昭和五(一九三◯)年千恵蔵映画「一心太助」



説明 山城秀之
監督・脚色 稲垣浩
美術監督 平松智恵吉
助監督 大重満
撮影 石本秀雄
助撮影 岡本公策
    宮川加津夫
スチール 江嵜荘路

一心太助 片岡千恵蔵
大久保彦左衛門 山本嘉一
ひねくれ半次 香川良介
女房おとき 浅野雪子
倅 金太郎 中村壽郎
母親お弓 伊藤すえ
太助女房おきん 衣笠淳子
若い者太郎吉 渥美秀一郎
甫庵先生 津守精一
将棋の弥助 林誠之助
睨みやの浪人 瀬川路三郎
金貸の老爺 阪東巴左衛門
将軍家光公 島田文郎
加々爪甚十郎 森田肇
柳生但馬守 市川小文治

解説 現代に通じる人情を機微を丁寧に描いた作品の数々で「チョンマゲをつけた現代劇」と称された稲垣浩監督による正月映画に相応しい明朗時代劇。新派俳優だった父親の影響もあって劇作家を志したこともあった稲垣であったが、日活向島撮影所に俳優として入社、その後阪妻プロで幹部俳優となった。しかし翌年阪妻プロを去って松竹下加茂撮影所で助監督となり、伊藤大輔の紹介で千恵蔵プロに入社、監督としてデビューした。同時に知恵プロに入社した伊丹万作とともに二本柱といわれ、今作の製作年には他に「渦潮」「諧謔三浪士」がある。
 片岡千恵蔵演じる義侠心に富んだ魚屋一心太助は、実在する人物ではないと思われるが、実録本「大久保武蔵鎧」に登場する。今作前半ではこの太助を時の将軍家光のある奇行に関わらせ、「天下の御意見番」大久保(忠教)彦左衛門とのやり取りも出て来る。後半のひねくれ半次との、江戸っ子らしい痩せ我慢と義俠のエピソードで観客をほろりとさせる明朗人情時代劇である。
略筋 時は三代将軍家光公の御代、江戸市中を震え上がらせる辻斬りが夜な夜な出没していた。
 大久保彦左衛門に目をかけられていた魚屋一心太助は、ある晩辻斬りに遭遇、逃げると見せかけて辻斬りを捕まえて大久保屋敷へ。「でかした」と太助を褒めた彦左右衛門であったが、辻斬りの顔を見て腰を抜かさんばかりに驚いた。そして太助と二人きりになったところで、気付かれぬように刀の鯉口を切るのであった……。

【前説】本日は、大変な暑さの中、第780回無声映画鑑賞会にご来場賜りまして、誠にありがとうございます。活動写真弁士の山城秀之でございます。これよりご覧いただきますのは、昭和5年12月31日公開のお正月映画「一心太助」でございます。翌6年のお正月、主演の片岡千恵蔵自ら浅草富士館で舞台挨拶を四日間もつとめ、京都に戻って撮影に入ったのが同じ稲垣浩監督の「瞼の母」であります。この年千恵蔵も稲垣監督も二十代半ばでございました。二十歳の衣笠淳子とのまことに初々しい若夫婦ぶり、そのエピソードは、たぶんに当時結婚したばかりだった監督自身のイメージが投影されているようであります。豆プロにもありますように、稲垣浩監督といいますと「丁髷をつけた現代劇」といわれますが、ご本人はエッセイに

「時代劇というものをここに一個の人間として仮定するなれば、剣戟はまさに虫様突起ーー盲腸炎であらねばならないはずです。虫様突起は人間生まれ出る前までは是非ともなくてはならないものである」けれども「成長するにつれて必要のないものであり、時としてはその炎症によっては生命を危うくする場合がある。」

とまで書かれています。続けて、映画の変革の流れのなかで、そのような剣戟ーー虫垂炎の切除手術に果敢に挑んだ監督として、衣笠貞之助の名前をあげています。

さて、本来は全7巻57分でありますが、本日上映いたしますのは40分ほどになります。どうぞ最後までお楽しみください。


(クレジットのあいだのBGMは「梅は咲いたか」)
(座敷に座布団を並べる甫庵先生)(準備に余念がない)
男は気でもつ、ナマスは酢でもつーー一心鏡のごとしと腕に彫り物をして江戸っ子のイキを立て通した神田三河町の魚屋の太助、ひと異名して一心太助、その太助がついに身を固めるということで、仲人の甫庵先生はじめ長屋の面々が勢揃いで花嫁を迎える準備におおわらわであります。
(大久保彦左衛門の熨斗のついた三宝)(お銚子)(座敷でタバコを燻らせている客たちを宥める甫庵先生)しかしーー

