買ってはいるが、
まだ読んでないワンピースの新刊。
テーブルに置きっぱなしで、
まだ読めていない。
そして、この最新刊が、
まだ読めてないのには理由がある。
まず先に。
僕はあまり本を読まない。
知識は本じゃないものから取り入れる。
そして、
本屋で平積みされてる本を
あまり読まないのも、
今回のことと繋がる。
先日、ワンピースが大好きな
島崎里保と歩きながら話してた時、
新刊の話になった。
街角を歩いて、
次のお店へ行くまでの少しの間の話。
新刊読んでたな。
俺はまだ読んでなくてなぁ。
帯に書いてある文字で内容が分かるだろ。
どうゆうことですか?
[姿は変われど、魂は変わらない]
と書いてあったから、
ロボットの体に記憶の入った魂を宿し、
クマが生き返るんだろ。
というと、
そこで、分かるんですかぁ
って感じの話をした。
父であるクマは娘が生きる為に、
肉体から精神を消して56され
肉体兵器になると決めた。
確か前回そんな話があった。
そして、帯の言葉。
推理、予測、先読み etc…
表現は色々とあるけど、
それらは想像や主観の話で、
分かるや分かってしまうとは違う物。
そして更に、
分かるは感覚と感性の問題になる。
つまり、何をどう感じれるかだ。
色んな所を食べ歩いてるグルメな人が
写真を見ただけで
お店の雰囲気や美味しいかが
分かるように
経営者が人を見て
その人の性格が分かるように
音楽をやってる人が音を聞いて
楽器が分かるように
船乗りが風を感じて
天気が分かるように
芸術家が
作品の言葉が分かるように
その分野やジャンルに
魂を込めてやってる人には、
本質的に分かるものが多い。
人は意外と
自分自身のことが分からない。
それはこれまでに自分を知る方法などを
教わってきてないからだ。
なので、
持ち前の自分の良い部分さえも
活かしきれてなかったりする。
セッションの依頼を受けたら、
良さや資質もお伝えしたりするが、
ずっと頑張って来た人ほど、
自分を知り受け入れた時の顔は、
何とも言えないほどに緩んで
優しい顔になる。
今までずっと、
自分に厳しかったのだろう。
そして自分を知れば、
知らなかった時の自分よりも
迷いや不安も消えて、
気持ちのざわつきや
頭のノイズも静かになり
冷静に悠々と爽快に
自分を信じて毎日を過ごせる。
本質的に分かるとは、
理解するのではなく
自分の中に受け入れること。
情報を頭に詰め込んだ
知識の理解ではなく
料理をするような感覚の理解。
分かってしまった人は、
分かってないとダメだとしてる人で
自分のダメさを見てる人。
でもそれだと、
分かろうとしてしまうから
何も分からなくなってしまう。
分かっても分かった自分を一度捨てて
踏み出せる者は、
物事の本質が分かってくる。
そんな風に次の一歩は、
今の自分を越えた先にいつもある。
知ると分かるの概念も面白いから、
また何処かで話そう。
僕たちは永遠に分からない
永遠の中にいるのだ。
ぼちぼち気が向いたら、
最新刊を読んでみようと思う。
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