削れても、捨ててはならぬもの。
僕の、書作家としての活動の始まりは、
お酒のラベル揮毫(きごう:筆で書き下ろすこと)の
ご依頼をいただいたことからでした。
書道は、5歳から習っていましたが、
自分が作家になるとは思ってもいなかったし、
また、こんなにも必死に取り組む事柄になるとは、
夢にも思っていなかったものです。
このラベルが貼り付けられた瓶が、酒蔵様より手元に送られて来た時、
あまりの感動に、子供のように泣いてしまったのをよく覚えています。
今考えると、あれは、感動の涙とともに、
覚悟の涙でもあったように思っています。
「これで生きてゆこう。」
そう心に決めたのだと思います。
何年か経って、このお酒の味わいが大変素晴らしく、
あまりにも素晴らしすぎて、売れに売れ、
最終的に、終売になってしまいました。
ひょんなことで酒蔵の社長様と札幌で再会した折に、
「加藤さん、ごめんなさい。今季で終売にすることにしました。」
いやらしい話、僕は、このラベルを書かせていただき、
色々なお店で、「これ、私の作品なんです。」
というと、必ず、「えー!!またまた〜!」と笑われましたが、
名刺を差し出し、そこにある雅印を見て、「ああ!マヂだったんですね!」
と、驚かれ、サービスしていただいたり、
お店への作品を書かせていただいたりと、
いい思いをたくさんさせていただきました。
そんなこともなくなるのだな。
と、ちょっと寂しい気持ちになりました。
この時点で、なんのために書くのか。ということから外れていたのです。
当時、僕の筆は全く進むことがなく、
別のことを考えていたのもあって。
毎日書いてはいたのだけれど。
多分、覚悟がブレていたのだとも思います。
まあ、しゃあねえか。
そんなような言い訳を自分にもしていました。
それからまた数年が経ち、
書を生業とできるありがたさも、難しさも、険しさも。
そして、自分の作家以前の人間としての特性が持つ弱点も。
痛いほど味わった時、
この終売という事実が、もっともっと深い意味を孕んでいたのではないだろうか。
と、日を追うごとにひしひしと感じるようになりました。
時の流れだけが知る、誰も知らない事実のような。
僕を失望させなければ、僕自身が知ることのできない、
そんな何かの計らいを感じていました。
書への愛を厳しく試されていたように思います。
心の底が、懺悔の泥に満たされていました。
先月。
何気なく、SNSを眺めていたら、
終売になったはずのラベルが、姿をいっそう美しくして、
そこに載っていました。
豊乃蔵はすでに閉鎖されましたが、
敬意を込めてこの名を残し、長野県限定で、期間、数量限定でもありますが、
今後販売が続けられるのだそうです。
そう、いても立ってもいられず、
写真をアップして下さった酒屋さんに伺うと、丁寧に教えてくださいました。
今日、NHKのニュース9のスポーツコーナーで、
コンバインの渡部暁斗選手が、
「渡部さんの覚悟とはなんですか?」
という問いに、
「スキーに対しての愛情です。」
と。
その言葉が、ずっしりと深く、僕の心に響きました。
そして、何かがスッと消えてゆく感覚になりました。
まさに、日々に追われ、自分のなすべきこと、
愛すべきことが気付かぬうちに削がれ、
やがてなんだか気持ちだけはそのままで、
筆が全く別のところへ向かってしまっていたあの頃の僕に、
聞かせてあげたい言葉でした。
評価など、結局は、作家などにはどうでもいいんだと思います。
ひたすらに、本当にこれが好きかどうか。
いろんなことを言われるけれども、
やっぱり、僕はポンコツだけど創作が誰より好きだし、
なんやかんや言われたとしても、
誰も、確かな評価などできっこないのですから。
「極論、金メダルもいらないです。」
渡部さんは、そんなシンプルさで、
全てを答えとして投げかけてくれました。
ただあるがままのその姿だからこそ、
汲み取る誰かがどこかに存在してくれている。
それで、僕も充分です。
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