ピンと来ない。解らない。となる訳。 | katsu「人生と自由の美学」

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人には他人の言ってる事が「ピンと来ない。」「解らない。」となる場合がある。

 
〇〇ですよ。
 
「ん?」
 
 
〇〇じゃないですか?
 
「解らない」
 
 
自分の事なのに人はそうなる。
 
 
例えばフルーツで例えてみる。
 
頭の中に知ってる材料として
リンゴ・バナナ・ミカン
があるとする。
 
と言うか
リンゴ・バナナ・ミカン
しかない場合だとする。
 
 
そこで誰かが言う。
メロンの話を。
 
 
その人はメロンの存在を知らない。
知らないからどんなフルーツか解らない。
 
そこで 頭の中にある3つの材料だけで
メロンと言うフルーツを想像する。
想像上の私のメロン。
 
 
ただ それを知った事が大切で
日常の何処かでメロンと出逢う。
 
 
すると
「コレがメロンかぁー」
と気づく。
 
 
これは 人の言葉や知識や学び も同じ事。
 
 
知らない事を知るとは そういう事。
 
そして
知った人はメロンを語れる。
 
 
 
もひとつ
「あー そうなんだね」
と軽くメロンを知る人もいる。
 
 
その人はメロンをそういうものだ
と言う自分の常識で判断する。
 
だから 知ってはいるが 曖昧でメロンの事を詳しく聞いても解らない。
 
 
これも 人の言葉や知識や学び も同じ事。
 
 
自分の知ってる材料で無意識で判断した事は
気付かずに目の前にある人生を軽やかにする必要である情報や知識を入れなくなる。
 
 
良い悪いの判断で言ってるのではなく
そう言う状態を起こすと言う事。
 
 
考え気づいた事は 曖昧のまま自分の人生を進む事なく 軽やかに選択を持ち進める。
 
 
どうせなら 皆んな誰しも
軽やかな人生 が沢山あると良いと思う。
 
 
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2016年5月  再アップ記事




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