上の子を妊娠中、友人が助産院に行くからついてこない?今後の勉強にもなると思う。と急な誘い。


以前から友人の通う助産院には興味があった。知る人ぞ知るというようなとても有名な人。

何度も友人からその助産師の話を聞いていたので、喜んでついて行った。


コロナ禍、急に付き添いなんて嫌がられないだろうか。行く前にちゃんと聞いておいてとお願いした。妊娠中だから興味があると言えば大丈夫。コロナだけど向こうもそんなの気にしないから。と。


到着して、友人が

「一緒に来ちゃいました。妊娠してるので見学に。コロナとか、大丈夫ですよね?」

「いやいや考えてはいるよ。家族以外の人が急に来られても困るんだけど。県外からの里帰りの人も今は断ってる。」

最初からチクリだった。


一緒に来た友人の子はその頃一歳。おっぱいケアの間は一人で大人しく遊んでいると聞いていた。


友人はコロナ禍で外にも出られず、また、夫とのことなど鬱屈した思いを話し、助産師はそうねそうねと頷く。私は助産師の手元を眺めつつ、友人の子の動きをチラチラと見ていたが、そのうち、友人のバッグの中身を出し始め、メガネケースを触り出した。

私は、それが特別良くないこととは思わず、危ないことがなければいいくらいに思っていた。普段は、友人がケアを受けている間、そばでそれなりに過ごしているのだから。いつもこんなものなのだろうと。


「あ、それ、メガネー!!」

と助産師が強い声で叫んだ。


それから続けて言われたこと。

あなたは子どもがいないから注意力がないのよね。それは仕方ない。育てたことがないのだから。親は子どもの危険を察知して止めなきゃならない。メガネは大事なもの。あなたが見ててと言われたんだから、あなたが責任を持って見ておかないと。私はケアに専念するから見ていないわよ。そんな内容だった。


それから、友人に対し、あなたが今日友達を連れてきたのは、子どもをみるのが限界な精神状態だったのよね。毎日1人でみるしかなくて、どうにかして少しでも子どもをみることから離れたかったのよね。と。

友人はそうなのと言わんばかりにボロボロと泣いている。


助産師のカウンセリング力はすごいなと思った。そして母親ってそういう状況に陥るのだと。待ち合わせて助産院に到着するまでに、友人もその状況を私には話さなかったし、私は察することができなかった。

信頼する助産師にはここまで頼って話せるものなのだとも思った。


ただ居心地が悪かった。

その後は、子どもを見ていて、どこまで見ていて良いのだろうか、葛藤だった。私ならカバンの中身なんてどんどん触らせる。おもちゃを床にガンガンと打ちつけはじめた時には、おっぱいケアに集中できるようにある程度制止したほうがよいのか。でも、子どもってそんなものじゃない?親だったら子どもが出す音くらいかまわないかな?制止して、子どもの機嫌を悪くしてしまったら、それ以上に気が散ってしまうか、ケアを中断させてしまうんじゃないか。子どもがいないからわからないと言われて、もう自分の感覚でも動けるわけなく、でも、だからといってどこまで大丈夫ですかなんて聞ける雰囲気でもなく。


勉強になんてならなかった。


家に帰り、どっと疲れを感じた。

行く前のワクワクはなんだったのだろうかと。


友人の助けになったのなら、少しは良かったと思った。でも、今後私はあの助産師に自分のケアを頼めるのか。私の印象も悪かっただろう。

患者ファーストで、友人のように、患者の立場であれば違うのかもしれないとも思った。


その助産師の名前を聞くたびに、ギュッと苦しくなる。最初の出会いでした。