甫庵先生「(手伝いの若い衆を呼び止めて)おいおい、T全体、花婿の太助は何をしているんぢゃ?」
長屋の若い衆「さあ……」

そうこうしているうちに、花婿不在のまま花嫁到着ーー
(花嫁の使者がやってくる)

花嫁側の使者「ええどうも、この度はお日柄もよろしく……」
甫庵先生「いやいや、これはどうもご丁寧に……ささ、どうぞどうぞ」

(暗転)
さてこちらは、ひねくれ半次の家。腕が自慢の大工の半次、しかしひねくれの二つ名をいただいているのには訳がある。江戸っ子らしいまっすぐな心根にもかかわらず、口を開けば思ってもいないことばかり口走ってしまい、回りとは常に悶着を起こす始末。今日も今日とてーー施主と揉めて、ぷいっと帰って来てしまいーー今度はそれに意見する女房おときと喧嘩という按配。
(一人息子を抱える半次)(夫婦喧嘩)(泣く子供)

半次「(半次の母親が間に入るが)おう、そんなに亭主が気に食わねえんなら構うこたあねえ、さっぱり離縁状書いてやらあ。とっとと出て行きゃあがれ!」

(立ち去ろうとする女房おとき)

金太郎「お母ちゃん!(抱きつく)」
半次「金坊、そんな奴に抱きつくやつがあるかい(金太郎を奪い返し、突き放す半次)おう、早く出てけ!金坊、泣くこたあねえだろう、何が悲しいんだ、お父ちゃんがいるじゃねえか(出て行く女房おとき)」

弾みで出て行けとはいったもののーーもちろん本心からではありません。

半次の母「いいのかい?」
半次「あ、ああ、せいせいすらあ!(気になる)ええい、ちくしょう!(追って外に出る半次)おい、おとき!おとき!」

しかし女房の姿はすでにありませんでした。
(暗転)
さて、いつまでも姿を見せない花婿太助を探しに駆けずり回る甫庵先生。

甫庵先生「まったく祝言の席をすっぽかすなど前代未聞じゃぞ……太助を見なんだか?」

(ぼんやり立っている半次)

甫庵先生「おお、半次じゃないか。おい、太助を知らんか?」
半次「(ぼんやりと)いいやーー」
甫庵先生「……ん?」
半次「……俺ぁ、何であんなことを」
甫庵先生「何をぼーっとしておるのじゃ?お前らしくもない。しっかりせんか(去る)」

(半次、悄然と去る)
髪結つばめ床ーー何かというと暇を持て余した町内の若い衆が集まる店であります。

甫庵先生「(暖簾をくぐって中を覗く)おお、ここにおったか!(将棋を指している太助に)こんな日に将棋なんぞ指しておる場合か、太助!花嫁を待たせるなど、どういう了見じゃ!」
太助「ーー花嫁?いけねえ、忘れてた!」

慌てて飛び出す一心太助。演じるは片岡千恵蔵。

太助「(半次に気付いて)おう半次、お前も来い!(家の前まで連れて来て)お前も俺のかみさんの顔を拝んでってくれ!さあ!(中に入る)」

(暗転)
かくしてーーようやく婚礼の宴が始まりました。略式ながら夫婦固めの盃を交わし、親代わりの甫庵先生も誇らしげ(盃を干して笑う)ーー恥ずかしそうに顔を伏せる新郎新婦。太助女房おきん、演じるは衣笠淳子。しかしーー祝いの席に集まった面々のなかで、ひとり浮かない顔のひねくれ半次。何かというと口喧嘩をしていても、おときは恋女房でありました。

太助「半次の奴、なにしけたツラしてやがるーー!」
甫庵先生「まあまあ、今日は太助とおきんさんの晴れの舞台じゃ。楽しく、楽しくな。(太助と顔を合わせる)ん、おい半次、飲んでおるか?」
半次「え?ーーああ、俺ぁもう帰る」
太助「何だと?ーー(立ち上がりかける)」
おきん「(その袖を摑んで)あんた」
太助「……(座る)」
甫庵先生「どうしたんじゃ半次」
半次「いや、帰る!(障子に耳を近づける)おとき!」
太助「この野郎!(立ち上がって半次の前へ)おい半次!辛気くせえツラしやがって!こちとら祝言だってのに、縁起でもねえ。帰れ!帰れ!」

