「お前は陰キャなんじゃなくて、ただ実行力がないだけだ」

すでに削除したコメントだが、このブログのコメントで外部からそのように言われた。


もともと、エウレカセブンにおいて「盛り上がったもん勝ち」という風潮をオレが嫌がっていたのを答え合わせさせられた気分で、そういうところだぞ! と思ったのだ。さらに向こうは生殺与奪権を握るように、こちらが陰キャか否かを決めようとしていたのだ。たぶん、コメントを送った相手は、こちらが「自分は陰キャじゃない」と言っても「いや、お前は陰キャだろ」と決めてくるのだろう。そういう上から目線なところが気に入らないし卑劣だと思う。


もともと自分はエウレカセブンが大好きなはずだった。その作品に触発されて“新世界フォーミュラ・アーマメント”という一次創作も描き始めていた。


それなのに。


「ガンダムやエウレカセブン、アーマード・コアの影響を受けすぎている!」

「影響を受けた作品から記号化している!」

「リアリティに反している! これを勉強するのは、もはや義務だ!」

そんな言葉の数々を強く投げかけられた。


だからなんだよ。それじゃあ、いけないって誰が決めたんだよ。因習村の住人か? 手前らに都合の良い自分勝手なルールをこっちに押し付けんな。


結局、当時フォーミュラ・アーマメントを小説として描き連ねていた個人サイトは度重なる荒らし被害に心が折れて実質閉鎖となった。


その後も学校の創作サークルに参加してイラストを描くこともあったものの、そこでも自分がエウレカセブンを語るのにふさわしくないかのように、その話題に触れさせてくれない。結局、後に参加した後輩にその話題を譲ることになってしまった。これについては劇場作品のポケットが虹でいっぱいが公開される頃で、その頃にはエウレカセブンに対して自分はそこに参加するのにふさわしい存在でない、と自覚があったこともあって、すでに語れる気がしなかったのだ。サークルも対応が遅えよ。仕方がないかもしれないけど、その学校も学業において効率と成果を優先して、こちらが傷ついても何も優しくしてくれなかったし、親も追い詰めてばかりいたしな。まるで人のことを人と思っちゃくれねえ。そんな本質を学校から見抜いていたからこそ、オレは学業にも学生生活にも身が入らなかったのだろう。


エウレカセブンにおいて半公式を名乗り上げる特定のDJパーティだってそうだ。「誰でもウェルカム」ヅラして、こちらのことを誘うだけ誘っておきながら、合わなかったら界隈の敵として排除したがる。そのくせ、そのDJパーティに同調するような部外者でさえ、オレが同じことをしようとすると全力で騒ぎ出す。BellforestNestのビッグ・ブラザー、モルグ・ヒットゥラー。そのモデルになったお前らのことだよ。


そもそも何さ、さっき書いたようにオレの筆を折ったような“におい”のする連中が「自分たちこそが真のエウレカセブンファンですから!」と声を上げてさ。こっちだって自分こそがエウレカセブンが大好きなんだと声を上げたかったさ。ふざけんな!


結局考察班のクオ・アマトのモデルもまた持論でこちらをジャッジする“におい”がしていた。言葉の内容の節々にもあったのだが、それらを切り取って相手を指摘することは残念ながらオレにはできない。オレは情報をまとめる才能が育たないし、育てるのも人が想定している1倍以上の苦痛が伴いすぎる。しかし、そういう“におい”は直感で感じてしまうのだ。結局こちらの二次創作を気持ち悪い、とか罵倒してきたり、一言一言でこちらの考え方を自分より安直なものと決めつけて片付けるしな。そういうのがたまったもんじゃねぇよ。


そして、そういう直感はだいたい当たっている。その直感からの主観というものを今の世の中は大事にしなくなりがちになってしまった。だからオレの言うことも聞かれなくなりがち。自分の親しい方たちが聞いてくださるのが大変ありがたい。


……残念ながらオレには情報をまとめる力はない。ゆえにエウレカセブン界隈で声の大きい特定の連中に、なぜいまだに良からぬ想いを引きずっているのかは、ここまで書いてきた想いの数々を点として線あるいは面として結んでほしいと思う。そのなかにはオレが受け入れがたい結論もあるかもしれないが、ここまで寄り添ってくださった方たちなら、しかるべき結論を出してくださると、オレは信じる。

これまでエウレカセブン界隈についてや身の回りのことで幾度か記事を書いてきたが、その際のコメントで「お前の言い分は支離滅裂だ。相手にはマウント意識なんてない。意識があるのはお前の方だ」というものがあった。相手にはなくてこちらにはない? 何を根拠にそう決めつけたものなのか。コイツは俺のことが嫌いな集合意識体の一端末なのだ。

たしかにオレは外からの知識や根拠を取り入れて推測するのは苦手である。これは内向きに直感を働かせ、外部からの知覚に対し感情を働かせて反応することの積み重ねだ。それを彼奴は支離滅裂だと無下にした!
内向きの直感と知覚に対する感情、これらを働かせる捉え方は誰かにとってはありえない話だとしても俺にとってはそれが現実。
また、その“現実”について「お前がそんなチンケな現実でしか生きられないのなら薬を増やせ」と簡単にくくったバカな友人もいた。お前に何が分かる。お前に分かるはずのないことを簡単に分かろうとするな。お前だって自分が妄想呼ばわりされた自分自身の現実を客観的な現実として認めてもらいたがっていただろうが! 自分は良くてオレはダメだと言いたいのか? そんなバカな話があるか。頭特権階級かよ。

内向きの直感と知覚に対する感情を否定するな!

