昭和二年日活時代映画大将軍作品
「槍供養」縮刷版
説明 山城秀之
脚色 小杉文雄
監督 辻吉郎
撮影 井隼英一
槍持ち市助 大河内傳次郎
市助の恋人お久 桜木梅子
千葉三郎兵衛 久米譲
用人嘉右衛門 実川延一郎
仲間可内 尾上桃華
旗本岡田文之進 葛木香一
用人小太夫 中村吉次
仲間平太 生島日三郎
仲間喜蔵 浅尾與昇
市助の母 伊藤すゑ
解説 大河内傳次郎と辻吉郎監督がコンビを組んだ第一作。本作と同じ年に、同じく侍の供をする仲間(下郎)が階級社会の理不尽さゆえに過酷な顛末を迎える「下郎」(伊藤大輔監督、河辺五郎主演)が公開されている。下郎とは、身分の低い僧侶を意味する「下臈」から転じて、人に召し使われている身分の低い男のことを指す。ちなみに、昭和四年辻吉郎は「辻吉朗」に名前の表記を変えている。明治四十四年日活京都撮影所俳優部に入社。大正四年に監督デビューした。昭和九年、本作を自身がメガホンをとり尾上菊太郎主演でリメイクしている。
 縮刷版しか現存していないが、本来は全七巻である。
略筋 元禄元年秋ーー。
 播州赤穂・浅野家の家臣千葉三郎兵衛は、主用を終えて江戸よりの帰路。千葉三郎兵衛、用人の嘉右衛門、仲間の市助と可内の四人連れであった。府中の宿をあと三里というところで、足を痛めていた市助は、休みつつ後から来るように右衛門にいわれる。
 市助は大事の槍を抱えて一行に遅れながら、府中の宿場に急ぐ。
 時同じくして、鞠子を後にして江戸へ向かっていた旗本岡田文之進も同じ宿場を目指していた。
 やがてーー東から西へ、西から東へーー。主従四人の同じような一行が同じ府中の宿場に到着。
 市助は、一刻ほど遅れて宿場に入った。和田屋という宿の入り口で同じ紋を目にした市助は投宿するが、それは見間違えで、岡田文之進一行の宿であった。千葉三郎兵衛一行は、桔梗屋という宿に泊まっていたのだった。
 無事投宿したということで大事の主人の槍を返そうとした市助。しかし、用人小太夫との囲碁の勝負に負けて機嫌を損ねていた文之進は、間違えたことを謝る市助に対して、持ち主である千葉三郎兵衛自身が取りに来ることを要求するのだった。無理無体な文之進の言い分に怒る三郎兵衛を宥め自ら和田屋に赴いた用人嘉右衛門に、文之進は「槍を返してほしくば、主人みずから下郎の首を持ってこい」と言い放つのだった。

T元禄元年秋。播州赤穂の藩士千葉三郎兵衛は主用を終えて、帰国の途についてゐた。
(富士山)

T千葉三郎兵衛「のう嘉右衛門、旅の風情はまた格別じゃのう」
嘉右衛門「まことに……首尾よく御主命果たされましたこと、重畳でございまする」

(後ろにつく仲間ふたりの足元)
T仲間でも武士の端くれ。学ばずして尽くす忠義の一節。
槍持市助、挟み箱を持つのはその友可内(べくない)
(何かを口にしている)(後ろを見る三郎兵衛)

市助「いけねえ……へへ、どうも」

主命果たしてあとは気楽な道中ーーのはずが……
(西、府中三里八丁、東、由井三里の標識)(可内に支えられて歩く市助)

可内「おい、大丈夫か?」
市助「うん……どうもいけねえ……あ痛てて……」
T三郎兵衛「これ市助、足を痛めたのか。府中までまだ三里あまりあろうぞ」
T市助「いいえ、旦那様大丈夫です。この通り、どうもありません」
T三郎兵衛「無理をしてはならぬ。国許まではいまだ長い。道中ゆるゆる後から来い。府中の宿で待ってゐるから……嘉右衛門、槍を代わって持ってつかわせ」
T市助「め、め、滅相もない。槍を持つのが私の役目。ではお言葉に甘えて後から参ります」