(地べたに投げ出される半次)

太助「二度とその間抜け面ぁ見せるんじゃねえぞ!」
甫庵先生「まあまあ……(宥めて中へ)」

そんなすったもんだはあったもののーー(太助の魚屋店先)数日後、魚屋のおかみさんとなったおきん。所帯を持った太助は、立派な一国一城の主人となっても、店は若い者に任せて、以前同様天秤棒を担いで魚を売り歩いております。

おきん「(お辞儀)これは甫庵先生」
甫庵先生「おきんさん、どうじゃな景気は?」
おきん「(追いかけて)」
甫庵先生「太助とは、うまくやっておるかの?」
おきん「はいーーあの」
甫庵先生「何か困ったことがあれば、何でも言って来なされ。仲人といえば親も同然じゃからの」

ちょうどそのとき、息子金太郎を連れていた半次と出会した太助がにこやかに話しておりました。婚礼の日に、二度と来るなといったことなど、太助も半次もさっぱり忘れて、太助兄ぃ、おう半次ーーと普段通りの付き合いをするのが、幼なじみの二人の日常でありました。
(笑い合う二人)
しかしーーほんのささいな行き違いにお互い素直になれないところも、芯から江戸っ子カタギの二人でもありました。(口論)(半次が両手で何やら形を作る)半次それぁ違う、いや兄貴違わねえーー強情っ張りが歩いているような両人(半次、手で大きさを示す)ーーおまけに口より先に手が出る方であります。(二人立ち上がる)たちまち店先で取っ組み合いの大喧嘩。金坊は泣き、野次馬は集まってくる。魚を入れた木桶はひっくり返り、落ちた魚を二人がご丁寧に踏んづける。(二階から覗く人々)

野次馬「いいぞ太助!もっとやれ!」
太助「どうだ、まいったか!こいつめ!こいつめ!(馬乗りになって殴りつける)」
若い衆「(指差す)あ、おかみさん、あそこです」

騒ぎを聞きつけて、甫庵先生が止めに入る。

おきん「あんたーーもうやめてくださいな」
太助「ええい、まったく懲りねえ野郎だ。お前とは金輪際縁切りだ」

(なおを言い募る半次)(落ちた魚を食べる犬)
(暗転)
さてこちらはとあるお旗本のお屋敷であります。

侍「そこもとらは睨み屋なるものを知っておるかーー」

T貼り紙「睨み試合
一 笑はす方百文
一 睨む方百文」

侍「睨み試合ーー?なんじゃそれは?」
侍「つまりこういうことじゃーー」
睨み屋「さあさあお立ち会い、ご用とお急ぎでなければちくっとしばらくお耳を拝借いたしたい」

(侍の説明)簡単にいえばこの浪人者とにらめっこをして笑わずにおれれば百文手に入ると、こういうことじゃ。

(見物のなかから、唆されて男が手を上げる)

睨み屋「これはこれはなかなか肝の据わった御仁じゃ。ではさっそく(向かい合って座る)よろしいかな、行きまするぞ(口に手を当てて)むむむー(目を剥く)」

(侍の説明)この睨み屋というやつ、もともとの顔の作りがなかなかに珍妙なるうえに、顔の皮がまたずいぶん柔らかいとみえてまるで千変万化、くるくると実によく変化なすのでなーー我こそはと上がってきた町人も必死に笑いを堪えておったが(ふたり、顎を突き出す)ーー

見物の男「ぷぷっーーなんて顔だ!こいつぁ堪らねえ!(懐から百文を出して渡す)」
睨み屋「百文、確かにーーさて我こそは思われる方ーー」
見物の男「おう、今度は俺が(金を前に置いて)睨む方で頼まあ(座る)」

(睨めっこ)

(侍の説明)睨む方というのはーー?
(侍の説明)うむ。気合い比べのようなものじゃな。まあこの浪人者も、食い詰めてどこぞの田舎より仕官を望んで江戸にやってきたものであろうがーー

睨み屋「かーっ!」
見物の男「ま、まいったーっ!」

(見物人の笑顔)
(暗転)
(道場)

侍「いや、所詮は大道の賤しい芸ではあるがのうーーははは」
侍「はははーーあ、これは……大殿!(平伏)」
柳生但馬守「市井には斯道の達人がおるようじゃな(侍、おそれいる)……さあ、行くか」

