富山県の利賀村に、西勝寺という寺があります。
この寺の住職は、
1570年代に、織田信長と争っていた石山本願寺を応援するため、
五箇山一帯の「ある物」を集めて、大阪に運んだとされます。
ある物とは、塩硝(えんしょう)。火薬の原料です。
当時、五箇山一帯では、合掌造りの建物の地下などで、塩硝を作る家が
多かったのです。
これが西勝寺の住職らによって石山本願寺に運ばれ、信長を苦しめました。
石山本願寺が信長の手に落ちたあと、本願寺顕如の息子の教如が、縁故を頼って五箇山に落ち延びたとも伝わります。
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