陸軍特別攻撃隊「万朶隊」 | 航空戦史雑想ノート【陸軍編】

陸軍特別攻撃隊「万朶隊」

【この稿はまだ覚書の段階です。これから鋭意調査の上、充実したものに仕上げたいと思っています。
 高木俊朗著「陸軍特別攻撃隊」を読み、何かに突き動かされるような衝動に駆られ追加してしまいました。
 今までは海軍航空隊中心に研究してきましたが、これを機に陸軍航空隊についても書いていくつもりです。遅筆ではありますが、よろしくお願いいたします。】



大本営発表(昭和十九年十一月十三日午後二時)
 一、我が特別攻撃隊万朶隊は、戦闘機隊掩護のもとに、十一月十二日レイテ湾内の敵艦船を攻撃し、必死必殺の体当りをもって、戦艦一隻、輸送船一隻を撃沈せり。本攻撃に参加せる万朶飛行隊員次の如し。
 陸軍曹長 田中 逸夫
 同      生田 留夫
 陸軍軍曹 久保 昌昭
 陸軍伍長 佐々木友次
上(原文は右)攻撃において、掩護戦闘機隊員、陸軍伍長渡辺史郎また艦船に体当りを敢行せり。
 二、万朶飛行隊長陸軍大尉岩本益臣、同隊員陸軍中尉園田芳巳、同安藤浩、同川島孝、同少尉中川勝巳は、攻撃実施数日前、敵機と交戦戦死し、本攻撃に参加する能わず。


 陸軍特別攻撃隊「万朶隊」とは、陸軍で最初に編成された特別攻撃隊である。
 昭和19年10月21日、鉾田教導飛行師団で編成され、九九式双発軽爆撃機二型を装備しフィリピンの第四航空軍に配属された。

指揮官
陸軍大尉 岩本 益臣  操縦(陸士53期/福岡/28歳) 
陸軍中尉 園田 芳巳  操縦(陸士55期/佐賀/23歳) 
陸軍中尉 安藤 浩    操縦(陸士56期/京都/22歳) 
陸軍中尉 川島 孝    操縦(陸士56期/神奈川/22歳) 
陸軍曹長 田中 逸夫  操縦(福岡/26歳)先任下士官
陸軍軍曹 社本 忍    操縦(予備下士/愛知/25歳)
陸軍軍曹 石渡 俊行  操縦(予備下士/千葉/20歳)
陸軍軍曹 鵜沢 邦夫  操縦(予備下士/千葉/21歳)
陸軍軍曹 久保 昌昭  操縦(少飛/大分/20歳)
陸軍伍長 近藤 行雄  操縦(朝鮮/22歳)
陸軍伍長 奥原 英彦  操縦(予備下士/長野/22歳)
陸軍伍長 佐々木友次  操縦(予備下士/北海道/21歳)

通信係
陸軍少尉 中川 勝巳  通信(少侯/和歌山/30歳)
陸軍曹長 浜崎      通信
陸軍曹長 生田 留夫  通信(兵庫/)
陸軍曹長 出川      通信(出撃前に中川少尉と交代)
陸軍伍長 花田      通信

整備班
陸軍少尉 村崎 正則  整備班長(熊本/少侯24期)
陸軍曹長 藤本 春良  整備
陸軍伍長 林        整備
陸軍伍長 樋谷      整備
陸軍伍長 仁平      整備
陸軍伍長 古川      整備
陸軍伍長 川端      整備
軍属   柴田潤一郎   整備
軍属   野村富雄    整備
軍属   上野       整備
軍属   遠藤       整備
 
(以下、続く)