(暗転)
睨み屋の評判は日に日に高まり、いつも黒山の人だかり。商いの途中通りかかった太助もふと興趣をそそられましてーー

太助「(人の輪をかい潜って)ごめんよ。おう、俺がやってやろうじゃねえか」
睨み屋「おお、これはまた威勢のいい兄さんだ」
太助「おう、ひとつ睨む方ってやつを頼まあ」
睨み屋「うむ、では……さっそく」

(ふたり、向かい合って座る)(睨めっこ)

見物の男「大丈夫かい、強えぜ」
太助「おう、まかせとけぃ。さあこい!」
睨み屋「うむーーえい!」

(渦巻き模様)

太助「おっ(後ろにのけぞる)」
睨み屋「(手を出す)では、百文。ははは、誰か我こそはと思われる方はおらぬかな?」

太助、頭がぼんやりして、何がなんだかわかりません。(財布から百文出して、睨み屋に渡す)

太助「もう一遍だ!」
睨み屋「もちろん、受けて立とう」

(編笠の侍が、それをじっと見ている)しかし気合を入れて臨んだ第二戦もあっさり負けてしまいました。(笑う見物人)

太助「(腕組み)わからねえ。どういうことだ?」

(編笠の侍が太助を呼ぶ)そこへ声をかけて手招きする深編笠の侍。

睨み屋「さあさあ次の方ーーでは」
太助「(境内の端の方に来て)ええと、お侍さんが、おいらに何の御用です?」
編笠の侍「あの浪人者に勝つ方法を教えてやろうと思うてな」
太助「え?ーー(ぷいと)そんなのは余計なお世話でさあ。もう一回やればーー」
編笠の侍「そうかな、ワシには何度やっても勝てそうには見えなんだが」
太助「だからそれが余計なお世話だっていってるじゃねえか!侍だかなんだか知らねえが偉そうに」
編笠の侍「ははは、そう怒るな太助。ワシが誰か、わからぬか」
太助「ええ?(編笠の奥をのぞく)あっ!T柳生の大先生!」
編笠の侍「(口を押さえて)声が大きい」

(暗転)
(神社の裏手)

太助「いややっぱりおいらにゃあわからねえ。(腕を組んで)そんなことで勝てるんですかねえ」
柳生但馬守「我が兵法にいわく、『人の拍子というものは、イキマイなり』とある」
太助「はあーー」
柳生但馬守「(笠を持ち上げて)ははは、まあ騙されたと思って」
太助「ようがす、ひとつ、やってみやしょう!」

(太助、一礼して去る)かつてひとり棒手振りで売り歩いていたころ、柳生のお屋敷に出入りするようになった太助でありました。(人混みの手前で立ち止まり、但馬守の方を見る)(但馬守、頷く)(人混みをかき分けて)

太助「おう、三度目の正直だ。今度は負けねえぞ」
睨み屋「はは、仏の顔もーーですなあ(腰を下ろす)では!」
太助「さあ来い!」

(ゆっくり近づいて行く但馬守たち)(睨めっこ)

睨み屋「(目を見開いて)ふんっ!」
太助「(受けて)まだまだっ!」
睨み屋「……なんと!」
太助「いまだっ!」

(渦巻き模様)

睨み屋「(腰を抜かす)むむむっ!これは……!」
太助「どうだ、おそれいったか!おう、お前、これぞ柳生新陰っーーいや、なんでもねえ、一心流気合いの術だ!わかったか!」 
睨み屋「ま、まいりました……」
太助「さっきの百文はくれてやらあ。わかったらどこぞの山ん中へでもこもって、一から修行しなおしてきやがれ!」

(盛り上がる見物衆)(柳生但馬守たち、近づく)さてその夜ーー昼間の売り上げの算盤を弾いておりました太助。

太助「これでよし、と。(立ち上がり)ちょいと出掛けてくらあ」
おきん「(呼び止めて)お前さんーー大久保の大殿様と将棋かえ?」
太助「ーーえ?」
おきん「それだったらもう少しこざっぱりしたなりで行った方が」
太助「お前、な、なんでそれを?」
おきん「大久保のお殿様の将棋好きは有名ですものーーお前さんもね」
太助「いや、そりゃあそうだがよーー」
おきん「新しい羽織、仕立てたところなの、ちょっと着てみておくれでないか?」
太助「そ、そうかい?じゃあーー(袖を通して)おう、こりゃちょうどいいや。じゃあ」
おきん「それからこれ、お殿様に(太助、断る)祝言のご挨拶もろくにしていないんだから」
太助「そうかい?じゃあ(受け取って)」

