脚色 池田忠雄
監督 斎藤寅次郎
撮影 武富善雄
キャスト
福田 小倉繁
お咲 出雲八重子
一郎 藤松正太郎
二郎 野村秋生
三郎 横山準
松子 小嶋照子
竹子 小嶋和子

薫風優しく頬を撫でる五月の空。(風になびくオシメ)抜けるような青空にスルスルとあがって行くのはーー満艦飾のオシメ。
(赤ん坊の梅子を背負ったお咲さんが掲げている)
(バケツを下げて、家に入りかけて、ニワトリ小屋へ)
近所でも評判の子沢山、我らが福田さんの家では、働き者のおかみさんお咲さんが、背中に末っ子の梅子を背負って朝から大忙し。
(生みたての卵をとる)
滋養のつく卵は朝ごはんに欠かせません。
(時折大きなお腹を抱える仕草)
このお咲さん、上から一郎二郎三郎に、松子に竹子に梅子と来て、まもなく七人目が生まれる予定だといいますから大変なものです。

お咲「(米びつを逆さにしてお釜に)もう米も切れちゃったわね(床に落ちた一粒を取って)見ぬモノ清し」

お米一粒には七人の神様がいらっしゃるといいます。あだやおろそかにするべきか。(お釜に水を入れる)

お咲「(水が止まる)あら、出ないわね、どうしたのかしら?」

(外で水道の元栓を閉めている男)

お咲「ちょっと水道屋さん、何してるのよ?」
水道屋「(請求書を出しながら)ずいぶん払いが溜まっておりますんで、止めさせてもらいましたよ。それじゃあ」
お咲「困ったわねえ(いったん引っ込んで)仕方ないわ、ちょっと面倒だけど、井戸水を使いましょう。(手押しポンプを使う)よいしょ、よいしょ……(研ぎ終えて)あー忙しい忙しい」

主婦の朝は寸暇もないスケジュール、お釜を火にかけて、お味噌汁の準備。

ガス屋「(上がって来て)ごめんください。ガス、止めますね」
お咲「ええ、そんな!」
ガス屋「払いが溜まってますんで。はい、お世話様(請求書を渡す)」

水道の次はガス。それでも朝ごはんは食べねばならぬ。作らねばならぬ。(炭を取り出す)(居間の火鉢のところへ行く)

お咲「ああ忙しい忙しい」

この家の大黒柱、福田さんはただいま絶賛失業中。(電車模型で子供たちと遊んでいる)やることがないので朝から子供たちと遊んでおります。しかし子供たちをそっちのけに、ひとり夢中になって汽車遊びをするさまは、まるで大きい体の子供がもうひとりいるよう。ついに喧嘩が始まってしまいました。(子供たちと喧嘩)(後ろの襖に「かせぐにおいつく貧乏なし」「りちぎ者の子沢山」の習字)

福田「ええい、邪魔だ!お咲、T少しは子供を見てやれよ!」
子供たち「それは僕たちのおもちゃじゃないか!(泣き出す)」

福田さん、今でいう模型テツという人種であります。

お咲「あんた!(火箸を持って)Tそんな暇に勤め口でも探して来なさいよ!」
福田「う、うむ、いや、その、(子供たちに)お前たち、仲良く遊びなさい(その場を去ろうとする)」
お咲「ちょっとどこへ行くのよ!」
福田「いや、(暴力はいかん暴力は)」
電気屋「ごめんください(電灯の線を切る)」
福田「何をするんだ!」
電気屋「払いが溜まっておりますんで(電灯を手に出て行く)」

水道、ガス、電気ーーかくしてほぼすべてのライフラインが断たれた福田さん一家。そこへ、学校に出かけたはずの長男一郎くんが帰ってまいりました。

一郎「父ちゃん、お金おくれよ。T今日は月謝日なんだよ」
福田「それはお母ちゃんにいいなさい」
一郎「お母ちゃん、月謝おくれよ」
お咲「ええ?月謝?(財布からお金を出すが)あら、もうこれっぽっちしかないわ。T今日は都合が悪いから明日にしておくれ」
一郎「ええ?そんな……」

