おはようございます。

今日は母の誕生日です。

80歳になりました。

母は戦時中に満州国で産まれました。

祖母の親戚の工場が満州国にあったそうで 祖母は満州国に渡り 親戚の工場で働いていたみたいです。

そちらで母の父親である人(日本人)と出会い 結婚し 母が産まれ 、母が生後1ヶ月の頃に 父親は戦地に向かい戦死しました。


戦後 祖母と母は帰国し 祖母のお兄さんの家に世話になっていたらしいのですが 母が6歳の頃に 私が知る祖父と 祖母は再婚しました。

母には9歳下、10歳下の妹と13歳下の弟がいます。

祖父母の介護は 母の2人の妹が全てやってくれました。

お2人とも 忙しく働きながらでしたから大変だったと思います。

末っ子長男は 甘やかされてた人だし 大阪に住んでましたから親の介護や介護にかかる金銭面の負担はしてなかったです。



母は親の介護はしてませんが 16歳で関西に出てきて女工さんとして寮生活しながら働き 幼い妹や弟がいる貧乏な実家に仕送りをしていたそうです。

関西に出てきて工場で働き始めてすぐ 神戸の大学病院でヘルニアの手術を受け入院したそうですが 実家は貧乏な田舎の家庭なので、保証人になるための祖父の旅費も母が送ったそうです。



寮生活では 遅番の日は 昼間にお花を習ったり 料理教室に通ったりしていたそうです。

うちの父と結婚するなら 花嫁修業なんて要らないよね、と思いましたね、私。

ちゃんとした 経済状況が安定した 正社員で働いている男性に嫁ぎ専業主婦になるなら 花嫁修業も必要な時代だったんでしょうけど。


「遊ばせるなんて そんなみっともないことはできない」 と父から言われ 姉が生まれる結婚後6年までは共働きで、父はクリーニング屋に勤めていたんですが、 親戚はクリーニング屋経営をしていたという父に

洗濯機を使うなんてことは 洗濯屋の嫁として許せないと父は母に言い 母は シーツから何から全て洗濯物を手洗いさせられていました。


それでも父が 大きな企業に勤め 母は専業主婦をさせてもらえ 福利厚生もしっかりあり 老後も安泰であろうと思えれば この人の為に頑張ろうと思えただろうと思うのですが、父には何も良いところがないので 自立しているタイプの女性だった母は なぜ 離婚しなかったのでしょうね。

やっぱり 親戚やらからの世間体でも気にしていたのかな。

そんなもんは つまらない見栄みたいなもんなのに、と私は思うし、両親が結婚生活を続けてきたからこそ 私は産んでもらえてありがたいとも 正直思っていませんからね。

私の考えは 子供を生むなら 子供に最良の環境や愛情を与えてやりたい、というものだからね。

それができなくて 子どもに負担や しわ寄せを貸せるくらいなら 子どもなど欲しくは無いので。




まあ、なにはともあれ母は苦労してきた人なので これからも穏やかで 元気に暮らしてくれればと思います。