ウインのワクワク「LIFE」

ウインのワクワク「LIFE」

            琴線に触れるものを探して

 

本書より

 

アーネスト・ヘミングウェイも同じ。スペイン内戦が起きると『誰がために鐘が鳴る』を書いて人民戦線に肩入れした。~ソ連将校から主人公に与えられた任務は鉄橋の爆破だ。そのために反フランコ派のゲリラ組織に協力を求めるが、そこで髪を短く切った少女マリアに会う。

 

では、なぜ、マリアは短髪だったのか。町長の娘だった彼女の家をフランコ派の兵士が襲い、両親を殺し、彼女を凌辱し、挙句に頭を丸刈りにする辱めを与える。

 

旧約聖書には「女は髪を二つに分けて結べ」とあり、結びを解いて髪を靡かせるのは「ふしだら」と続く。神は女を男に惑わす魅力を持たせ、ただ乱用は慎めと言っている。神も畏敬する女の髪。それを刈ってなる坊主にするのは女性への最大の侮辱となる~。

 

連合軍は1944年6月、ノルマンディー海岸に上陸。多くの血を流してパリを解放する。パリ市民は丸4年ぶりの解放を喜ぶ。同時にナチ占領下で独軍将校と通じ、子までなした「ナチ協力者」の女を引き出し、丸刈りにして嘲笑に曝した。

 

この国はナチスが攻め込んでくると聞いてアルデンヌの森の前に仏植民地のセネガルの兵士2万人を並べた。独。機甲師団相手に彼らは戦い、全滅した。

 

それに怖気づいた仏政府は「パリを守る」を口実に早々にナチに降伏した。あとはナチ占領下でのんびり過ごした。名画『天井桟敷の人々』はそのころにパリで作られた。

 

ド・ゴールは亡命政権を樹立し、アフリカで独、伊と戦い、ノルマンディ上陸作戦にも参加して血を流しているじゃないかとフランス人は言う。

 

それはどうか。アフリカで戦ったのは植民地チャドの兵士らだ。ノルマンディーに上陸したのもチャドやモロッコ、タヒチなど植民地の兵士ばかりだ。

 

戦後は日本が独立させた仏印を取り返して「栄光のフランスの再建」のためにと戦前と同じに苛烈な搾取を始めた。ベトナム戦争は起きて当然だった。

 

「いやレジスタンスが頑張った」という。それも嘘だ。レジスタンスが蜂起したのは独軍がパリを出ていってからだ。

 

キャパはそういうフランス人の欺瞞をむき出すつもりであの写真を撮ったのだ。

(2024年6月13日号)

 

本書より

 

校長から「マッカーサーさんは都合が合ってお国に帰ります」と話があった。皆さんで見送りに行きましょうとなって1キロ離れた今の米国大使館まで全児童が見送りに行かされた。~生のマッカーサーを見た最初で最後の瞬間だった。ずっと後に彼の回顧録を読んだら「20万市民の涙に見送られて厚木に向かった」とあった。己を美しく飾るために子供のざわめきさえ嗚咽する占領地の民にしてしまう。それに行先は羽田だ。ずいぶんと耄碌が進んでいたようだ。 

 

給食もマッカーサは嘘で飾る。「給食は米軍の援助物資が元」と天声人語が書くが、そこからして嘘だ。「視察に来た占領軍将校が米軍の好意だから残さず食えと言った」と続くが、連中にそんなことを言える資格などなかった。見かねた在米日系人が脱脂粉乳などを送ってくれた。

 

天声人語が参考にした『学校給食十五年史』にあるように、最初に届いた100トンはGHQのクロフォード・サムスが「まるで米軍からの支援物資のように」日本側に引き渡した。

 

戦後間際に沈められた緑十字の阿波丸もその一例だ。国際法では保護され暗夜も明かりをつけて航行していた阿波丸を米軍潜水艦が面白半分で魚雷で沈め、2100人が死んだ。

 

