《余白》

効率よく
無駄なく

という世界では
余白は役割は無いとされる


でも本当に
効率よく、無駄なくいけると
人生を豊かにしてくれるのだろうか?


例えばカーナビのように
最短ルートを誰かに任せる

モチロン自分で辿り着けない場合には
必要なんだけど

なんでもかんでも
ナビゲーションの指示で行くと
知らず知らずに自分軸で決められなくなるし
自分軸に自分が不安を感じてしまう


効率化や最短だけが
人生を豊かに導くとは限らない

色んな道を選ぶときの基準が
・効率よく
・無駄なく
・最短ルート
では、
本当に辿り着きたい目的地が
自分の知らないうちに変わってしまう


《余白》は気付くかどうか


簡単に《余白》は効率的な道や最短ルートで
埋め尽くされてしまう

そう、例えるなら
効率、最短の世界はビジネスのよう
余白の世界は自分の心


そう考えると《余白》とは
自分らしく人間臭さい部分

なんじゃないかと思う


そこにはどんな《余白》をもった
自分がいるのだろうか?

《余白》って
埋めたくなるけど
それを埋める人や環境じゃなく
それを広げる人や環境が必要なんだろうな



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