(暗転)さて、時は三代将軍家光の御代ーー当時世情を騒がせておりましたのは、黒闇の江戸市中に暗躍する辻斬りでありました。しかしーー幕府の威信をかけて捕り方が奔走するも、手がかりすら摑めないありさまでありました。

黒頭巾「ここはよい。帰れ」
黒頭巾「はーーしかし」
黒頭巾「帰れと申しておる!」
黒頭巾「はーーでは(去る)」
黒頭巾「お主もじゃ」
黒頭巾「なれどーー殿!」
黒頭巾「帰れ!」
黒頭巾「……はっ(去る)」

(暗転)
(手土産を抱えて歩いている太助)
(暗転)
今宵もまた、血に飢えた黒頭巾の侍がーー獲物を求めて静かに歩を進めるのでありました。
(暗転)
(歩いている太助)
(暗転)

黒頭巾「むーー(太助に気付き待ち構える)」

(太助気付かず歩いて行く)

黒頭巾「そこな町人、待て」
太助「へーー?」
黒頭巾「……死んでもらおう(刀を抜く)」
太助「いけねえっ!(逃げ出す)」

(太助、走って逃げる)足が自慢の魚売り、太助の健脚にはどうしてなかなか追いつけるものではありません。(追う黒頭巾)

黒頭巾「待てっ!」
太助「冗談じゃねえ、待ってられるかってんだこんちくしょうめ!」

(黒頭巾、角を曲がる)

黒頭巾「(きょろきょろ)むむ、下郎め、どこへ行った?」

(別の辻でついに見失う)(塀の上から出てくる太助)

黒頭巾「逃げ足の早いやつじゃ……(刀を拭い、鞘に納める)」
太助「(上から襲いかかる)いまだ!えいっ!(羽織を頭からかぶせる)このやろうめ、ええい、おとなしくしやがれ!(手土産で殴る)こいつめ!こいつめ!まいったか!どうだ!何とかいってみろ!」
黒頭巾「もがもがっ!」
太助「何いってやがる辻斬り野郎め!(縄を見つけて)ようし、こいつでふんじばってやる。観念しろ!(駕籠屋を見つけて)おおい!」

(呼ばれてやってくる駕籠屋)

太助「大久保様のお屋敷まで頼まあ」

(駕籠屋、黒頭巾を乗せて走り出す)

太助「(駕籠屋の後ろをついて走る)へへ、こいつぁとんだ土産が出来たなあ」

辻斬りのことは大久保の殿様からも聞いていた太助でありました。
(屋敷の前まで来る)

T太助「(門を叩きながら)開けてくれ!近頃町々を荒らす辻斬りを一心太助が召し取った!」
彦左衛門「(ガバリと起き上がって)何、太助が?」
中間「はい、辻斬りを捕まえた、と申しております」
彦左衛門「それが誠ならば大変な手柄じゃがーー(起き上がって床の間の刀を取る)」

まさにおっとり刀で玄関に向かう大久保彦左衛門忠教、演ずるは山本嘉一。

彦左衛門「うむ。でかしたぞ太助。よし、ワシが直々に検分いたす、さ、これへ」

(連れて行かれる辻斬り)

彦左衛門「どれ、顔を見せてみよ(顔を覆っていた羽織をめくる)」

(黒頭巾、苦笑い)

彦左衛門「むむーーな、なんと!(無理に笑顔)よくやったぞ太助、褒めてつかわす。さあ、上がれ。手柄話をゆっくり聞くとしよう」

まるでーー一瞥しただけで辻斬りに興味が失せたように、大久保の殿様は中へ戻って行くのでありました。
(暗転)
(彦左衛門に顛末を語る太助)天下のご意見番大久保彦左衛門忠教のこのお屋敷に、かつて中間奉公していた太助、彦左衛門も曲がったことの嫌いな一本気なところを大層可愛がり、太助が魚屋として一本立ちしたあとにやはり屋敷に奉公していたおきんと妻合わせたのも、この「大久保の大殿様」でありました。(それを聞きながら笑う彦左衛門)

太助「それで、こんだぁこう野郎の腕を捻り上げてーー(殴りかかるふり)」
彦左衛門「なるほどなるほど……(後ろ手に刀の鯉口を切る)太助ーー許せっ!(切り掛かる)」

(すんでのところで転がって逃げる太助)

太助「お、大殿様っ!な、何を?!」
彦左衛門「太助、おとなしく斬られてくれい!」
太助「大久保様っ!な、何をいってるんです?あっしが何を?」
彦左衛門「うるさいっ!(斬りかかる)」

