不登校訪問支援カウンセラーの
かとちゃんです🌈

私は不登校の状態の子も
登校の状態の子も全肯定します✨

どっちが良い悪いじゃない。
自分自身が決めた行動は、全てが正解◎

私は不登校は単なる【状態】だと毎回言います。
This is a pen.(これはペンです。)
これも単なる【状態】です。
良い悪いなんてなくて、これでいい。

私は最近は紀平梨花選手を例にして話します。

紀平梨花選手がN高校在籍です。
この高校時代は基本的に登校する概念がない。
要は、登校を前提としてないから不登校という言葉が無いわけです🍀年に数回登校するらしいです。

登校しなくても自分のペースに合わせて時間を使い勉強したいタイミングでします。

不登校を問題にすること自体が既にバカらしくありませんか?
学校は登校するものという
前提が変わることで問題じゃなくなるんだったら最初からそもそも問題なんてない。

登校が目的じゃないからだよね。

紀平梨花選手は、自分のやりたいことや夢の叶え方を考えたときに、登校しないでも勉強し、高校を卒業できる場所を選んだ✨

登校することは絶対条件なんかじゃなくて、
なりたい自分になるために登校が必要ならば登校する選択肢を選べばいいんです🍀
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さて
私の考える不登校という言葉の無意味さを
少し知ってもらったところで次の話題に。

2月25日月曜日の午後に
私に会って話したい、私のブログに衝撃を受けてくださった西尾さんという高校教師で野球部監督の方にお会いした✨🌈

この方は将来をすごく真剣に考えていて、誰かの役に立つことがしたいって堂々と語って下さいました。
自殺や虐待、イジメがなくなるようにしたいって。素敵すぎて感動しました🥺


こうゆう方が居ることで
1人でも救われるんだと思います。
↑ここがすごく大切❤️

西尾さんは場所になる✨
子供たちが大人を信じる場所に。

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私は
西尾さんにイジメはなくならないと断言しました。
私はイジメする行為は愚かだと思うけど、心が成長段階の子供たちに、私たち大人の感覚や世界観を押し付けたところで理解できる状態じゃない。

言ってることは分かっても、頭と行動が不一致になるのは人間の常だと思う訳で。

心の成長段階に湧き出る行動自体をなくしたりなんて、出来ないししていいのかなとすら思う。

私はイジメを容認してるんじゃないよ。
無くせないと言ってるんです。


例えば
私たち大人でもルールなんて守れない。
交通ルールありますね。一時停止。一度も破って運転したことない人はいないでしょ?
だからルールがある。守れない前提として。

正論を言って
やらなくなるなんてあり得ないということ。

これは開き直りや諦めの感情じゃなくて
人間はそもそも同じルールや枠にみんなが入ることなんてできない。

ルールってそもそも
みんなが生きやすくするために作られる。

その、みんなって誰よ?
普通の人ってどこにいるのよ?
ってそんな話です。


訳分からなかったらごめんなさい🙇‍♂️
悲観したり悟ってるわけじゃないんです。

他人・子供たちを
自分・大人の世界観に押し込めない仕組みが
必要なんだという感じです。

その仕組みは大人が子供たちを信じる器を広げて
大人が子供たちを常に守れるようにすること。

イジメる側は加害者だから守らない
イジメられた側は被害者だから守る

じゃなくて、お互いに守れること。
被害者、加害者という感覚から超えたもの。
大人が子供たちを守るって環境がいい。

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私は常にどんな感情も正しいって思う。
それは、他人を妬んだり、憎んだり、嫉妬したりするネガティヴとされる感情さえも。

人は、自分の感情を自分で殺すときが一番辛い。

みんながネガティヴとされる感情を常々
大人たちに殺される過ぎてる。

子供たちも、そうされることが嫌で
その前に自分自身で感情を殺しちゃう。

こうやって小さい自分からふと湧いた感情を
押し殺すことが積み重なり、習慣になると
それが性格になっていく。

マザーテレサの有名な言葉がある。
これは本当にそうだと思います。

でも、私はこの言葉は
この【思考に気をつけなさい】って部分が
とても重要なのに気付いてほしい。
ここが変われば全てが変わる。

思考に気をつけるって何か?

私が考える
思考に気をつけるという意味は

自分の感情全てを許すという事だ。
どんな自分も自分が一番に愛すること。

自分の感情を自分で否定して押さえつけない。

でも、それだと自由奔放になると思いますか?
結論から言えばならない。
それが感情だから。

むしろ
自分の感情を全て良しとして受け止めた人は
他人を傷付けたりしない。
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子供たちは
感情をコントロールするための過渡期にある

結果的に、
憎悪の感情が暴力として表現されたりする。
これがイジメに繫がる場合がある。

だから、この感情はダメなのかというと
やはり違うと思う訳です。

私は暴力は容認はしない。
でも、当事者以外が問題にするのは別だと思う。

意味が分かりづらいですかね💦

そして更に
それを一ミリも許さない世界が子供たちの周りにあると、それを一ミリも許せない子供たちができあがる。

心にゆとりがない。
受け止める器がない状態。

最近では自分に全く関係ないことでも問題にして許さない社会があるように思います。

大人たちが問題にしないことが
結果的に子供たちの感情を解放する。

大人たちの子供たちを信じる器の大きさが
子供たちの大人を信じる器の大きさを決めていく。

逆はない。
それが大人の背中をみて育つ意味だからね。

私はイジメを容認しない。
行為に対してはダメなことはダメだから。

でも、
子供たちの感情や人格を否定しないで欲しい。
様々な感情を吐露する場所を狭めないで欲しい。

ダメな行為=人格の全て じゃない

何故ダメな行為なのか?
それは相手の世界観を無視した行為だから。


自分勝手とはそうゆうこと。

自己満足は良いと思うんですよね。
自分を大切にした結果として
相手を大切にする行為に繫がる。

自分を通す前に相手を通す余裕が育つ環境を
大人たちがマザーテレサの名言を意識して創れるといいなぁ🎶