支払いが滞ってしまって水道ガス電気を止められた家に、学校の月謝など出せるはずもなかったのであります。

一郎「ちぇっ(友達と出て行く)」

(風に泳ぐ鯉のぼり)
季節は風薫る五月。端午の節句を間近に控えて、ご近所では立派な鯉のぼりが風にたなびいております。
(縁側でそれを見る福田さんと子供たち)

子供たち「いいなあ。Tお父ちゃん、ウチでも鯉のぼりあげようよ」
T福田「いい子だからオシメで我慢しときなよ。数ではウチのが勝ってるじゃないか、ほら」

(風にはためくオシメ)確かに真鯉や緋鯉を圧倒するたくさんのおしめ。

子供たち「なんだい、あんなの全然すごくないや!」
お咲「よいしょ……ねえあんた、T明日にも生まれるというのに、一文無しでどうするつもり?」
T福田「その時になればどうにかするさ!」

あくまでも福田さんはお気楽一直線でありました。
(縁側に横になる)(ずっこける)

お咲「まったくもう……(立ち上がる)……いた、いたたたたたたた(倒れる)」
子供たち「お母ちゃん!お父ちゃん、お母ちゃんが!」
福田「どうしたお咲?」

(タライを持ってくる子供たち)

子供たち「お父ちゃん、これ!」
福田「(タライを見て)なんだこれは…あ!そうか!(タライを抱えて右往左往)ええと、どうすればいいんだ!」
Tお咲「早くお産婆さんを呼んでおくれ!」
福田「そうだ、産婆だ産婆。よし、赤ん坊は俺が背負うことにしよう。(紐で兄ごと背負う)じゃあ行ってくる!」

慌てて家を飛び出した福田さん。
(上の子がずり落ちる)

子供「お父ちゃん!」
福田「ああ、いかんいかん(上の子を背負って)しっかり捕まっていろよ」

(今度は赤ん坊を落とす)

福田「ああ、いかんいかん(赤ん坊だけ背負って)さ産婆だ産婆だ産婆だ!(駆け出す)」

さすがに七人目ともなると、馴れたもので陣痛に耐えながら子供たちに指示をするお咲さん。子供たちも、手分けしてテキパキと流れるように準備をして行きます。
(布団を出して、お母ちゃんを寝かせ、掛け布団をかける)
(布団の隣に茣蓙を敷き、タライを乗せる)
赤ん坊の産着も忘れずに用意。マクリ湯も枕元に置いて準備は万端、あとは産婆さんを待つばかり。
(産婆のところに駆けつける福田)

福田「産婆さん産婆さん(手を引いて出てくる)頼みますよ、もうね、すぐにでも産まれそうな按配でしてね、こっちですこっち!あれ?」

(人力車に乗る産婆)

福田「そんな、クルマに乗らなくたって、すぐそこですから」
T産婆「冗談じゃないわよ!六人の子供のとりあげ料もまだ払ってないくせに……!」
福田「そんなこといわないでくださいよ、今度必ず払いますから!」
産婆「車屋さん、出してちょうだい」
福田「ちょっと、産婆さん!」

福田さん、必死で産婆さんを追いかけます。

福田「ちょっと、産婆さん!」
執事「(門の外に押し出しながら)こらこら!入るんじゃない。Tお家の一大事に邪魔立ていたすな!」
福田「こっちだって一大事なんですよ!ちょっと(目の前で門が閉められる)」

福田さん、そんなことでは挫けません。

福田「(塀の中を覗き込んで)なんだ、ありゃあ?」

人々が心配そうに見ているのはーー
(そこへやってくる産婆)
豚、であります。こちらが飼い主の大金持ちの男爵夫妻。

T男爵「極東随一の名豚ゆえ、充分気をつけてもらいたい」
産婆「承知いたしました(聴診器をつけて)では失礼いたしまして」
福田「豚!豚のお産か!(落ちる)まったく情けない……Tうちの女房も豚に生まれて来ればよかったのになあ!」

