今、夏休みで
早番、遅番シフトなのに
寝不足で困ります


原因はオリンピック


特に柔道が観たいけど時差の関係で
3位決定戦と決勝が日付が変わる頃

眠たくても
つい気になって観てしまうのです


私は柔道経験者じゃないけれど
息子が高校まで柔道をやっていたので
観てしまうんです



ウチの息子
努力とか我慢が苦手な子なので
中学校で柔道を辞めると思っていました


特に坊主にするのは絶対に嫌だと
中学の頃は長髪で柔道をやっていて
いつも顧問の先生とケンカしてました




ある日、顧問と大喧嘩して
【部活辞める】と言うと
それは それは熱心に息子を引き止めて
顧問以外の先生たちも巻き込んで
長い時間をかけて息子を説得しました


私的には
やるのは息子なので
続ける、辞めるのを決めるのは
息子だと思っていて
私は何も言いませんでした
ノータッチです


見事に説得され(想定内)
中学卒業までは続ける事になりました



でも息子は高校生になったら
バイトして好きな事して
青春を謳歌すると思っていたら
(本人も高校ではやらないと言ってたし)



なんと!!

続けようかな発言


ハァ??
どーした?
その心変わりは何?



実は息子が引退した中3の夏

柔道のグランドスラムがあって
テレビで放送してたんです


それを夜中にコッソリ観てた息子を
私はコッソリ見たんです


その時は
単なる興味があって観てるのだと思いつつも

もしかして
未練がある?ような感じもしたんです



そして夏休み明けの9月

顧問から電話があって

〇〇高校と●●高校から
推薦が来たので
お母さんも一緒に話を聞いて欲しい

そんな電話でした



〇〇高校
県内1の柔道強豪校
毎年 全国大会の常連校
県内はもちろん
県外からも柔道をやりに来て
寮に入ってる子が多い柔道高校



●●高校
県内そこそこの強い学校



私と息子、顧問の先生が
〇〇高校と●●高校の監督と
話をする事になりました



〇〇高校の監督は言いました

ウチの学校には自分が1番強い
そう思ってみんな来てる

だから簡単にはレギュラーにはなれないし
練習もキツイし、遠征 遠征だよ


もし他の高校に行けば
君はすぐ即戦力でレギュラーになれるよ

だけど、もしも俺の所に来てくれたら
俺が全国に連れていく

断言する


上矢印

多分このように言われた記憶があります




かたや●●高校の監督は

すぐレギュラーになれる
一緒に頑張ってみないか?


上矢印

こんな感じでした




私は正直‥‥

もしも息子が柔道を続けたいと思うなら
〇〇高校には行かないで欲しいと思いました

練習も先輩後輩の関係も
めちゃくちゃ厳しいと思ったし
第一、息子は練習について行けないだろうし
その前に坊主にしたくないから
99%は行く事は無いと確信しました




そして私は息子に言いました

もし柔道やるなら●●高校にしたら?と



そう言いながら
息子はどちらも行かないと思ってました



『期限まで良く考えな』

と息子に言いました




それから数日後‥


息子『話がある』


私『何?』



すると息子が話出しました


俺、〇〇高校に行きたい
練習も何もかも厳しいのも わかってる
それに高校で柔道をすると
親に相当な負担も掛けると思う
お金の面も時間の面も‥
それに俺、絶対に心が折れると思うから
その時は心配も掛けるけど支えて欲しい




