子供の頃からBCLやハム等の電気が好きだったので電気か電子に進みたかった。

将来は社長になるのが夢だった。

でも、残念ながら防大に入った。

最初は勉学意欲があったが日々の学生舎生活や女と遊んでいるうちにそれが薄れた。


そんなことは言い訳じゃないか!

ジュリアナ東京を作ったのは防大28期の折口雅博、同期には関潤や村井嘉浩宮城県知事もいる。防大卒は意欲と実力があれば社長や自治体のトップにだってなれる。
なれないのはやる気がないだけか?

防大28期は人事的に色んなことが起きる。

学生隊学生長だった特科のMZさんは早々にリタイアー。実力者だった狐目のKTさんはお子さんの事情。特科トップと噂の人事部補任科担当のYGさんは同期の評価が低かった。一選抜1佐になれずM駐屯地業務隊長1佐(ニ)で退職。逆に2佐一選後のIYさんは運用課長の坊っちゃんに気に入られ最後はKH長で勇退。

登り詰めたのは湯浅陸幕長だった。
防大もCGSも二浪した少林寺拳法部主将
防衛省自衛隊は彼に4度の試練を与えた。
でも、神は乗り越えられる試練を与える。
防衛省自衛隊はそんな彼をトップにした。
違例中の違例、坊っちゃんAKのように誰かの力が働かなければ起こり得ない。
なんせ前例がない。

官僚が最も気にするのは前例だから…

最後まで誰が同期をリードしてるか分からなかった(昔から湯浅さんだと思っていた。何度か酔って絡んだこともある。湯浅陸幕長の悪い噂が立つのはこれを書いたあとのこと。パワハラで精神論が好きだったから俺を出世させてくれなかったかもしれない。俺は精神論よりも効率的に成果を出すべきと思っていたから)。

上の上の対番住田閣下は湯浅さんとの陸幕長レースの最終コーナーで破れる。
背が低かったから?
そんなこと言ったら背が低い陸僚長は一杯いた。先崎さんも山崎さんも大きくない。

防大ではないが、富士学校長の時、ミスター自衛官(俺の将来を台無しにした)に教範を渡して勇退した渡部さんも少工U´で幹部84期=防大28期相当だった。

この期はとにかく色んなことが重なり、なるべき人じゃない人が総監になり、辞めなくて良い人が辞めた。部下は大変だったと思う。
俺は直接の被害を受けていないが…

思いっきり話が脱線した。
でも、あくまでも噂なので真偽は不明。

だって「人事はひとごと」だから…

勉強で1番苦労したのは1学年

前期に数Ⅰ&図学&独語=3科目6単位がE
全て通年なので後期で全科目クリアーしないと即留年確定!

あのツラい1学年を、同期が対番をとるのを横目で見ながら、薄く変色した作業服を着て生きるのは、耐え難い。
防大生は一度しか留年出来ない。
勉強して学生手当を貰っているから。
まあ、当然だよな。

同期はなぜか毎年一人ずつ亡くなった。

自殺もあれば事故もある。
最初の死は自殺、それも留年1学年OD
とても真面目そうで色白。
同じ大隊なので何度か見かけた。
後期が始まる前に学校で勉強したのだろう。
発見されたのは野外の物干場(ぶっかんば)。
そこには俺の洗濯物もあった。
少しだけずれていたが…
恐らく二回目の1学年前期の成績が悪く、後期がダメなら退校になると思ったのだろう。
何も死ぬことはないのに…

3学年の時もいた。
OH学生は1学年から同じ大隊。
なで肩、執銃が大変だったに違いない。
ジェットパイロットになるために入校
机にはプラモや写真が一杯あった。
雑誌は全て航空関係。
パイロット適性もあり希望通り航空工学へ
残念ながら14班ではなく13班。
全く希望していない海上要員になる。

海上には医官を除き最も高給取りのヘリパイがいる。でも、日本には海兵隊がない。
航空要員に進むしかジェットパイロットになれない。ただ、全くないわけでもない。
海上から陸幹候に行く奴もいる。
海上から航空に行けるか分からないがP適があれば可能性はあったかもしれない。
少なくとも道はまだあったはず。

もしかしたら心の病だったかもしれない。
初めは未遂、2度目は隊舎屋上の物干場で見つかる。ちょうど自習時間だった。夜中に階段を登る音が聞こえるとの噂が流れる。
もしかしたら、まだ、小原台でパイロットになる夢を見ているのかもしれない。

何度も話がずれるが40年近くも前のことだしスマホで打っているので許して頂きたい。

さあ、最大の問題はいかにして1学年を乗り切ったのか?

