いつだろうCGSを知ったのは?
いつだろうCGSを目指そうとしたのは?
いつだろう行けるかもしれないと思ったのは?

CGSがあることをいつ知ったか覚えていない。少なくとも防大生の頃は知らない。
1等陸尉の指導官が勉強していることも
プレッシャーを感じていることも

幹候校に入るとCGSがあることを知る。
いつも偉そうな区隊長が必死で勉強している。
合格の可能性がある優秀な者が幹候区隊長や職種学校教官として引っ張られる。
学校はPOIに従って淡々と教育するだけ。
部隊のような訓練も検閲も恒常業務もない。
部下の曹士が事故を起こすこともない。
勉強する時間がタップリある。
でも、期待されるとプレッシャーがかかる。

CGSを目指そうと思ったのは全てがチャラになるから。防大、幹候、BOC、AOCが悪くてもCGSに行けばリスタート出来る。

それを信じていた。

防大#1の志摩さんと源川さんの話を聞いた。

今ではBU幹部は何か悪さをしない限り1尉まで一斉昇任する。でも、防大#1の頃は1尉の時に差がついた。源川さんは7/1で昇任せずに2尉のままAOCを修了した。

俺達もCGS3年生(2年生以下は卒業済み)以上が3佐昇任時に味わってた。今はCT&Fの一部まで3佐に一斉昇任するようになったが…

これが部隊なら問題はない。
でも、入校時に同期に先を越されるのは辛い。

そこで源川さんは奮起した。
常にトップを走る志摩さんに負けじと勉強しCGSに入校して頭角を表した。

防大出初の陸幕長は優等生の志摩さん(俺が幹候の時に9DCG長の椅子に座らせてくれた人)。
でも、源川さんは2番手になり、方面総監を2回歴任してご勇退された。

これを聞いてから俺も頑張ってCGSに行けば「志摩&源川」のように「NZ&俺」になれる。なんせ、何もしなかった落ちこぼれが少しやるだけで野特AOCトップ5+αに入った。
このまま勉強したら行けるかもしれない。

牽引車が燃えた時はもうダメだと思った。
でも、神は乗り越えられる試練しか与えない。何とかそれを乗り越えた。
その先にCGS合格があった。

CGSを目指す目的は一つだけ「一発逆転」!

でも、CGS合格が目的の奴は伸びない。
合格はあくまでも通過点に過ぎない。