突如鬼の形相で襲いかかってくる大久保の大殿様に、さしもの太助も逃げるので精一杯。何が何やらさっぱりわかりません。しかしーー

太助「ええい、しつけえな!一体全体、何だっていうんです!」
彦左衛門「太助、お前は大変なことをしてくれた!」
太助「だからおいらが何をしたってーー」
彦左衛門「黙らっしゃい!(斬りかかる)」

(太助、屏風を使って防戦)(屏風を挟んで睨み合うふたり)

彦左衛門「ええい!ちょこまかとーーおとなしく討たれてくれい!」
太助「やなこった!(倒れる)あっーー」
彦左衛門「太助、観念せい!」
太助「大久保様ーーどうしてもおいらを斬るっていうんですね?」
彦左衛門「斬らねばならぬのじゃ」
太助「じゃあ死ぬ前に、訳を聞かせておくんなさい」
彦左衛門「ーーお前が捕まえてきた辻斬りじゃ」
太助「辻斬り?あの人殺し野郎がーー」
彦左衛門「馬鹿者!あのお方をどなたと心得る!おそれおおくもーー上様である」
太助「え、く、公方様ーー!」

徳川三代将軍家光公には後世さまざまな噂がございました。辻斬りをしていた、というのもそのひとつであります。(太助、双肌脱ぎになる)

太助「すっぱりやってくだせえ」
彦左衛門「(構えて)では」
太助「あ、ちょいと待った。その前にひとつ、お願えがございやす」
彦左衛門「ん?何じゃ?」
太助「いやーーおきんのことでございます」
彦左衛門「おきんが何じゃ?」
太助「おいらが大殿様に斬られっちまうと、おきんのやつぁあの若さで後家になっちまいます。おきんもおいらもこのお屋敷でご奉公していた縁で一緒になった。それが夫婦になって日も浅いうちに独り身になっちまうのはどうにもかわいそうだ」
彦左衛門「……」
太助「だからでございますよ。おいらを斬ったら、おきんもお屋敷に呼んで、すっぱり斬り捨てていただきたいんでございます」
彦左衛門「……ふふふ。痛いところを突きおる。(外へ)誰かある」
中間「(障子が開いて)お呼びでございますか?」
彦左衛門「酒の用意をーー」
中間「かしこまりました」

(膳を挟んで談笑する二人)
その夜以来、江戸市中を震え上がらせていた辻斬りは、とんと出なくなったと申します。それには、天下のご意見番が自らの命を賭して諫めた一場がございますが、それはまた別のお話。
(暗転)
(しめ飾りを飾る)さてーー煤払いも終わり、続いて年神様を迎える準備にかかる年の暮れ。(店先で餅を搗く人々)心なしか道ゆく人も気忙しげであります。
(暗転)(太助をひとり待つおきん)しかし、今日も今日とて太助は、一度家を出るとなかなか帰ってまいりません。
(暗転)粉雪の舞う表通り。時分どきとて遊んでいた子供達も三々五々帰って行くころあい。(向こうから棒手振りをする金太郎)

子供たち「金ちゃんフラフラしておかしいや!」
子供達「ほらほら、あんよは上手!」
太助「(やって来て)おう、何やってるんだお前たち、仲良くしなきゃだめじゃねえか」

(子供達、散って行く)

太助「なんだ、半次んとこの金坊じゃねえか。こんな雪空になんで棒手振りの真似事なんぞ」
金太郎「おいらが稼がないとウチは食べて行けねえんだ」
太助「そりゃどういうことだ?お前のお父っあんは立派な大工じゃねえか?」
金太郎「こないだ仕事場で大怪我をして、ずっと寝てるんだ。借金も溜まってるし、だからおいらーー」
太助「そうかーー金坊、こりゃあオジサンからのこづかいだ(渡そうと)」
金太郎「いらない(天秤棒を担ごうとする)」
太助「おいおい、子供は素直に受け取っておきねえ。お父っあんに、よろしくな」
金太郎「ーーありがとう」

会えば喧嘩ばかりの半次でありましたがーー懸命に天秤棒をかついで歩く金太郎の後ろ姿を言葉もなく見送る太助であります。
(暗転)
(家の前)

弥助「兄ぃ、一局どうです?」
太助「お、いいねえ。ちっと待っててくれ(中へ)」
おきん「おかえんなさい」
太助「おう、今帰った。(しめ飾りを放り投げて)ちょいと出掛けてくらあ」