夏から付き合い始めたみゆきとよく遊んだ。
勉強はそれなりにした。
ところが前述の3科目を落とした。
ちなみにその他の成績はC以上。
全科目で平均Cを越えている。
だから3科目落としても訓練部長注意にはならない(単なるバカではない)

さすがの俺も焦り少しずつ勉強した。
いずれも通年、評価は1年分だから…

最大の問題は独語
英語とは似て非なるもの。
英独は敵対関係にあったから無理もない。
そもそも独語の基礎を学んでいない。
単語も人称も分からない。
単語ひとつ書けない。
知ってるのは唯一、イッヒ リーベ ディッヒ
(私はあなたを愛している)だけ。

今さら基礎を勉強している暇はない。
でも、これを落としたら即留年…

俺は持っている。
神の救いの手が伸びた。

体調不良(数年後他界した)の先生は、幸いにも我々ボンクラにラストチャンスをくれた

授業が出来ない先生は試験範囲は大量だが日本語訳しか出さないと約束してくれた。
必死で全文暗記した。
単語は読めないから全て形で覚える。
この単語の集まりはこんな意味
この単語が出たらこの意味
言語と言うより記号を日本語で覚えた。
なんと見事に💯をとる。

ピンチをチャンスに変えた。
全く独語が読めないにもかかわらず…
前期のEは加味されず後期だけでAになる。

図学も💯でA、数ⅠはC、結果的に好成績で2学年に進学した。なぜかって?
やれば出来る子だから…

勉強は学科だけじゃない。
訓練科目も、防衛戦略もある。
一般大生が遊び回っている時に防大生には定期訓練がタップリある。

何度も愚痴るが学生手当を貰っているから仕方ない。貴重な時間を売っているのだ。

着校直後に習うのは、停止間の動作などの入校式に必要な各個動作や集団行動や学生舎生活にに最低限必要な動作だけ。

入校式後は訓練の時間を使って小銃などの陸自の新隊員レベルのことを教わる。
分解結合はちゃんと覚えておかないと武器手入れで時間がかかって苦労する。
実弾射撃をするからミスは許されない。

7月になると上級生がいなくなる。
上級生達は辛くてキツい訓練に行くとだけ聞いていた(詳細は4学年時に後述する)。
そして、待ちに待った1学年の天下が来る。

メインイベントは8kmの遠泳

浦賀から猿島(最近、テレビで観たが、猿島までのツアーがあるそうだ)までの4kmを平泳ぎで往復
赤帽は片道のみ。真っ黒になったと思ったら東京湾の油だったとはよく聞く話。
海上で乾パンを食べる。でも、最後まで泳ぎながら小便やウンコは出来なかった。

この時点で海自に行けないことを身をもって知る。更に2学年の春期訓練のカッター訓練(これも詳細は後述)では海上でなくて良かったと納得する。

北海道育ちなので初検定をクリアー出来ず赤帽からのスタート。でも、負けず嫌いは必死で泳いだ。直ぐに基準をクリアーして白一線帽になり、見事に8kmを完泳する。

それ以外の訓練はあまり印象に残っていないというかそれほど真面目にやらなかった。
それでもそこそこの点は取れる。
どの科目もD以上なら問題はない。
卒業後に研究科や留学しないなら極端な話、今にも沈みそうなCD艦隊で良い。
将官を目指すならそこそこの順位がいる。

卒業してから知っても遅いが…

1佐までは自分の実力だけでなる。
でも、将官になる時は防大の成績も内局の受けも将官の推薦も必要になるようだ。
俺には最初から無理だった。

1学年の教育訓練の所見になってしまった。