そのおかみさんはといいますとーー
(哺乳瓶のミルクをがぶ飲みする子供)

三男「懐かしい味」
姉「なにあんたが飲んでるのよ!(押す)」
お咲「(腹の上で子供が乗って)いたたたたた」
弟「やったな!(棒で殴るかかる)えい!」
お咲「(腹を棒で殴られて)いたたたたた」
福田「おい!何をしているんだ!大丈夫かい、お前」
お咲「産婆さんはーー?」
T福田「頼むから金が出来るまで我慢しておくれ」
Tお咲「(むくりと起き上がって)これが我慢できるかどうか、考えておくれよ!」
福田「いや、それはそうだけれど……(松子を見て何か思いつく)そうだ!ちょっとおいで!」

長女松子の手を引いてどこかへ急ぐ福田さん。
(娘の手を引きながら歩く福田)(日本髪を結った女性が通る)
そこは、いわゆる花街であります。

福田「(店の女将らしき人にお辞儀をして)あのうーーTこの子で前借りさせてくれませんか?」
店の女将「ええ?Tまだ子供じゃないか!ダメだよ!」

(赤ん坊の娘に背負わせる福田)

福田「じゃあね、お前は先に帰ってなさい、いいね?」

とにかく金を作って産婆さんを呼んでくるまで帰れません。
(料亭を出てくるお金持ち。腰からがま口をぶら下げている)と、これみよがしに大きながま口をぶら下げているお大尽がーー。なりふり構わずまとわりつく福田さん。

福田「(道路に落ちたがま口)しめた!いてててて!(右手がへんな形に折れている)」

(左手をグルグル回してみる)いつもより多く回している福田さん。

福田「……そうだ、財布」
男「おお、財布だ!(去る)」

そのとき突如鳴り響く半鐘の音。

福田「ん?なんだ?」
人々「(下手から上手へ駆けて行きながら)火事だ火事だ!」
福田「ええ?火事だって?」

火事と聞いてはじっとしてはおれません。
(燃えている家)(二階から煙)

野次馬「おい、こりゃ大変だ!」
野次馬「女の子が逃げ遅れてるらしいぞ」

取り残され助けを呼ぶ少女。

両親「ああ、どうすればいいんだ、このままでは娘が!」
母親「あなた!」
父親「よし!待ってろよ!(中に入る)」

(野次馬の中に福田)

福田「これは大変だ」

やがてーー
(煙の中から、なにかを抱えた父親が出てくる)

父親「(倒れ込んで)ゴホッ、ゴホッ……」
母親「あなた!」
父親「娘を連れてきたぞ」
母親「(しかしそれは長靴)なにをやっているのあなた!」
少女「助けてー!」
T父親「誰か、あれを助ける者はないか?」
野次馬「いやいやいやいやいや(離れる)」
父親「よし、では、助けてくれた者には、これをやろう!(お札を数枚)」

福田さん、一番先に飛びつきました。

福田「では、行ってまいります!」
父親「頼んだぞ!」
福田「お嬢ちゃん、待ってるんだぞ!」

家の中に入ると、予想以上にこじんまりとした燃え方。
(上着を頭からかぶって二階へ行く福田)

福田「さ、行くよ!(人形を抱えて)間違えた!さ、お嬢ちゃん、行くよ!」

(少女を抱えて出てくる福田。消防団が消火に当たる)
かくして見事人命救助という偉業をなしとげた福田さん。
(すでに上着の左ポケットが燃えている)