今回のブログタイトルにもあることだ。これらを無下にして、これらを働かせないと生きていけない人々の居場所を奪う馬鹿な連中は多すぎる。ブログやXでの荒らし行為もそんな奴らだ。だからオレの報復における至らなさを粗探しして嘲笑うことだってできる。処刑してやりたいくらいだ。
それが嫌ならオレを嫌う奴らはオレのような人たちのことを上手く搾取しようと考えずに縁を切ると良い。悪いことは言わない、その方が棲み分けとして穏便なのだから。

対外者たちに友好的に努めるためのアカウント“ワイルドレンチ”を通して、ある考察者がTV版交響詩篇エウレカセブンのことを「“これまでを肯定してきた者たち”と“これまでを否定してきた者たち”の対立」と強調していたのを目にしてしまった。たとえるなら前者がホランドたちゲッコーステイトやレントンとエウレカたちのことで後者がデューイを指していた。その考察者はもともとレントンとエウレカのことを愛していたようで「どんなに惨めになってでも自分は彼らやその家族のことを応援していく」とさえ言いきってしまう、SNS上での発言もあるくらいだった。俺はその言葉に「当てられている」と感じ、さらに次第に「じゃあこれまでを否定してきたデューイや彼のような内面や性質を抱える人たちをこれまた否定して、めでたしめでたしと言いたいのかよ」という遺憾が沸き上がっていった。

そんな思いが沸き上がるなかで、俺はSNSでの今のメインアカウントを中心に行ってきた活動やその意図を振り返っていた。アムタスク・ナルク。内向きに直感を働かせ、静かな情熱を燃やす少年。このキャラクターはそんな一面を表した自分のアバターとして描いてきた。

アムタスクの名義からの俺自身の活動は、なかには過激な報復もあり、このブログで描いてきたことも含めて直視しがたいことも少なくなかったが、それでもそこにあったのは“これまでを否定してきた者”という烙印に対する無念だけでなく、自分やそこに集まってきてくれた仲間たちと創る“これからを肯定したい”という信念もあったのだろう、と振り返ることができたのだった。

今はキャラクターやLFOのイラストを描くので手いっぱいだが、そのうち自分とレントンとの友情をテーマにした1ページマンガやアニメーションを描いていきたいと思っている。はっきり言って、今の俺にとっては目標に対して行動力が足りなさすぎる。それでも、その目標は“夢”となって俺を奮い立たせ、その背中を押してくれる。

俺自身ももう一人ではない。

「行動力がない」なんて言わせたくないのだから……。

 

 

 

 

自分は2020年5月ごろに陰是流として内向性を打ち出した覚えがある。現在はそれに加えて直感や内なる世界を前面に押し出しているが、これらは「外向的にふるまい行動力を爆発させてモテるのが正義」という風潮をもたらしていたと個人的に感じた一部のDJパーティが一因にあると思った。さらには自分の行動の一因として「すべてを具体的に物事をとらえて理詰めで意見を述べよ」という風潮を感じた考察班の存在もあった。

 

これらに自由を奪われたとオレが感じて結果的に反発しながらエウレカセブンをそれでもなんとか愛そうとしていたが、このような自分の心の働きを「心理的リアクタンス」と今日に知った。

 

さらにその言葉を検索する途中で「心理的安全性の作り方」という内容にも少し触れることになった。そのための一つとしてはその場にいる者たちがそれぞれ発言する機会を均等にするということがあったが、思えば自分が先述したDJパーティや考察班にいまだに反発意識を強く抱きながらも、どこか分かり合えるところでは分かり合いたいと願うようになったのは、自分が発言権をある程度得ていくようにそれらのなかから独立できたこともあったと思う。

 

そうなのだ。自分が自由を奪われたと感じてなかばやけ気味に起こした数々のことも今に独立がかなうことにつながっていたと思えば無駄ではなかっただろうし必要なことというか仕方のないことでもあったと思う。

 

もちろん、自分も外向性を欲する時やモテたい気持ちもある。自分たちがそこに少しでも触れるためにはそれらをかなえる特性を持った者たちがそれらそのものを相手たちに押し付けずに見守る姿勢が必要だ。分野は違えどオレにもその姿勢は必要だと思う。そのことにもう少し早く気づいていれば、外向至上主義への反発からの内向主義の押し付け、さらにそれに対して反発した反自閉主義も起きずに済んだのだろう。

 

今は仲介役や過激な反発思想を抱く集まりを治める方たちも見られるようになってきて、そこに今後は期待したいと思う。

 

お久しぶりです!

 

しばらくX(旧:Twitter)にて内省と交流を繰り返していたのですが、このたび訳あってブログを再開しました。アプリではなぜか記事が読み込めなくなったり、ケータイの通信状態を高速モードに切り替えて書かないといけないので通信料を余らせたいのもあるんですよね。いつできるかわかりませんが、ひとまず今日の記事だけでも。

 

訳とは、二次創作を中心に作業所で描いていたイラストをポートフォリオにさせていただいて、それをX等のSNSにも投稿できていたのが今回ルール改定で難しくなったことがきっかけでした。なので、二次創作のような自分が描きたいものは作業所を早退して取り組んでいきたいと思っています。

 

色々書いてまとめたいことはありますが、まずはこれにて!