こうして市助ひとり、後から行くことになった。
Tちょうどおなじ時刻に、鞠子を後に西から東へ旅を続けていた旗本岡田文之進とその一行。(宿場の女にちょっかいを出す仲間ふたり)

岡田「これ何をしておる!……T府中まで早く着かぬと道中が遅れるぞ……」

用人に仲間ふたり、同じようなる旅姿のふた組がそれぞれ府中の宿へ急ぐ……そして
Tその日の夕方、三郎兵衛の一行は府中の宿の桔梗屋に宿を取った。(食事をする三郎兵衛と嘉右衛門)可内ひとり部屋で膳を前に市助を待っている。(女中が来て)

女中「ささ、兄さんおひとつ」
可内「おう、悪いな……いや、T姐さん、朋輩はまだ来ねえかい?それまで待つとしよう」
T女中「ええじゃないの。そりゃ妾じゃ不足でしょうよ」
可内「まあそういうない……」
女中「ふん……失礼しますよ(出て行く)」

T一刻ほど遅れて市助は府中の宿に辿り着いた。

市助「さて……お宿はどこだろうな……ん?」

(和田屋)(入り口に立てかけてある挟み箱)

市助「おお、あれはーー?(入って行く)」

よく似た紋の挟み箱に目が止まった市助(旗本岡田文之進の名前が)

女中「いらっしゃいませ」
T市助「姐さん、俺とこの旦那様がお泊まりだろう?この槍の御紋と同じのーーいやあくたぶれた(腰を下ろす)」

さてーー大の囲碁好きの旗本岡田文之進

文之進「……ううむ」
T小太夫「へへ……また家来相手に返り討ちでございますか?」
T文之進「この一石待て!」
T小太夫「いいえ、待てません。勝負事に待ちを入れては興味がございません」
文之進「ーーええい、つまらん、やめぢゃ!(碁石を払う)」

下手の横好き、おまけに文之進はたいそうな癇癪持ち。(女中来て)

T女中「ただいまお着きの市助さんという御家来が、この槍を旦那様にと申されまして……」
小太夫「なに、槍じゃと?……Tわが殿様のはあそこにある。それは何かの間違いじゃ。返してやれ」
女中「あ、はい」
文之進「待て!T俺の城郭同然のこの室に持ち込んだ槍は返すことならん!これへ持てっ!(受け取って、立てかける)」

囲碁で負けたことがよほど悔しい文之進であった。
一方こちらは、宿を間違えたことに気づかない市助。

小太夫「これーーこの者かTお前だね、槍を間違えて持ち込んだのは……?ここは岡田文之進様のお宿だよ。お前のご主人はどなたじゃ?」
市助「……えっ?千葉三郎兵衛様のお宿じゃあ」
仲間「宿違いだ!」

(宿の表札)

市助「ええっ!そ、そ、そいつは……!(駆け出す)」

市助矢も盾もたまらず文之進の部屋へーー

文之進「何やつぢゃ!」
市助「もも、申し訳がございません。Tつい宿を間違えましてーーどうか先ほどの槍をお返しのほどを……」
T文之進「ならん。家来の落ち度は主の落ち度、いかに詫びるとも持ち主自身まいらぬうちは断じて渡さんーー!」
市助「お願いでございます、なにとぞお返しをーー!(文之進に縋り付く)」
T文之進「うるさい!この下郎を表に叩き出せ!」
市助「お願いでございまする!なにとぞ!なにとぞ!槍をーー!」

和田屋を追い出された市助は、主人への申し訳に川へ身を投げようとしたところを探しに来た可内に助けられ、桔梗屋へーーそして
T半刻は過ぎたーー
事情を聞いた千葉三郎兵衛はーー