父親「どうもありがとう!」
福田「いえいえ、当然のことをしたまでです」
警察署長「お手柄ですな」
福田「いえ……んん、何か焦げ臭いにおい。(署長の服を見て)どこか燃えてませんか?(父親の服をチェック)違うなあ。(地面を見て)ああ、ここだ!(バケツで水をかける)火の用心火の用心」
新聞記者「新聞社の者です。お話を伺ってもよろしいですか?(身振り手振りで語る福田)なるほど、では写真を一枚」
福田「ではこのバケツでも持ってましょうか」
新聞記者「それはいりませねんえ」
カメラマン「ちょっと近いな、もう少し(池にハマる)」
福田「なにをやってるんですか?(ポケットに手を入れて)あちっ!ああ、燃えてる燃えてる!ちょっと、誰か水を!(バケツの水をかける)」

せっかくの百円札はすっかり燃えて灰になってしまいました。

福田「なんてこった!(その場に倒れこむ)」

(福田家の前に人だかり)
一方そのころ福田家では。

大家「おい、見世物じゃないんだ、帰った帰った!ほらお前も!」

(大家さん、お札を貼る)
ご近所の人たちが心配して集まって来ておりました。

大家「お札をもらってきた。Tこの非常時に主人がいないとは何事だ!(キョロキョロして)ちょっと、早く探して来なさい!」
男「わかりました、では」
Tお咲「苦しい!」
近所のおかみさん「(大家に)大家さん、お産婆さんを呼んでこないとダメじゃないの?」
T大家「産婆を一人工面して来なさい」

そのころ福田さんは、お金を求めて神社の境内をウロウロ。そこにいたのは。
(人々がお金を恵んで行く)

福田「(箱の中を覗き込んで)ずいぶんもうかってるなあ。ホントに見えないのか?よし」

貧すれば貪する。人の道を踏み外すことに何のためらいもなくなった福田さんでありました。
(何度かタイミングを計りながら物貰いの前を通り過ぎる)
(ついに上着をかぶせて箱ごと持ち出そうとする)

物貰い「(立ち上がって)おい、何しやがる!ふてえ野郎だ!」
福田「くく、苦しい!やめてくれ!」

因果応報、お金を取るどころか、一張羅の背広を取られてしまいました。(走って逃げる福田)

福田「驚いたなあ、目も見えるし口もきけるじゃないか(水を飲んで、腰をおろす)どうすればいいんだろう……あれ?」

高利貸しの家。奥に大きな金庫ーー
(覗き込む福田)

T福田「きりとり強盗は武士の習い」

もちろん福田さんは武士ではありません。しかし、かくなる上は、どのような手段をもってしても、お金を工面しなければならないのであります。
(手ぬぐいを泥棒被り)(金庫を開けようとする)(この家のおかみさん登場)そこへこの家のお腹の大きな若奥様がーー。初産なので、頭の中はまもなく生まれてくる赤ん坊のことでいっぱい。泥棒と背中合わせに座っていることに気づきません。福田さんは福田さんで、必死になって金庫を開けようとしております。このように、人間という者は、夢中になっていると意外と気がつかないものであります。若奥様は、赤ん坊の産着を縫っております。(定規に手を伸ばす)

福田「あ、どうぞ(定規を渡してあげる)」

(アイロンをあてる)

福田「熱っ!(そっとアイロンを置く)」

(福田の足を針山と間違えて針を刺す)

福田「痛っ!(針を針山に戻す)まったくもう……あ?金庫の鍵だ!」
若奥様「ええと、あれはどこにあったかしら」

(立ち上がった若奥様にへばりつき、やっと鍵をゲット)

福田「助かった!」

とその瞬間ーー

若奥様「いた、いたたたた」
福田「しまった、気づかれた?(逃げようとする)」
若奥様「いたたたた」
福田「奥さん、おめでた?赤ちゃんですか?え、こりゃ大変だ!ええと、準備準備」

まもなく七人の子持ちになろうかという福田さん、お産の準備などお手の物であります。

福田「さ、こちらで横になってくださいよ」

(若奥様に聞きながら、タライ、オシメ、産着を用意する福田)
そのころーー福田さんを探し回っている男は。

男「福田さーん!まったくどこへ行っちまったんだ(汗をかいて顔を洗う)(手拭いで顔を拭きながら)あれ?」

(乳母車を部屋に持ち込んで、天井から回るオモチャを下げている福田)

