてますね。その部屋の大きな窓ガラスの向こうで、妻が必死に生きようとしている姿が。本当に絶するような辛さでした。

それから、なんとか山を越えて、意識は戻りませんが少し安定した期間が続きました。子どもたちを病院のICUに連れてきて対面。でも笑顔はなく不安そうで不思議そうな顔。仕方ないですよね、いつもとは違う母の姿。もう、どうしようもないんだしね。

それから、1週間、2週間が過ぎ、3週間目、ついに奇跡が起きて、意識回復。多分、記憶はないかなと思ったのだけど、なんと僕のことも子どもたちのことも覚えている‼︎本当に嬉しくて涙出たね。これまではあまりの悲しさに、本当に泣いてばかり、人に見られたくないので車の中で大泣きだったけど、初めて嬉しくて涙が出た。さらに回復してベッドを起こして子どもたちと記念撮影も。さらに、その頃はやっていたみのもんたさん司会のクイズ・ミリオネアの「ファイナルアンサー〜〜〜‼︎」も僕と一緒にテレビを見ながらクイズを楽しむことができるように。ただし、気管には窒息防止のカニューレと呼ばれる装置を入れて定期的に痰を吸引しているので声は出なかったし、胃は流動食を入れる胃瘻が作られていて、体も指先以外はほとんど動かない状況。それでも、これからはどんどん良くなっていくんだろうと思いっていた、というか、良くなっていくことを望んでいた。


でも、そうはならなかったんだね、本当に残念だったけど、悲しかったけど…。


地域の基幹病院は、最大6ヵ月しか入院できないシステムになっていて、急性期3ヵ月、回復期3ヵ月の計6ヵ月。それで、急性期の3ヵ月経過した時点で、なんとか回復の見込みがあると判断していただいて回復期の3ヵ月に突入。毎日、リハビリに励みました、一生懸命、辛くて顔を歪めながら…。でも、なかなか思うような回復には至らず3ヵ月が経過。それ以降は地域の病院を探して3ヵ月ごとに転院を繰り返す必要があります。僕もそのことは聞いていたし、覚悟はしていました。仕事も続けられるかわからないなあ、まあ、人それぞれ運命や宿命があって、しょうがないよね、なんて。

転院に向けて、入院している基幹病院からこれからお世話になる病院をいろいろ紹介していただきました。まずは家に近い病院がいいということで、早速病院に伺い、妻を診察していただいて、これまでの事情を聞いていただきました。すると、ここでとてもありがたい話をいただきました。本当に奇跡と言ってもいいかもしれないことが…。


今日はここまでにしますね。続きはまた明日。

今日はこの冬一番の寒さでした。僕の住んでるF市も20cmほど雪が積もりました☃️。毎朝の交通渋滞がたまらない季節です。