(投げ出されたしめ飾り)
(暗転)
(駒を並べている)(早差し)とんだとき二歩を見つけるヘボ将棋ーー酒も博打も女遊びもやりませんが、こと将棋だけはもうこれは淫しているといってもいいくらいの太助ーー
(暗転)(こたつに入って将棋を指しているふたり)その名も将棋の弥助という男と、性懲りも無く盤を挟んでおります。
(雪が積もっている)うっすら雪化粧のなか、静かに夜は更けて行くーー。(手の中の駒)(将棋盤を叩く絵と外の景色が交互に)

弥助「(駒をとって)ほい」
太助「え?ーーじゃあ、これだーーん?隣はずいぶんうるせえな」

貧乏長屋とて、薄い壁もところどころ破れている始末。(高利貸し)

弥助「ほい、王手」
太助「やるな弥助ーーちょっと待ってくれよ」

壁の向こうから聞こえてくる声がどうにも気になる太助ーー(覗き込む)

半次「申し訳ねえが、もう少しだけ待っちゃくれねえだろうか」
高利貸し「冗談じゃありませんよ。ウチだって霞食って暮らしてるわけじゃないんだ。返してもらわないと困るんですよ」
太助「……」
金太郎「ただいま」
半次の母「お帰り、寒かったろう」
金太郎「うん。途中でね、太助のおじちゃんに会ったよ。それでね、小遣いもらったよ」
半次「なにーー太助の兄ぃに?手前施し受けて喜んでやがるのか?」

(太助、覗いていた顔を隠す)

半次「俺ぁお前に物貰いさせてるんじゃねえ。(金太郎に殴りかかる)そんな根性だからシジミも売れねえんだ!」
半次の母「おやめよ、おやめったら!」
高利貸し「はははは、立派なお子さんじゃありませんか。それも利息の足しにさせてもらいますかね。(手代に)おい、他に金になりそうなものを運んでおしまい」
手代「はい、ええとーー(鍋や釜を手に外へ)」
太助「おう、ちょっと待ってくれ」
手代「ーーは?」
太助「お前さんの主人を呼んでくんねえ」
高利貸し「はいーーなんのご用でございましょう?」
太助「ここじゃなんだ、ちょっと向こうへ」

(少し離れたところに行く太助。後から来る高利貸し)

高利貸し「私に話というのはーー?」
太助「おう、半次の借金てのは、いくらあるんだい?どうせ、はした金だろう?」
高利貸し「……そうですな。十両ほど、ですかな」
太助「十両?」
高利貸し「私どもにとってはT大枚ーー」
太助「……そいつぁ」
高利貸し「あなた様が代わりにお返しねがえますかな?」
太助「……お、おう。Tたったーー十両だろう?」
高利貸し「ではーー(手を出す)」
太助「バカ、今は持ち合わせはねえよ。明日ーーいや、明後日にゃあ耳揃えて返してやらあ」
高利貸し「明後日ーーなるほど。わかりました」

翌日ーー(魚屋前に人だかり)朝から太助は店のものといわず家のものといわず、金目になりそうなものを投げ売りするのでありました。十両といいますと、長い江戸時代でもその相場は変化しておりますが、ざっくりいって百万を優に越える大金でございますーー宵越しの金は持たない江戸っ子カタギの太助には当然ロクな蓄えなんぞございません。そこでない知恵を絞って思いついたのが、即席の閉店大セールーーいや、店を閉めるつもりなどありませんが、まあ心意気はそのくらい、ということでございます。(太助、観衆をあおる)(指で値段を)(店の若い衆が帳面をつけている)(心配そうに見ているおきん)

太助「ああ、疲れた。(若い衆に)ちょいと変わってくれ」
おきん「お前さん、一体全体、どうするつもりなんだい?商売道具まで売るなんて」
太助「うるせえ、お前は黙ってろ」
おきん「そんな……T水くさい(泣く)」
太助「何いってやがんだぃ。泣くやつがあるか。おう、もういいぞ(若い衆と変わる)」

(若い衆が金を数えている)日が暮れてーー

若い衆「ひいふうみぃーーなんとかなりそうですねえ」
おきん「そう、よかったわ」
太助「(帰って来る)おう、帰ったぞ。どうだ、足りそうか?」
おきん「……ええ」
若い衆「いやあ、店の物じゃいくらにもならなかったんですがーーおかみさんの着物が(おきん、若い衆の尻を抓る)いてっ!」

