昭和六年日活京都作品
血煙高田馬場

原作・脚本・監督 伊藤大輔
撮影 唐澤弘光
中山安兵衛 大河内伝次郎
菅野六郎左衛門 実川延一郎
堀部弥兵衛娘お幸 木下千代子
お勘婆さん 市川春衛
村上庄兵衛 嵐旺松郎
中津川祐範 中村仙之助
町人 東木寛(伴淳三郎)

T元禄七年江戸に住む中山安兵衛という名物男。またの名をのんべ安、喧嘩安、赤鞘安。

八つぁん「くくくく苦じい……」
熊さん「いででででで」

火事と喧嘩は江戸の華ーー口より先に手が出る、そんな向こう見ずで見栄坊な江戸っ子が、今日も今日とて真っ昼間から往来で取っ組み合いの大喧嘩。

野次馬「おうおう、もっとやれーっ!」
野次馬「(現場に走って行きながら)喧嘩だ喧嘩だ!」
安兵衛「なに?ーー喧嘩と聞いては商売商売」
八つぁん「なんでえこのバカ野郎!」
熊さん「バカはお前だこの野郎!」
安兵衛「(割って入る)これこれ、静まれ静まれ、静まらぬか、静まれと申すにーーこれ!(両人を抱えて、頭をぶつける)T四海兄弟(しかいけいてい)じゃ。喧嘩などとは言語道断」
八つぁん「いてて、何しーーあ、いけねえ安っさん!」
熊さん「邪魔するっーーああ、だ、旦那!」
安兵衛「うむーー何はともあれ仲直りにまずは一献と行こう」

この仲裁料がバカに高い。飲んで騒いで土産がついてーー八丁堀の浪宅へブラリ帰ってまいりました。

安兵衛「よいか?T仲良くいたせよ。また喧嘩の際はみどもが仲裁してつかわす」
八つぁん「旦那、どうもいろいろお世話になりやした」
熊さん「じゃああっしらはこれでーー」
安兵衛「(土産を受け取って)うむーー」

(角まで来て)

八つぁん「やいやい、お前のおかげで大散財だ!」
熊さん「なんだとこの野郎!」
安兵衛「(近づいて)また喧嘩か?」
八つぁん「いえいえ、何でもねえんです」
安兵衛「婆あ、今帰ったぞ(徳利を渡す)」
お勘婆さん「おやまた飲んできたね?」
安兵衛「土産だ」
お勘婆さん「おや。そうそう、伯父さんのところから手紙が届いてるよ」

これより少し前ーーT元禄七年二月十一日のこと。その日もいつものように、酒屋の店先でいぎたなく寝姿をさらす安兵衛ーー
(通りかかった駕籠からそれを見る菅野六郎左衛門)

六郎左衛門「あれは……安兵衛……止めてくれ」

駕籠から降りてきたのは、安兵衛の伯父で伊予西条藩の菅野六郎左衛門。

六郎左衛門「これ、これーー」
安兵衛「ええい、うるさいっ!……ううっ、これはーー(跳ね起きる)Tこれは伯父上……いつもながらの醜態!なんとも面目……」
六郎左衛門「よいよい……いやTよいところで会った……本日急に西国に旅立つことになったのじゃ。委細は書面をつかわしたが」
安兵衛「西国に……それで、拙者に書面を?」
六郎左衛門「うむ。T老いの身の長旅じゃて、再度面会おぼつかない。別れに際し勘当を許し、伯父甥として別れの盃を酌み交わそう」
T安兵衛「伯父上……」
六郎左衛門「うむ……これ、一本つけてくれ」

(安兵衛伯父の盃に酒を注ぐ。飲み干した六郎左衛門、盃を安兵衛に渡す)腕は立つものの、その酒癖の悪さについに勘当して縁を切った六郎左衛門でありましたがーー

T六郎左衛門「安兵衛よ!あっぱれ武士となれよ!」
安兵衛「ーーはっ」

(駕籠に乗り込む六郎左衛門)