~米議会は「日本如きに賠償する必要などない」と突っぱねてきた。マッカーサーは次の大統領選に立候補する気で、議会を怒らせたくなかった。そこでガリオア(占領地救済・復興)を有償にし、日本政府に出させたカネの一部を「阿波丸犠牲者への賠償金とさせた」とシーボルト(GHQナンバー2)は書いている。

 

マッカーサーが去ったころ、米軍は余剰小麦の処分に困り始めた。そこで米国はいい手を思いつく。まず1億ドル分の小麦を日本に供与すると言う。学校給食をパン食にするならタダで上げてもいいとも言った。

 

日本は喜んで「パン食を中心」にする学校給食法を制定した。途端に米国は小麦の対日無償供与をやめた。以来、日本は毎年200億円の小麦を米国から買う羽目になった。米政府は日本を安定した小麦の購入国に仕上げた。

 

ということを『学校給食十五年史』は書いているが、天声人語はその辺を見事に無視し、米国を学校給食の恩人に仕立てる。

 

何で詐欺師を庇うのか。その心情がわからない。

 

 

(2024年5月2・9合併号)

 

本書より

 

鳥兜 中国の「ポストトゥルース」に毅然と対抗せよ

現在の集団的安全保障の枠組みでは、米国が台湾防衛に動かない限り、日本が独自に何かをすることはできない。

 

日本単独で台湾有事に介入することはできないし、集団でさえ介入するかどうかは状況によるのである。

 

高市政権が誕生した直接の理由は、実にシンプルなものだ。多くの国民が望んでいるものの、「大人の事情」なるものでどの政治家もできなかった「積極財政による本格的経済立て直し」や「外国人規制」といった政策を、高市早苗なら本当にやってくれるのではないかという漠とした期待を多くの国民が持ったからだ。

 

国民にしてみればようやく待ちに待った本当に国民のための政治をするかも知れない高市早苗氏が「さあ高市さん、我々国民のために本当の政治をやってくださいな!」という心持ちで高市総理を見つめる状況にあるわけだ。

 

高市総理が今直面している最大のリスクは中国でも財務省でもなく、国民に「高市さんにまで裏切られた」と思われることにあるのだ。

 

いつまで経っても本格的な減税や大型経済対策、本格的な外国人問題対策が始まらず、旧態依然とした緊縮や移民拡大施策がわずかなりとも行われるようなことがあれば、高市氏への期待は激しい恨みや怒りへと「大転換」してしまうリスクは確実に存在しているのだ。

 

高市総理は、本当に保守・積極財政の政治を国民の為にしたいと願うのならば~国内の緊縮勢力や親中勢力を抑え、国民が求める保守・積極財政政治を可及的に速やかに推進しなければならない。

 

それを考えたとき、最も合理的な方法は勿論、年末あるいは年始における国会解散と総選挙だということとなろう。

 

果たして高市氏は如何なる戦略で、国民を救う政治を進めようとするのか。高市氏の真摯なる決断を心から祈念したい。

記事より】

 AIは「唯一の正解」を求める道具ではありません。むしろ、「たった一つの答えを知る」ためだけにAIを使っていると、そのポテンシャルを十分に活かしきれないのです。


AIは、異なる視点、意見、方法、仮説を組み合わせ、複数の可能性を示してくれる存在です。つまり、AIの強みは“多様”を引き出すことにあります。


だからこそ、求められるのは、そうした多様な答えを導く「問い」を持てるかどうか。問いの質こそが、これからのぼくたちの知性を形づくる鍵になるのです。

 

「知っているか」より、「どんな問いを立てられるか」。「正解を早く出す」より、「まだ誰も問うていない視点を持つ」。そんな姿勢が、 AI時代のぼくたちに必要とされる“知の態度”ではないでしょうか。

 

 

 

坂本龍馬は、西郷隆盛と初めて対面したときに、西郷を評してこう語ったという。

「西郷という人物は、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く、釣鐘のような男だ。

もし、馬鹿なら大馬鹿で、利口なら途方もなく大きな利口だ」

これは、AIに対する我々の問いかけと同じだ。

AIに、表面的で浅い質問をすれば、浅い答えが返ってくる。

本質的で深い質問をすれば、深い答えが返ってくる。