(暗転)翌日ーー集めた金を抱えて、半次の家に急ぐ太助。そのころ半次の家を窺うひとりの女。おときでありました。

太助「(角で人にぶつかりそうになる)あぶねえあぶねえ。へへ」

(半次の家の前)(太助の気配に逃げるおとき)

太助「ん?ーーお前さん、おときさんじゃねえか!」
おとき「いえーー(逃げる)」
太助「俺だ、太助だよ。逃げることねえじゃねえか。話は聞いてるよ。戻ってやりな、な」
高利貸し「どうもあの方はお見えになられぬようですな。ではいただくものをいただいて行きますよ」

(布団などの家財を集める高利貸しと手代)

手代「(土間に降りて)そうそう、これこれ(お釜を手にとる)」
太助「おう、ごめんよ。(手代に)お前はなにやってやがる!戻せ」

(太助、ゆっくり座敷に上がる)

太助「おう、金貸しの旦那、ずいぶん待たせたようで悪かったな。金は、持って来たぜ。(懐から一貫文を取り出す)ほれ!(首にかける)まだまだだ。(袋に入った銭を渡す)それから、これだ。(小判を取り出して、渡す)証文寄越せ(見る)」
高利貸し「確かに受け取りました、はい」
太助「おう、じゃあとっとと帰れ!グズグズすんな(高利貸しの尻を蹴る)ははは、ざまねえな(半次の前に座り)おう、半次、お前は早いとこ体治さねえといけねえぞ、な。これ(証文を渡す)」
半次「……兄貴、すまねえ!」

金が敵の世の中に、人情の風が吹くーーあえば喧嘩ばかりの仲なれど、ひとたび危急に陥れば我が身も顧みず助け合う。江戸っ子の気概を体現する太助であります。

太助「よかったな、半次……そうだ、すっかり忘れてた。半次、お前に合わせる人がいるんだ。おう、入ってきな」
おとき「……」
金太郎「お母ちゃん!」
おとき「金坊!」

(抱き合うふたり)

太助「どうだ半次、子供にゃあよ、やっぱり母親が似合うだろ、な?(立ち上がって)よし、じゃあ帰らあ。金坊、またおじさんとこに遊びに来いよ(外に出て)ぶるる……すっかり冷え込んできやがった」

(暗転)
しんしんと音もなく降り続く雪に、すっかり覆われた江戸の町。
(暗転)
しかしーー家財をあらかた売り払ってしまった太助たち夫婦は、震えて夜を過ごしておりました。(江戸の町)(鐘が鳴る)窮地に落ちた半次のため、金をかき集めたことに悔いはありませんが、夫婦とはいえ無理やり付き合わされた形のおきんには、申し訳ないことをした、と珍しく気まずい思いを抱えている太助でありました。(木っ端を焚べながら暖をとる太助)(もう一本、木っ端を焚べる)

太助「おい、おきん、怒ってるのか?」
おきん「……いいえ、ちっとも」
太助「じゃあ、もそっとこっちへきたらどうだ?そこじゃ寒いだろう」
おきん「……はい(近寄る)」

夫婦水入らずで、初めて迎える年の暮れが、このような寒々しいことになるとはーーさしもの太助もおきんに何と声をかけたらよいものか、わからないのでありました。(涙を拭うおきん)

太助「(気づいて)おい、何を泣いてるんだ?今度のことは俺が悪かったよ。最初からお前に話をしておけばよかったがーー」
おきん「(首を振って)いいえ、そうじゃないの。怒ってるんでも、悲しくて泣いてるんでもないの(太助を笑顔で見る)」
太助「ええ?じゃあ一体ぜんたいーー」
おきん「お前さんーー私ーーあの(腹を気にするそぶり)」

しきりに帯のあたりを気にするおきんのそぶりに、さしもの太助もーー

太助「おきん、お前、もしかしてーーややが?」
おきん「(恥じらって顔を伏せる)」
太助「そうか!おい、もっと火の近くに座んな!(座らせる)そうか……ややがーー俺の子が。こいつぁめでてえ。盆と正月が一緒に来るどころじゃねえ。おきん、お前、でかしたな!」

北風とともに雪が吹き込む家の中、寄り添う若い夫婦は寒さにも負けない強い絆に結ばれておりました。(餅つき)(甫庵先生がやってくる)弱気を助け強気を挫くーー一心鏡のごとしーー腕に彫った刺青によって、江戸八百八町にその俠名を知られるひとりの傑物の物語、主演片岡千恵蔵、監督稲垣浩、映画「一心太助」全巻の終わりであります。