お話しくださったのは女川商工会議所の青山さん。
女川の商工会議所は4階建てで、青山さんはそこで被災したそうです。
津波はその4階建ての建物を飲み込んだ。
青山さんは屋上にある給水タンクによじ登って、ギリギリのところで助かった。
青山さんはおっしゃいました。
あの瞬間、死を覚悟した。
まず頭に浮かんだのは家族のこと。3歳と1歳の子どもがいる。
無事でいるだろうか?
そして、後悔。
当時、日々仕事に忙しく、家族との時間がぜんぜんとれなかった。
土日もなく仕事をし、帰宅は深夜。朝はギリギリまで寝ていたい。
子どもたちが起きているのがわかっても、無視して寝ていた。
震災の日の朝もそうだった。
給水タンクの鉄骨に自分のネクタイを結びつけた。
私は黒いネクタイしかしない。家族はそのことを知っている。
このネクタイが私の生きた証に。
そう思って結びつけた。
そして青山さんはこう続けました。
月並みかもしれないけど、日々を精一杯生きてほしい。
今思い浮かぶ「一番大切なもの」
それを大事にした方がいい。しっかりとそのための時間を作ってほしい。
僕も家族との時間をもっともっと大切にしようと思った。
他には
・防災も必要であるが「減災」の考え方が大事。
・自分の身は自分で守らなければならない。自分の頭で考えて行動できるように準備した方が良い。
・自分たちの街は自分たちで守らなければならない。地元のことは地元の人にしかわからない。
などが印象的だった。
障がい児者の家族はどうしたら良いか。
鎌倉に暮らす障がい児者の家族のことは私たちにしかわからないん。
僕たちに出来る震災への備えを考えたい。
そんなことを強く感じた。
鎌倉は震災が起きれば間違いなく津波の被害が出るだろう。
私達は避難生活を余儀なくされる。
今できることを一つ一つ、前に進めていきたい。
僕たちに出来る震災への備えを考えたい。
そんなことを強く感じた。
鎌倉は震災が起きれば間違いなく津波の被害が出るだろう。
私達は避難生活を余儀なくされる。
今できることを一つ一つ、前に進めていきたい。