T三郎兵衛「旗本ともあろう者が言語道断、あの槍こそは殿より拝領の家宝の品……(刀を手に立ち上がる)」
T嘉右衛門「旦那様っ!しばらく!しばらく!どうかお待ちくださいませ!(必死で止める)Tあなた様がお越しなされては、かえって事面倒。ただいまの話では、下郎の粗忽よりも囲碁の敗戦が因かと思います。どうかお心をお静めくだされ」
三郎兵衛「はなせ!」
市助「旦那様……」
嘉右衛門「なにとぞーー私めにお任せを……。事穏便に計りますゆえ」
T三郎兵衛「ではーーその方に任す」
嘉右衛門「はっーーしからば早速。市助、心配いたすな。拙者がお頼みして、槍をもらってまいる」

T嘉右衛門は、文之進を和田屋に訪れた。しかしーー
(立てかけてある二本の槍)相変わらず、盤を挟んで囲碁の勝負。

文之進「うむ……(盤面を睨んでいる。小太夫の一石に)むむっ!」
嘉右衛門「なにとぞ、ご寛大なるお許しを。Tこれほどお詫びをいたしましても、お返しくださいませぬか!」
T文之進「ええいーーうるさいっ!(嘉右衛門の額を殴る)」
小太夫「殿っ!」
文之進「ーーふん!」
T嘉右衛門「いかがいたせば槍をご返却くださいますか?」
T文之進「さほどほしくば、主人が下郎の首を土産に持ってまいれ」

これにはいかな嘉右衛門も言葉に詰まったことであった。かりにも殿より拝領の家宝の槍ーー
Tそれから半刻ーー桔梗屋

三郎兵衛「うむむ……!(立ち上がる)」

嘉右衛門「殿、しばらく!」
T三郎兵衛「止めるなっ!もう我慢が出来ぬぞ!」
T市助「旦那様っ!ーーTこの首を……市助は喜んで死んで行きます。この首と引き換えに家宝の槍をーーどうか旦那様の武士道を立ててください」
嘉右衛門「……(三郎兵衛を見上げる)」
三郎兵衛「ーー市助!T……もう槍はいらん。いくら大切な槍でも、人間の生命には代えられぬ。いわんや、家来は可愛いものーー士はおのれを知るもののために死す。主はよく従を愛し、従またよく主に仕う。これ三世の縁という」

T四つの心が一つに解け合って、大地の夜は静かに眠って行く。
しかしーー市助はまんじりともせずーー脳裏に浮かぶは家宝の槍のこと。ついに市助は決心した。主人のためいさぎよく死んで行こうと……ただ思い出されるのは故郷の母や恋人お久のこと。(土産に買った簪を髪に挿すお久)いつかは夫婦にと、誓ったお久。しかしーー市助は、泣きながら母とお久に宛てて文を書いた。

T(手紙)(ご主人さまに大切な槍を侍にとられくやしい。私は)ご主人さまへ申し訳にどおしても腹切って死なねばならぬ。(仲間でも侍のはしくれ、俺でも腹は切れそうだ。久しぶりで会えると思ったおっ母に思わぬ不調法。)先立つ不孝をゆるしてくだされ。お久坊、(お前にも会えんがしようがない。)あとに残ったおっ母をくれぐれも頼む。(いいたいことは山ほどあれどもう死なねばならぬ。)ふたりとも達者で暮らしてくれ。
おっ母どの
お久坊へ
市助

市助「おっ母……お久坊……」

あふれる涙、くいしばっても漏れてくる嗚咽の声ーーたまたまとおりかかった女中がただならぬ雰囲気に気付いた。

市助「(覗き込んで)よく寝てやがる……(手紙を枕元に)」

T(手紙)可内よ、ご主人様にふたり分の忠義をしてくれ。簪をお久坊に、また浮世絵をおっ母に頼む。さようなら。
友だち 可内へ
市助」

女中は三郎兵衛の部屋へ。

女中「あの……お供の市助さんの様子が」
三郎兵衛「なにーー?」

(脇差を抜く市助)

