昨今、「頑張らない生き方」がクローズアップされています。



私は、以前と比べてやみくもに「頑張る」って言わなくなりました。また相手に対しても「じゃー、頑張ってね!」と別れ際の挨拶にするのも、躊躇する場面もあったりします。



私はもう、昔のようにがむしゃらに頑張るのは、正直言っちゃうと、体も心もキツいな~と思っています。



だから「頑張らない生き方」に大賛成です!
でもふと、思ったんですよね。



そもそもどうしてここまで、「頑張る」がネガティブなイメージになっちゃったんだろうって。

がん‐ば・る【頑張る】
困難にめげないで我慢してやり抜く。

*デジタル大辞泉


” 困難にめげない ”
" 我慢してやり抜く"


辞書の「頑張る」の定義を読んだだけでも、思わず後ずさりしそうな圧を感じませんか?



特に「我慢」って言葉に「はぁ?」って引っかかっちゃう。我慢って、どのくらい我慢しなくちゃいけないのかしら?



”本当はイヤでキツいけど一生懸命やる” 
そのことが頑張ることだとしたら、「頑張らない生き方」は、幸せなるためには正しいと思われます。



◇ ◇ ◇

でもですね、
頑張ってるのにもかかわらず、我慢するどころか、楽しい、嬉しい、夢中になる、時間を忘れるときってありませんか?



体と心が心地よく疲れている感覚なんですよね。



そこで、私の中で「頑張る」の定義をガラっと変えてみました。というより、勝手に書き換えました(笑)


がん‐ば・る【頑張る】
自分の持てるエネルギーを、出し切ること

*かつみ辞典


「頑張る」とは、エネルギーを出し切る
ことであって、エネルギーの消耗とでは似て非なるもの。



昔の私は、エネルギーをムダに消耗していたから、毎日とても疲れていました。



だから、頑張ることが途中でイヤになったんです。枯渇寸前のエネルギーをなんとか温存しようと、頑張らないことで自分を守っていたのです。



「出し切る」って、本来とても気持ちがいいこと。エネルギーがごく自然に内側から外側に放出される感覚です。


対して、「消耗」って、エネルギーが吸い取られる(奪われる)感覚に似ています。だから、どんどん元気がなくなる。



エネルギーを出し切った後は、爽快感
エネルギーを消耗した後は、疲労感



これが、出し切ってるのか、だだ消耗しているのか見分けるポイント。



このように「頑張る」の定義がガラっと変わると、私は「頑張る生き方」っていいなと思えるようになりました。



エネルギーを消耗する頑張り方ではなく、
エネルギーを出し切る頑張り方をしていきたい。



今までのように、「我慢」「忍耐」「不安」「焦り」のネガティブな感情で頑張って、エネルギーを消耗することから卒業して、


「楽しい」「好き」「嬉しい」「心地いい」のポジティブな感情で頑張って、エネルギーを出し切る生きた方を選択していきたい。



たとえそれが今は難しいことだとしても、その割合をちょっとでも増やせるように頑張る!



楽しく頑張ることができれば、それがもうすでに幸せなんですよね ♪