男「ありゃあ福田さんじゃないか、一体何をやってるんだ?(部屋に上がり)ちょっと福田さん、福田さんったら!」
福田「うるさいな、忙しいんだから、ほら、手伝って(バケツを渡す)」
男「ええ?(水道の水を入れる)あ、うまそうなお饅頭(パクリ)」

ここの家ではすでに学校に上がる準備もできておりました。

男「お待たせしました(蛇口を止めずにバケツを持ってゆく)」

しかし、いかに経験豊富とはいえ、男二人ではなかなか行き届きません。それどころか。
(タライにお尻を突っ込んであたりをずぶ濡れにする)
(タライの水を部屋にぶちまける)
(台所が水浸し)

男「助けてくれ!」
福田「どうした?(浮き輪を投げて)これに掴まれ!あっ(落ちる)そうだ、マクリ湯を用意しなきゃ(飛び込んで取ってくる)」

同じ頃、福田家ーー

大家「どうだった?」
T男「この家の払いが悪いのを知っていて、どこの産婆も来てくれません」
大家「そうか、やっぱりな」
近所のおかみさん「そんな落ち着いてないで!T家主さん、なんとかしてやってください」
大家「冗談じゃないよ。T家賃を貸してある上に、お産の費用まで出せると思うか!」

大人たちが揉めていると、何やら子供達もーー

三男「あ、財布だ」
二男「ばか、何やってるんだよ!」
三男「僕が見つけたんだぞ!」
二男「落とし物じゃないぞ!」


(お咲さんの上で喧嘩を始める子供たち)

お咲「いたたたたた」
近所のおかみさん「ちょっとあんたたち!」
Tお咲「苦しい!」

いよいよ生まれそうな按配であります。

T大家「この上は、亭主を産婆にするよりテはない」

ふたたび使者が遣わされました。
(自転車で走る)
(ぶつかる)

男「どこ見て走ってるんだ!」
男「何を!やるか!」
男「こいつめ!あれ?なんだなんだ?なんだか聞き覚えのある声がーーちょっとごめんよ!」

人だかりの向こう側ではーー
(赤ん坊をあやしている福田)

福田「ああ、よしよし、いい子だねえ」
男「福田さん!Tおかみさんが難産で死にそうだというのに、何をしてるんだよ!」
福田「何いってるんだ、Tもう大丈夫だ、玉のような男の子だよ。ほら見てご覧よ」
男「福田さん!(肩を叩く)しっかりしなよ、ここはあんたの家じゃないだろ!」
福田「え?あ、お咲じゃない!Tさてはひとの女房だったのか!」
男「さてはじゃないよまったく!」

慌てて駆け出す福田さん。
(入れ違いにこの家の主人が帰ってくる)

男「(自転車を運転しながら)とにかくあんたが産婆役をしなけりゃならないんだよ」
福田「ええ、いやしかしーー俺にできるかなあーーあれ?」
男「花子ちゃんやーい!」
男「花ちゃーん!」
男「(呼び止めて)一体なにごとです?」
男「男爵のところのT逃げた子豚を懸賞付きで探してるんだよ」
男「懸賞付き?」
男「ああ、五百円だってよ!」

大卒の初任給が九十円くらいですから、大した額です。(使いの男も走り出す)

福田「ちょっと!……五百円か……よし!」

(境内を探す面々)(トンカツ屋)

老人「今日はトンカツにするか(ご婦人と一緒に入る)」

(子豚、トンカツ屋に入ってゆく)こちらがその逃げ出した男爵家の花子ちゃん。

老人「(店から飛び出す)な、なんじゃーっ!」
コックたち「待てっ!」
福田「あそこだーっ!」

(トンカツ屋の前を走る人々)