六郎左衛門「うむ、すまぬな。ああ、安兵衛(手で招く)これを(金を渡す)」
安兵衛「伯父上……っ!」

そのーーT伯父菅野六郎左衛門、囲碁の争いにより村上庄兵衛ら十八名と高田馬場にて決闘、とも知らで家に戻ればーー

安兵衛「(駆け込んで手紙を広げて)なんと!」

T武門の意気地そのままにも打ち捨てがたく、先方の申し入れに従い、本日巳の下刻高田馬場にて果し合いの旨ーー

安兵衛「婆あ、何刻だ?」
お勘婆さん「そうだねえ……もうT巳の下刻くらいだよ」
T安兵衛「南無三!婆あ、飯だっ!飯を寄越せ!(お櫃に手を突っ込む)」
お勘婆さん「あれまあ安っさんーー慌てこんでどうしたんだい?」
T安兵衛「婆あよ、よく聞けよ。ついに天下にことあって、のんべ安一代の晴れ技、高田馬場に血煙立つぞ!」

愛刀関の孫六引っ下げて、高田馬場へ千里一刻虎の子走り!
T八丁堀を立ちいでて、外堀沿いに九段下
飯田町から大曲、石切橋もひと跳びに
江戸橋越えて早稲田より、高田馬場へ一里半!
(お勘婆さんも走る)そのころ高田馬場ーー多勢に無勢、ひしと押し包まれる菅野六郎左衛門主従。(穴八幡の境内に駆け込む安兵衛)(社前に膝をつく安兵衛)
途中安兵衛立ち寄りしは、八代将軍吉宗公が流鏑馬を奉納したという穴八幡宮。そのときちょうどT穴八幡の社前に居合わせたる赤穂藩士堀部弥兵衛と娘のお幸。

弥兵衛「(呼び止めて)あいやしばらく、いずれへ?」
T安兵衛「伯父の危急に、助勢のため」
T弥兵衛「何、伯父上の危急?縄襷は不吉でござるぞ」
安兵衛「ーーあっ(縄襷、切れる)」
弥兵衛「これ、娘」
お幸「はい(神社の鈴の紐を取る)ささ、お持ちください」
安兵衛「かたじけない」
弥兵衛「これ、魔除けのかんざしを忘れてはいかん」
お幸「あの、どうぞ」
安兵衛「お礼は後ほどーーでは、ごめん!」

再び急ぐ安兵衛が韋駄天のごとく駆ける駆ける駆ける!(高田馬場)鬼神の形相で安兵衛ついに戸塚村高田馬場へ駆けつけしがーー時すでに遅くーー春の若草朱に染め、儚く逝ける伯父の骸。

安兵衛「伯父上っ!遅かりしかーー菅野の甥、中山安兵衛参ったり!(刀を抜き放つ)」
T野次馬「待ってました!」
安兵衛「いざ尋常に勝負に及べ!」

(立ち回り)(数人斬り倒す)(決め)

T野次馬「赤鞘強いぞ」
T野次馬「ぐず安すごいぞ」
T野次馬「喧嘩安偉いぞ」

わっと上がった歓声は、天地を揺るがすばかりなり。若き日馬庭念流に剣を学び、長じて江戸小石川堀内道場の四天王と呼ばれた、直心影流免許皆伝、安兵衛の刀がひらめくところ、高田馬場に血煙あがる!
あとより駆けつけてまいりました堀部弥兵衛とお幸。
(立ち回り)(二刀流)

弥兵衛「(前に出て来る)これは強い。うむーー婿殿は決まったわい」

卑怯未練な村上庄兵衛ら十八名ーー数を頼んで襲いかかる。

村上庄兵衛「それ、相手は一人じゃ!かかれ!」

殿(しんがり)に出て参りましたのは槍の師範中津川祐範。

中津川祐範「命がいらぬか痩せ浪人!いざ返り討ちにいたしてくれよう!」

だがしかしーー中津川祐範もついに倒し見事本懐を遂げるという、のちに「安兵衛の十八人斬り」と呼ばれた高田馬場の仇討ちこそ、忠臣義士に名を残す、堀部安兵衛たけつねが前半生を飾るべき、げに武士道の華であります。(駆け寄るお勘婆さん)(徳利を飲む安兵衛)
監督伊藤大輔、主演大河内傳次郎「血煙高田馬場」映画一巻の終わり。