それに対して私は全力で反対しました

一応、息子を育ててきた母です

すぐに心が折れるのがわかっていたから

それにあんな軍隊みたいな所に
かわいい息子を喜んで送り出せない

そんな心境でした



その後、長く息子と話し合いをしました


私に頭を下げてまで行きたいと言った息子


とても複雑な心境でしたが
この時、私も腹を括りました


3年間、柔道をする息子に掛かるお金は
柔道着、遠征費、その他諸々
約100万円

いや、それ以上です



この頃、既に相棒と居ましたが
柔道、学校に掛かるお金は
一切 出して貰いませんでした


シングルの私には大変な大金なので
相棒も色々心配してくれましたが
1円も出して貰わなかった


まー、しゃーないです
自分の息子の為です
私も踏ん張りました


息子の高校時代
私の生活は息子中心


土日は
練習を観に行き
試合の日は朝から場所取りして応援
時には県外の遠征先まで行き応援
正月も柔道部のゴハン作り
遠征に行かない限り休みのない弁当作り

毎日 起きて顔を洗って歯を磨くだけの息子に
朝ごはんと昼の弁当を持たせて
朝練に間に合うように6時に家を出て
学校へ送る


そして夜、学校に迎えに行くと
車に乗ってソッコー爆睡する息子


で、時には心が折れる息子を叱咤激励




今おもい返しても
とにかくキツかった

 
でも
それをやってる最中は
全速力で走り続けていたので
気合いで乗り切った感じ



なにより息子が〇〇高校に行く事にしたと
学校側に伝えた時に
1番ビックリ仰天したのは
中学の部活の顧問と周りの先生たち



ウチの娘と息子が中学の時に
唯一、頭が上がらない先生が居ました

どちらも素行不良で
他の先生には反抗的なのに
その先生だけには素直に話せて
素直に話を聞ける先生


部活辞める事件の時も
この先生からの説得が大きかったと思います



そして部活の顧問の先生ですが
息子が2年の時は副担任
3年の時は担任になったんです

担任になった時、息子は
『超〜〜嫌だ』
『部活の顧問が担任なんて最悪』
と言ってました


なのに
卒業式の日

部活の顧問で担任だった先生は大号泣
息子も大号泣

私も初めはもらい泣きしましたが
あまりの2人の大号泣っぷりに
笑えてきたのを思い出しました



そして高校に入学する少し前
息子、人生初の坊主に

あんなに嫌がってた坊主

私の実家が床屋なので
妹にお任せしました


私、息子の頭にバリカンが入る時
絶対に泣くわ‥

と思っていたのに

妹が潔く
真ん中にバリカンを入れた瞬間
大爆笑しました


私もバリカンで息子の髪を剃って
まるで横綱の断髪式でした



そして卒業後
息子が高1の夏休みに中学の柔道部で
飲み会をしたんです


もちろん息子たちは
ご飯だけ一緒に食べて
飲みの時は帰って親だけです


その時
先生が教えてくれました


3年の担任になると決まった時に
1組から5組まであるのですが
初めて担任を持つ先生が
持ちたいクラスを選ばせて貰えたそうで
息子の居るクラスを選んだ、と


この先生、まだ若くて
息子が中2の時に結婚したんです

もちろん柔道経験者で
国士舘高校、大学で柔道をしていた先生

その後、高校でコーチとして
柔道を指導していた時に
中学校に引き抜かれたのでした


その中学校が息子の学校でした


みんなでご飯を食べながら
高校での様子を息子に聞いていた先生

少し酔っていた若い先生は
ニッコニコ顔で
息子たち少し引いてました(笑)




大きな試合があると
先生も審判で来ていたので
結局は高校時代も息子は
この先生に話を聞いて貰ったり
アドバイスを貰ったり
立派な師弟関係が出来上がってました


あんだけ喧嘩してたのに
不思議なもんです



二十歳になった年から
お盆になると
中3のクラスで仲の良かった仲間と
飲むのですが
その時は担任の先生も呼んで
プチ同級会をしているみたいです



中学校の卒業式の日に
親に手紙を送るのが
定番の学校で
その時に貰った息子からの手紙の中に
今までの感謝と
高校で柔道をする覚悟が汚い字で書かれていて
最後に
オリンピックに連れてくから
と書かれてました



その夢は
あっけなく消えましたが
1番 思春期の時に
真剣に頑張る姿を見せてくれた事
試合に負けて情けない顔を見せてくれた事

もしも中学の時に辞めていたら
今の息子は無いと言えます


そう思うと
人との出会いは大事だと
感じるのです



これを書きながら
オリンピックを観てたのですが
永瀬選手が金メダルを取ってくれました


なんか色々思い出して
感動してます



そう言えば
肝心な息子の成績ですが

高校最後のインターハイには
行けませんでした

各階級の個人戦で1位だけが
県代表として行けるのですが
息子は2位でした

団体はもちろん〇〇高校が行きました


県で2位

私、それで充分です



いつの間にかこんな時間‥
そろそろ寝ます

興奮してるから寝れるかな(笑)


それでは
おやすみです