男たち「五百円ーっ!」
客の男「なに五百円?よし、俺も」

(子豚、塀の穴から中へ)自由気ままな花子ちゃん。

福田「ここから中に入ったぞ!」
男「よし!(穴を覗く)」

(それを踏み台にして塀を乗り越える人々)
よそ様の庭だろうがなんだろうが、五百円のためならなんのその。

福田「(踏みつけられて)おい、待てーっ!」

一方座敷では厳かに祝言の真っ最中。

人々「どこだどこだ」

(新郎新婦の間に、花子)
晴れて夫婦の契りを交わす新郎新婦。ことに新郎がかねてより恋焦がれていた意中の女性です。恥じらいながらそっと手を引き寄せるとーー

新郎「あっ豚!」
人々「豚だ!」
福田「あ、いたぞ五百円!」

(婚礼の席はめちゃくちゃに)

新郎「五百円だって?(礼服を脱いで)」
仲人「おいおい、祝言はどうするんだ?」
新郎「そんなものやめます!」

お行儀のいい花子ちゃん、入って来た穴から出て行きます。

男「(穴から顔を出して)あっちだ!」
福田「捕まえろ!」

(塀を乗り越える人々)(走る花子)
大の大人が雁首揃えて、愛らしい一匹の子豚を追いかけて墓地へ。

人々「待て待て!」
人々「捕まえろ!」

(走る花子)(四五人で囲んで飛び掛かるが、逃げて行く)(尻餅をつく男)

男「いててて(墓石を抱えて)なんだこんなもん!(放り投げる)」
人々「待てーっ!」
人々「五百円ーっ!」
坊主「(読経を挙げているが、気がついて)なんたること、墓石が!」
坊主「五百円だそうですよ和尚様。では後をよろしくお願いします(追いかける)」

(人々、倒れた墓石を片付ける)
かくして捜索隊に、お坊さんが加わりました。
そのころお咲さんはーー

大家「どうだい?」
T近所のおかみさん「大変だ、冷たくなってきた!」
大家「ええ?(触って)本当だ!(戻ってきて)それにしてもT使いの奴らはどうしたんだ!(腰を下ろして)しかしこうしてはおられん、T俺が迎えに行ってくる」

(大家自ら福田さんを探すことに)

大家「いったいどこで油を売ってるんだ……なんだ、豚がこんなところに……あっち行きなさい!まったく」
人々「待てーっ!」

(壁が倒れる)

人々「いたぞ!」
人々「あっちだ!」
男「おい、誰か下敷きになってるぞ」
男「あ、大家さん!」
男「大丈夫ですか?」
大家「おい、お前たちは何をしとるんだ?」
男「実はかくかくしかじかで」
大家「五百円!」

ついに捜索隊に、大家さんも加わりました。
(走る花子)
一方福田家ではーー(お札を母の腹に貼る)
子供たち、お母ちゃんのことが心配でたまりません。

子供「これ飲ませてみようか?」

マクリ湯とは、赤ん坊用の胎毒下しのお薬。カイニン草という海藻を煎じたものであります。

お咲「(薬袋を見て)ばか、お前たち、なんてものを飲ませるんだい!いたたたた」

(泣き出す子供たち)
さてーー花子捜索隊は、いまだ奮闘中。

人々「待てーっ!」

(はれやかの看板の裏に逃げ込む花子)

人々「かかれーっ!」
人々「えい!えい!」
人々「あ、あっちだ!」

(土管の中で気を失っている福田)

大家「おい、福田さんしっかりしろ!」

脳裏に浮かぶお咲さんの顔。

福田「五百円!(起き上がって走り出す)」

(走る花子)次に花子ちゃんが向かった先はーー

選手「クラウチ、バインド、セット!」

ラグビーのスクラムの中ーー
(花子をボール代わりに投げる選手たち)若々しく俊敏なラガーメンによって、楕円形のボールとなった花子ちゃん。
(パスを受けた選手が一人で走り出す)

人々「いた!あれだ!」
人々「追え!」

(花子を抱えて走る選手)花子ちゃんを抱えて独走していた選手が倒れてラック状態。(花子、逃げる)