三郎兵衛「市助!早まるな!(部屋を出ようとする)」
嘉右衛門「旦那様!(抱き止める)お待ちを!」
三郎兵衛「放せ嘉右衛門!」
T嘉右衛門「市助のせっかくの忠義をーー立てさせてやってください。主人の武士道を立てんための彼の心根、止めるはかえって不憫でございます」

(脇差を腹に持って行く)

T三郎兵衛「はなせ!槍がなんだ!宝がなんだ!尊い人の命に代えられるかっ!」

しかしーー嘉右衛門の制止を振り切って市助の部屋へ行くと。

三郎兵衛「市助っ!(抱き起こす)市助!」
市助「……旦那様」
三郎兵衛「おう、T市助、三郎兵衛ぢゃ。その方の忠義は忘れぬぞ!」
市助「旦那様……T旦那様、首を……T槍を……家宝の槍を……必ず……取り返して……」
三郎兵衛「市助!」
嘉右衛門「……」
可内「……市助……」
T三郎兵衛「市助、嬉しいぞ。槍は必ず取り戻す。心置きなく成仏してくれ!」

いかに主のため忠義のためといいながら、槍ひとふりのため、市助は生命を絶ったのであった。
T翌朝ーー三郎兵衛主従は、和田屋に文之進を訪れた。

T三郎兵衛「初めてお目にかかるーーそこもとが岡田殿でござるか…‥拙者は赤穂浅野家の臣千葉三郎兵衛と申す」
T文之進「申し遅れたが、拙者が岡田文之進でござる。してーーご用件は?」
T三郎兵衛「槍を受け取りに参った」
T文之進「お約束のものをご持参か?」
T三郎兵衛「ーーもちろん!嘉右衛門……それを」
嘉右衛門「……はっ(渡す)」
三郎兵衛「ーーこれなるは、槍持ち市助が首……Tとくとご検分を」
文之進「小太夫ーー」
小太夫「はっ……失礼いたしまする(受け取る)」
文之進「……」
T三郎兵衛「市助の忠死、無駄にもならず、首を持参した。さあ、槍を受け取ろうーー」
文之進「(小太夫から槍を受け取り)これをーー」
三郎兵衛「(鞘を抜いて確かめる)うむーー確かに(嘉右衛門に渡す)T岡田氏、槍は受け取ったが、まだ御身にもらわねばならぬ品があるぞ!(立ち上がると刀を抜いて振りかぶる)お覚悟めされい!」

文之進、慌てず騒がずーー

T文之進「囲碁に心を奪われた文之進、終生の誤り。下郎の仇、身共の首を斬られいーー(目を閉じる)」
T小太夫「しばらく、しばらくーーなにとぞ、主人の命を!」
文之進「よさぬか!」
T小太夫「主、討たれなば、私どもとて生きてはおられませぬ。なにとぞ、ご賢察なるお慈悲をーー」

三郎兵衛、構えを解いて市助の首を抱きかかえる。その目に止まったのはーー(碁盤)

三郎兵衛「ーーええいっ!」
文之進「……っ!」
三郎兵衛「岡田氏ーーT禍いの根元は断ち切った。人の生命は尊いものじゃ」

悲しみに沈む主従の旅は続きーーT泊まりを重ね、やがてお国表も近づいた。市助の髪結んでの槍先は、新たなる涙を誘うーー(揺れる槍先)(見つめる三郎兵衛)

T可内「なあ市助、お前の土産はお久坊もおっ母も、きっと喜んでくれるぜーー」

朋輩可内、流れる涙を拭おうともせず、市助に語り続ける。

T可内「来るときは四人連れで楽しかったなあーー今は寂しい三人連れだが、おまえはやっぱり槍と一緒にお供しているんだぜ!」

昭和二年日活作品「槍供養」全巻の終わりーー