人々「いまだ!」
人々「五百円五百円!」

ついに捕まえたか?と思いきや。
(捜索隊、めちゃくちゃ棒で叩く)

人々「(倒れた選手をどかしながら)どこだどこだ?」
福田「いないーーあ、あそこだ!」

(ボールを抱えてトライを狙う選手)

福田「二手に別れましょう!(走り出す)ちょっと待った!」
選手「な、なんですか?」
家主「五百円!(殴る)」

作戦は的中ーーと思ったら。

福田「なんだこれは!ただのボールじゃないか。あ、いた!」

(走る花子)(お咲さんの顔)

人々「待て五百円!」

欲に目が眩んだ人々は、泥だらけになりながら、一匹の子豚を捕まえようと、くんずほぐれつ。しかし、泥んこになった花子ちゃんは、捕まえようとしてもするりと手をすり抜けて走って行く!
(お咲さんの顔)
もはや人々の目には、花子ちゃんは子豚ではありません。懸賞金五百円そのものでありました。花子ちゃんを抱えては懸命に走り、泥に足を取られて倒れ、また立ち上がって追いかける。
(お咲さんの顔)
戸板を使って追い込む作戦。
(お咲さんの顔)
(人々、戸板でおさえつける)

人々「よし、やった!やったぞ!」

しかし、戸板の下に埋まっていたのは福田さんでありました。

人々「おい、しっかりしろ!」

(お咲さんの顔)

福田「子豚!」

花子ちゃんにとっては楽しいはずのお散歩が、いつのまにか、まるで悪夢のような追いかけっこになってしまいました。
(お咲さんの顔)
老いも若きも、お坊さんも大家さんも新郎も、目の色を変えて花子ちゃんを捕まえようと走ります。

人々「待てーっ!」
人々「捕まえた!」

(やってくる高級車)
騒ぎを聞きつけて、男爵がやってまいりました。
(物陰に入る人々、次々と弾き出される)
そしてついにーー福田さん、トライ!
泥ひとつついていないきれいな花子ちゃんと福田さん。

男爵「うむ(執事に合図)」
執事「はい(カバンから封筒を出して)さあ、約束の懸賞です」
福田「ありがとうございます!ありがとうございます!そうだ、産婆さん!」

(産婆さんを乗せた人力車の列の先頭で先導する福田)
福田家に、とうとう産婆がやって来る。産婆だけではありません。産婦人科の先生に看護師、その道のプロフェッショナルが勢揃い。(ウロウロする福田)すぐに大きな産声が。

T産婆「(出て来て)見事なお坊ちゃんです」

続いて大きな産声が。

T産婆「見事なお坊ちゃんです」
福田「え、双子ですか?それはまあめでたい……」

そしてみたび大きな産声が。

T産婆「見事なお坊ちゃんです」
福田「え、三つ子?こりゃまた……Tお国のためだ!Tバンザイ!」

(倒れる福田)
(空を泳ぐ鯉のぼり)
そしてついに福田家にも鯉のぼりの上がる日が来ました。

子供「うわー、すごいねえ!いっぱいいるねえ!」
福田「どうだお咲、みんな喜んでるぞ!」
お咲「そうねえ……でも鯉のぼりもいいけれど……T子供たちのことも考えて、早く勤め口を探しなさいよ」
福田「いや、それなんだが(ポケットから辞令を出す)これ、みてくれ!」

辞令
福田繁
右の者、養豚係主任に命ずる。
月給八十円也

福田「男爵様の豚のお世話をすることになった!」
お咲「まあ、あんた!」

(夫婦、抱擁する)
(家族みんなで手を繋いで歩く福田家)
(十人どころではない子供たち)
福田さんの家では、それからも子供が増え続けーーやがて日本一の子だくさんといわれるようになったのでありました。昭和十年、松竹蒲田撮影所作品「子宝騒動」全巻の終わりであります。